異形の女は、嗤った。
 人の女の形はしてはいるがその肌と衣は一体化し、金属のものと似た光沢を帯びている。背にはいびつな翼が広がり、その力か女の身は宙にあった。
 女は人のように口元に手を添え、耳障りな甲高い声で嗤う。その様は神々しいまでに禍々しく、醜悪なまでに美しい。
 壊帝ユガ。強大な力を持ちし、魔界の存在。
 ユガが何を目論んでいるのか、何を望んでいるかを知る者はない。なれど現世に災厄をもたらしていることは事実。
 故に災厄を打ち払うため、ユガを討たんと戦いに身を投じた者は少なくない。
『無様ヨノウ、忍ヨ。無力ヨノウ、忍ヨ』
 ユガの視線の先に在る、闇色の装束を纏った忍――服部半蔵もまた、然り。
 だが今ユガが嘲笑うのも道理、半蔵は立っているのがやっと、と見える状態であった。
 全身至る所に傷を負い、半蔵の体や地を朱に染める。常に顔を隠す覆面は既に無く、左の肩当てもはぜ割れ、忍装束も首の真紅の巻布も、ぼろぼろになっている。
 それでもなお、半蔵の手には忍刀があり、眼の光は消えていない。ユガの嘲笑をあびながらも、その意志は微塵の揺るぎも見せていない。
『……ホウ?』
 ユガは嗤うのをやめ、首を傾げて見せる。
『未ダ戦ウ意志ヲ失ワヌノカ、忍ヨ』
 人でいうならば、怪訝の意を見せたといったところか。もっとも、この人とは異なる魔性のモノが人と同じ感情を持っているかどうかは怪しいところではある。
 しかし、ユガが今の半蔵にいささかの興味を持っていることは確かなようであった。
『忍ヨ、汝ニ問ウ』
 宙より半蔵を見下ろし、ユガは言った。
『汝ニハ我トノ階層ノ差ガワカッテイヨウ。
 人ノ子ガコノ壊帝ニ挑ムコトスラ愚カシキコト。
 然リナガラ忍ヨ、何故ニ、汝ハ戦ウノカ』
 半蔵は、答えない。
 無言でユガを見据える半蔵の纏う気は凛と張りつめ、機の変転を窺っている。
『答エヌノカ』
 ユガの声と同時に、その手から光が放たれた。半蔵の身を掠め、じゅっと音を立てて地を焦がす。
 ユガはわざと外したが貫かれればひとたまりもない威力を持った光だ。だが半蔵は身じろぎ一つ、しなかった。動いたのは、光が地を焦がしたときに生まれた大気の揺らめきを受けた紅い巻布だけだ。
 ユガもまた、何事もなかったかのように言葉を続ける。
『忍ヨ、我ハ知ッテイル。
 汝ハ汝ガ名ニ縛ラレ、ソノ血縁ニアル者ヲ時ニ奪ワレ、時ニ失イシコトヲ』
――…………
 炯、と。
 半蔵の目の光が強くなった。
 ユガの口元が、人がほくそ笑むが如く、歪む。

『忍ヨ、汝デアルコトヲ恨ンダコトハナイカ?
 呪ッタコトハナイカ?』

『忍ヨ、汝ガ名ヲ背負ワネバ、汝ハ異ナル生キ方ガ出来タデアロウ、何モ失ワナカッタデアロウ。
 汝ガ望ムモノ欲スルモノヲ得ラレタデアロウ』

『忍ヨ、呪ワヌカ。
 汝ニソノ名ヲ負ワセタ運命ヲ、汝ヲソノ名デ縛ル現世ヲ』

『忍ヨ、我ト戦ウカ。
 汝ニソノ名ヲ負ワセタ運命ヲ、汝ヲソノ名デ縛ル現世ヲ護ランガ為ニ』

 続けざまに言葉を放ちながらユガは、翼と、両の腕を大きく広げる。
 その顔に浮かぶは、慈母のごとき笑み。美しいが異相であり、異形の顔でありながら、ユガの笑みには慈悲が確かにあった。
『忍ヨ』
 更に言葉を続けようとしたユガの言葉を、空を切る音が遮った。
『コレガ答エカ』
 言ったユガの顔には既に、笑みはない。無機質だが人形とも異なる無感情な顔のユガの手には、手裏剣があった。
 抜く手も見せず、半蔵が打った手裏剣であった。
 故意に半蔵の身を掠めるに留めたユガの光とは違い、ユガの、人で言うならば心の臓の辺りを狙って打たれたものであった。
「…………」
 半蔵は、忍刀を構えていた。先と同じに。
 手裏剣を打った動きの名残に真紅の巻布が揺れているのだけが、先と僅かな違いであった。
「今在る我が、全て」
 低い、しかし不思議と良く通る半蔵の声が空を震わす。半蔵の意志全てが込められた言葉は強く、重い。
 半蔵の眼の、炯とした光はもう無い。
「壊帝よ、覚えおくがいい。
 我が名は、服部半蔵」
 大きく、紅い巻布が翻った。
                  

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