真サムライスピリッツ



◆試合前台詞

【おぬし、死相が見えるぞ。】

【ん、あやかしか!? 正体を見せい!!!】
同キャラ戦時の台詞。

◆試合後台詞

【拙者、六道四生を順逆に生きる。我が心の怒りは、地獄の業火より熱く燃えているのだ。】
「斬り勝ち」した時の台詞。
六道:「りくどう」と読む。
 全ての衆生が生死を繰り返す六つの世界。迷いのない浄土に対して、まだ迷いのある世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。前の三つを三悪道、あとの三つを三善道という。

四生:「ししょう」と読む。  迷いの世界の生物をその生まれ方によって分けたもの。胎生・卵生・湿生・化生の四種(全て「○○しょう」と読む)。
 湿生は湿ったところから生まれるもの(蛙・蚊など)、化生は母胎・卵・湿気などによらず、自分の力によって忽然と生まれること。天人や地獄の者の生まれ方。

→「世の理に背く生き方をするほど激しい怒りを抱いている」という意味だと思う。

【二河白道を歩む我が悲願。果たしてかなうのはいつの日ぞ。……真蔵よ!!】
「斬り勝ち」した時の台詞。
二河白道:「にがびゃくどう」と読む。
 往生を願う人の心を、道にたとえて言う語。
 西へ行く旅人が、北を貪欲の水の川、南を瞋恚(怒り)の火の川に挟まれた細く白い道(往生を願う正常な心)で進退窮まるが、釈迦の励ましと阿弥陀の導きによってついに西岸(極楽浄土)に到達したという説話がある。

 ここでは「茨の道」などと同じぐらいの意味で使われていると考えていいだろう。また、水の川は「貪欲」ではなく「悲しみ」の意味ではないかと思う。

→「我が望みは艱難辛苦の道の先にある。それがかなうのはいつだろうか」という意味だと思う。

【そうか、お主も知らぬか…。真蔵、そなたの魂はこの父が必ず解放してやろうぞ!】
「素手/時間切れ勝ち」した時の台詞。
素手/時間切れ勝ちなので相手は生きているらしいことが窺える。

【あやかしは、死に殉ぜよ。】
同キャラ戦時の台詞。

◆ボイス

【数奇将星我にあり】
数奇:「すうき」と読む。「数」は運命、「奇」は食い違う意味。不幸せ。不運。
 または、運命がさまざまに変化すること、波乱に満ちているさま。

将星:「しょうせい」と読む。
 「将軍」の異名。ここではおそらく「戦いの運命」ぐらいの意味で使われている。

→「我が生きるは修羅の道」ぐらいの意味か。

   ちなみに「数奇将星の宿を信じ、今日も阿修羅の道を進まん」という台詞が初代覇王丸ノーコンティニュークリア時の追加ボイスとしてあった。
 これは「波乱に満ちた人生である(=「何か」を手に入れられる可能性のある人生である)と信じて剣の道を進む」という意味ではないかと思う。


総評

 感情がはっきり表に出すぎである。表れる心情そのものは半蔵殿らしいし、使ってる言葉も悪くはない。しかしっ、こんなに感情を出してはいかんのである。もうちょっと表現を変えれば良くなったと思うのになぁ。
 心に秘めた思いを抑えに抑える、出すにしても僅かにそれが見える程度(だが、使っている言葉が難しいのでわかりにくい)のが半蔵殿なのである。
 例外は「自分自身」への言葉(同キャラ戦)だけに許されるのだ。

 勝ち台詞の「数奇将星我にあり」は、簡単な台詞のようなのであるが、どうも意味が取りづらい。元ネタがどこかにあるような気がするが、寡聞にして知らないので知っている方がいれば教えていただきたい。


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