ことのは


 闇色の衣。丈夫な布はそれでもしなやかで、動きを妨げることはない。
 そして、鮮やかな真紅の巻布。長い。くるりくるりと二巻きにしても、二つの尾がふくらはぎの辺りまで垂れる。
 それだけを手早く半蔵は身につけた。他は、今は必要ない。
「替えは、あちらにて用意されているそうです」
 手伝っていた楓は、同時にやっていた荷造りを終え、それを差し出した。
「うむ」
 頷き、受け取る。
 その目がふと、表の方―庭に面した障子は、きちんと閉じられているのだが―に向く。
 足音は、その後に聞こえてきた。
「勘蔵…ですね。
 ということは」
 最後は口の中で、言った。
「母上、おいでですか!」
 楓は半蔵を見てから、障子を開けた。
 庭には、よく日に焼けた逞しい少年が、いた。
「おはつさんが産気づかれましたっ」
 一つ息を吸い、吐き、整えてから、言う。
「わかりました。すぐ参ります」
 答えてから、半蔵を見る。

「いってらっしゃいませ」

 稟、とした表情で、軽く頭を下げる。いつも半蔵を見送るときと同じに。
「……ああ」
 一呼吸置いたが、半蔵は頷いた。
 いつもと同じに。
 楓はもう一つ頭を下げると、足早に出て行った。
 何か言いたげな顔で勘蔵は父親を見やる。
 半蔵は荷を負い、刀を後ろ腰に差した。
 はかったように、庭に男が一人入って来る。半蔵と同じく、簡単に忍装束を纏った旅装である。
 勘蔵はすぐに脇に下がる。
 男は半蔵に黙って頭を下げる。
 とん、と半蔵は庭に下りた。
「行ってくる」
 呟いた言葉は、勘蔵にだけ、聞こえた。
 だがそれが、自分に向けられたものでないことぐらい、息子にはわかっていた。

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