岩場を渡る所為だろうか。それとも、抜けるような青空の所為か。 風が物悲しさを帯びて、高く、哭く。 肥前は島原を二度に渡って襲った災厄より、早、数年が過ぎた。 半蔵がこの地を訪れたのも、あの時以来である。 島原の地には今なお、災厄の爪痕が痛々しく残っている。ことに、半蔵がいる島原城跡―天明九年には魔城が出現した―の数里四方には未だ草一本、虫一匹の姿もない。 だが周辺の地では、大地は新たな命を育くみはじめ、近隣の村々には災厄から逃れた民も戻りつつある。 時間はかかるだろうが、この地もいずれ、昔と同じ風景を取り戻すことだろう。 そしていずれ、災厄の爪痕はこの地そのものからも、ここに生きるものの記憶からも消え失せるだろう。 それで良い、そう半蔵は思う。誰しもが災厄の記憶を抱え込むことはない。忘れることで、救われるものもある。 一方で、忘れずにいるものもいる。それぞれに分と生き方があり、それを全うすることが、自然なのだ。 ――天草四郎、時貞よ。僅かなりとも、見たか? お主が全うした後のこの地を。 胸の内で、半蔵はこの地で死した青年に語りかける。 天草四郎時貞。かつて島原の乱にて落命したはずが、抱いた怨みに魔に堕ちた者であり、半蔵とは浅からぬ因縁があった。 憎しみ、怒り、哀しみ。そして使命。様々な感情やしがらみの中で、半蔵は天草と戦った。半蔵だけではなく、様々な者達との戦いの果てに人の心を取り戻した天草は、人として現世を去った。 ――お主は今、どうしている……? 輪廻の輪に戻って転生したのか、天草の信ずる教え通りなら復活の日とやらまで眠りについたのか。 半蔵には、知る由もない。 されど、荒廃と再生の狭間にある島原を見渡し、半蔵は思う。憎しみも、怒りも、哀しみもなく、思う。 それは二度目の島原の災厄の折に見た、天草四郎に邪気が無く、その眼があまりにも澄んでいた所為であったかもしれない。 ――……お主の魂が―― 風が何度目か、高い声とともに吹き荒んだ。半蔵の思考さえも、吹き散らさんが如く。 半蔵の真紅の巻布が強い風をはらみ、大きく翻る。鳳が広げた翼が如く。 地でもまた、巻布の影が大きく広がり、踊る。 強い風は、瞬く間に吹き抜け、去る。悲しげな声が、尾を引いて遠くなる。 巻布とその影は、半蔵とその影の背に流れ落ちた。 一瞬の影が失せた岩場は、一瞬前よりも奇妙に明るい。 半蔵がそう感じた故に「それ」に気付いたのか、あるいは「それに」半蔵が気付いたが故に明るいと感じたのか。 ――……これは。 岩場の隙間に落ちていた「それ」を、半蔵は拾い上げた。 一見、ただの石と見えたが、「それ」は半蔵の手にすっぽりおさまるほどの小さな人の像だった。石を彫って作られたものらしい像は、土埃にひどく汚れている。 なんとはなしに半蔵が像の顔の辺りを指で拭くと、うっすらと優しい微笑みが現れた。 汚れて、はっきりとした顔かたちはまだわからないものの、包み込むような慈愛と懐かしさを感じさせる笑みであった。 このような笑みの像の姿はどんなものであるのか。少々の好奇心を覚えた半蔵は像を手拭いで拭き始めた。 一通り汚れが落ちると、くすんだ白い石の肌が露わになった。白がくすんでいるのは、汚れが完全に落ちきらなかったのに加え、月日を重ねたものだからであろう。 少し磨耗している彫り跡も像が多くの月日を経てきたことを示している。 それでも、像が何であるかは半蔵は見て取れた。慈愛の笑みとともに、腕に赤子を抱いた観音像。普通の観音像ではない。切なる、しかし強固な想い――信仰という名の想いを託された像だ。 ――まりあ観音、といったか。 隠れキリシタン達は彼らの聖母を観音として顕すことで、島原の乱の頃から今に至るまで信仰を護り続けているという。 ――……この観音、まさに島原の乱の頃のものやもしれんな…… だしぬけに、半蔵は思った。 確証は何もない。マリア観音がここに在ったことだけに基づく推測、否、ここにあったからこそ、そうであって欲しいという半蔵の願望に過ぎない。 ――百と数十年、ここに在ったものならば。 片膝を付き、手頃な岩の陰に半蔵はそっと観音像を置いた。この荒れた岩場にあっても、僅かなりとも雨風をしのぐことが出来るようにと。 ――これからも、ここに。 いつしか目を閉じ、マリア観音に半蔵は祈っていた。甦っていく島原の地を見守って欲しい、そして何より―― ――彼の者の魂に、幾ばくかでも安らぎを―― |