ひとあらざるひと


 子供達は、異形の男を恐れの色を顔に表して見上げた。

 大きな足が、葉を踏む。
 木から落ち、積み、重なり、腐って土に帰りゆく、葉を踏む。
 星明かりの下、夜気に冷えた葉を踏み、大きな男が山を登る。肩広く、腰が異様に細い。身の丈は九尺を超えているだろう。
 男は巨大な刀を背に担ぎ、顔に真っ赤な面をかぶっていた。
 刀は幅広く、肉厚く、斬るというより相手を叩き潰すもののようだ。
 面は目がつり上がり、裂けた口に牙を生やし、怒りの表情を浮かべているようにも見える。
 異相にして、異形。
 だが面から覗く男の目は、とても優しい。
 男は名を、タムタムという。
 タムタムは神より力と使命を与えられた勇者だ。力の証はその仮面、与えられた使命はタムタムの故郷の宝を奪い、タムタムの故郷―外の者が「グリーンヘル」と呼ぶ地―を邪気で蝕む悪しき者を滅ぼすことだ。
 使命を果たすため、タムタムは故郷を出て山を越え、海を渡り、遙か遠き地にやって来た。
 だが辿り着いた地は、タムタムには冷たい地であった。
 輝ける太陽の恩恵を受けし故郷の地と異なり、この地は太陽の力が弱い。神の加護がなければ、タムタムは慣れぬ地で満足に動くこともできなかっただろう。
 冷たいのは気候だけではなかった。この地の人々がタムタムに向ける視線も、冷たいものであった。
 人々は、言葉も、着ているものも、体つきも、何もかもが違う、彼らからすると異形のタムタムを恐れたのだ。恐れ、石持て追い、武器をかざして追った。
 タムタムは、ただ逃げた。
 タムタムの持つ刀は、易々とタムタムを追う人々を殺す事ができる。タムタムはそのように刀を振るうことができる。
 それでもタムタムは逃げた。大きな足で地を蹴って、誰も殺さず、傷つけずに逃げた。
 投じられた石で、振り下ろされる刀で、突き出される槍で己が傷つけられても、タムタムはただ逃げた。
 タムタムを追う者達は恐れていただけだった。恐れるあまりにタムタムを追うのだ。それだけの者達に刀を振るうことなど、優しいタムタムにはできなかった。
 何度かそんなことを繰り返した後、タムタムは昼に旅をすることを止めた。昼は見つからないように隠れて休み、夜の闇に紛れて見知らぬ地をさすらった。

 タムタムは山を登る。
 夜闇の中を一人、大きな足で落ち葉を踏み、山を登っていく。
 自分が何処にいるかなど知らない。向かう先が何処なのかも知らない。神の面の導くまま、邪悪なる者を追い求めるだけだ。
 ふと、タムタムは足を止めた。
 しんとした静けさに包まれた―時折、獣の足音や夜飛ぶ鳥の羽音が微かに聞こえるだけの―夜の山をゆっくりと見回す。
 人の気配を二つ、感じる。邪悪なものは感じないが、夜闇の中、山深くに人がいるのはおかしい。
 神の面の力を借り、タムタムは更に意識を凝らした。
 悲しげに泣く声が聴こえる。子供の姿が視える。一人は男の子、もう一人は女の子だ。同時に、この山を下ったところに村があるのも視えた。二人はその村の子供達なのだろう。遊びか、家の仕事かで山に入り、迷ってしまったのだろう。
 タムタムは仮面の下で困った表情を浮かべた。
 タムタムは子供が好きだ。故郷では村の子供達に暮らしの上で必要なことを教える役目を担い、役目ではない時もよく相手をしていた。子供達もタムタムに懐き、慕っていてくれた。
 だがそれは、神の仮面をかぶっていないときの話だ。
 仮面をかぶり、神の力を宿したタムタムを子供達は畏れた。
 神の戦士の強大で荒々しい力を、無垢な子供達は大人よりも強く感じてしまうのかもしれない。面の下にはいつもと変わらない優しいタムタムがいることを知っているにも関わらず、子供達は仮面をかぶったタムタムに近づこうとしなかった。
 それが仕方がないことだとわかっていても、タムタムはとても悲しかった。
 この地の子供達も、タムタムを恐れるだろう。太陽の光の下でさえ、大人達はタムタムを恐れるのだ。夜の闇の中で子供達が恐れないはずはない。
 それでも、放ってはおけないとタムタムは思った。
 子供達を見捨てることはできない。恐がられてもいい、泣かれてもいい。子供達を村の近くまで連れて行ってやろう。
 タムタムは心を決めると気配を感じる方へと歩み出した。

