さくら


 ちらちら、と、舞う、しろい
――いいえ。
 はらはら、と、散る、白い……
――そう。
 花。
 ぬるい風に散る白い花。
 ただ一本の老木が伸ばす枝から降る、白い花びら。
 胸に。
 肩に。
 腰に。
 髪に。
 足に。
 腕に。
 顔に。
 花びらが、散る。
 人肌に触れても溶けることのない白い欠片は、ぬるんだ風に乗り、優しく柔らかく、目の前を覆い隠していく。
――……待て。
 伸ばした手の先さえも、白い無数の欠片の向こう。
 手に触れるのは、風と、ひやりと冷たい花びらだけ。
――捕まえて。
 ころころと笑う声が、欠片の向こうから聞こえてくる。
――戯れはやめよ。
 見えないわけではない。散り続ける花びらの向こうにちらりちらりと、その姿はある。
 手を伸ばせば届くはずのところに。
 されど届かないところに。
――だって。
 またころころと笑う。
 ふわりと髪を肩から背に流す。白い欠片が風に逃れていく。
――いつも、いつも、待つばかり。
 風が、ざぁっと、白を吹き払う。
 現れる、いたずらな微笑み。
――たまにはあなたが追いかけてきてくださいな。
 まるで少女のように、くるりと回る。
――ほら、捕まえて。
 再び花びらが、姿を隠していく。
――行かせぬ!
――あ。
 今度は確かに、その腕を掴んだ。
 花びらと同じに、ひやりとした体を。
――もう、捕まってしまいました……
 残念そうに、それでも嬉しそうに、見上げる。
――体が冷えているではないか。
 花冷えした、女の体をそっと、抱きしめる。ここに在ることを確かめるように。
――はい。
 くすと微笑み、男の暖かい体に、女は身を預けた。

 それは一時の。
 春の一時の。
 夢。

50のお題トップへ
物書きの間トップへ
物書きの間トップへ(ノーフレーム)