 大木の下に、子供達は寄り添って座り込んでいた。
 神の面の力で視た通り、男の子と、女の子だ。男の子の方が少し年上に見える。顔立ちがどこか似ているから、兄妹だろう。
 タムタムは低くしゃがむとそのままの姿勢で、ゆっくりと、ゆっくりと子ども達に近づいた。
 子供達は同時にタムタムに気づいた。
 幼い兄妹の目が恐怖に見開かれ、ひっ、と息を呑んだのをタムタムは見た。しゃがんでもなお、タムタムは子ども達よりも大きい。更に星の心許ない明かりの下では、実際よりも大きく見えていることだろう。
 タムタムは精一杯優しい眼差しで子ども達を見つめた。たどたどしい口調で―知らぬ地の言葉も、神の面の力である程度は話すことはできる―自分が子供達を助けたいことを何とか伝えようと試みる。
 互いに抱き合い、子ども達は恐怖に引きつった顔で、タムタムを見上げている。それでも男の子は震える声を張り上げてタムタムの言葉に応えた。今にも泣き出しそうな顔を真っ赤にしてタムタムを睨み付け、声を振り絞る男の子からは妹を守ろうとする意志が感じられ、タムタムは仮面の下で微笑んだ。
 それが通じたのだろうか、子供達は驚いた表情で瞬きをし、タムタムを見つめた。
 タムタムは更に害意がないことを示そうと両の掌を開き、そっと差し伸べる。反射的に子ども達は後退ったが、タムタムは敢えて追おうとはせず、もう一度自分が子供達を助けたいのだと告げた。
 男の子と女の子は顔を見合わせた。二人一緒にタムタムの大きな手を見、タムタムの顔を見上げ、また顔を見合わせる。
 タムタムは手を差し伸べたまま、子供達が答えを出すのを待った。
 何度目かにタムタムの顔を見上げた時、意を決して子供達はおずおずと震える小さな手を伸ばし、タムタムの手を握った。

 タムタムは二人を肩に乗せた。男の子は右に、女の子は左に。そして静かに立ち上がる。落ちないようにと二人はタムタムの頭にしがみついた。しがみついたそこには、神の面があった。触れた堅い感触にか、間近で見る異相に驚いたか、しがみついた子供達の手が緩んだ。
 ぽんぽんと二人の背を優しくタムタムは叩いた。故郷の村の子供達を宥める時と同じように。
 それで安心したのか二人は改めてタムタムの頭にしがみついた。
 もう一つ、二つ、優しく二人の背を叩くと、大きな足で積もった落ち葉を踏みしめ、タムタムは山を下りはじめた。子供達が木々の枝に引っかからないように少し身をかがめ、ゆるゆるとした歩調で下っていく。
 どれほどの間そうして山を下っていただろうか。子供達は広いタムタムの肩の上にいることに慣れ、きょろきょろと辺りを見回している。頼りない星明かりの中、何かが見えた、聞こえたと言っては体を乗り出し、歓声まで上げるほどだ。そのたびに二人が落ちないように支えなければならなかったが、久しぶりの子供達との、人との触れ合いに、タムタムは心にあたたかいものが広がるのを感じていた。
 しかしその時は、長くは続かなかった。
 不意に耳に飛び込んだ声に、タムタムは足を止める。
 男達の声だ。タムタムが下って行く方から、何人もの男達の声がする。松明とおぼしき揺れるいくつもの火も見える。
 肩の上の子供の顔を交互に見やる。子供達も声に気づいたのか、顔を見合わせている。知った声があるらしく、嬉しそうに声を上げている。二人の様子にタムタムは、あの男達がが子供達を探しているということを理解した。
 タムタムは地に膝をつくと、子供達を肩からおろした。きょとんとした顔で自分を見る子供達の頭を撫でると、松明の火を指差す。
 タムタムの意図がわからないのか、子供達はタムタムを見上げて小首を傾げる。二つのいとけない顔に、最初にあった恐怖の色はもう欠片もない。
 そのことを嬉しいと思いながらも、タムタムは二人の背を軽く押し、行くように告げた。
 その言葉にようやくタムタムの意図を理解した子供達は、目を見開いてタムタムの手を握った。いやいやと妹は首を振りさえする。
 タムタムは兄妹の目を見つめて首を振り、二人の手を離した。もう一度松明の火を指差す。松明の火も二人を捜す男達の声も、少しずつ近づいてくる。
 男の子が、妹の手を握った。反対の手でぐいと目をこすると、タムタムに背を向ける。
 女の子は兄が背を向けてもタムタムの方を向いたまま、目に一杯の涙を浮かべていた。その頭を、タムタムは優しく撫でた。女の子の頭は、タムタムの大きな手の中にすっぽりと収まりそうなほどに小さかった。故郷の村の子供達と、まったく同じに。
 女の子の目から、ぽろりと涙がこぼれた。
 背を向けた男の子は、妹を引きずるような勢いで歩き始めた。

 手を繋いで山を下っていく二人が探しに来た大人達の元に辿り着くまで、じっとタムタムは見守っていた。
 松明の火が二人を取り囲み、安心と喜びの声が挙がるのが伝わってくる。
 やがて火は山を下り出した。子供達を連れ、彼らの家である村に帰るために。
 子供達の姿はもう見えない。声も聞こえない。それでも幼い兄妹の心に残ったものを、神の面の力はタムタムにはっきりと視せつづけた。
 目がつり上がり、裂けた口に牙を生やした、異相の神の面。
 その下の、優しい微笑み。
                                       終幕


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