静かな夜だった。 夜であっても小さな命の声が在る初夏の刻だというのに、しんとした静寂が大気を支配している。 だからだろう。囲炉裏で燃える火の音がやけに大きいように、彼らには思えた。 二十歳近いと思われる年の二人の青年である。だが、容貌のまるで異なる二人であった。 一人は水も滴る、という形容が正に合う、見目麗しい、そして優しい顔である。真っ白い装束と脇に置かれた杖、笠を見るに、巡礼か修験者といった風である。 名は、服部真蔵。 もう一人は荒々しさと力強さを感じさせる顔立ちであった。炎の様な型と色の髪が特徴的である。袖のない上衣に軽袗といういささか奇妙な赤い装束を身につけている。 名は、風間火月。 この山小屋―おそらくは炭焼きのものだろう―に一夜の宿を借りたところで、二人は出会った。 初めて会った。 だが、 ――うーん…… 真蔵を見たとき、火月は奇妙な感覚を覚えた。 既視感、に近い。 姿を見たことがあるとか、声を聞いたことがあるとか、そんなはっきりとした知覚ではない。 いつか、どこかで、知った。何かを知った。 この青年が持つ何かを、火月は知っている。 それがなんなのかずっと考えているが、わからない。答えはすぐ側にある…在る気がするというのに、掴めない。 「あの?」 自分を見つめる火月の視線に、真蔵はほんの少し当惑の表情を浮かべた。 「ああ………いや…」 ばりばりと乱暴に髪をかく。 知っている。それは間違いない…… 頭にやった手の下から、真蔵の顔を覗くように、見る。 「どこかで、会ったことがあるか……?」 「初めてですよ」 自信のない火月の声に、真蔵は首を振る。 しかし答えた声には、『それ』を納得した響きがあった。 「そうか……悪い、気のせいだ」 ぐしゃぐしゃとさらに髪を引っかき回す。 真蔵は薪を二本、火にくべた。 「気のせいとは……限らないですよ」 「へ?」 ぱちぱちと音を立て燃える炎を見る真蔵の目が、細くなる。 映った焔が、ゆらりと揺れる。 「会ったことは……ありません。 ですが……」 細められたままの鳶色の眼に、冷たく突き放した光と、親しみと、苦痛を耐える色が走り抜ける。 ――あ。 その目に、遠く懐かしく……とおい面影が刹那、重なった。 手が自然と下りる。 真正面から、改めて真蔵を見る。 見える。 「…私は、貴方の中に自分を見る気がします」 目を上げ、火月の視線を受け止めた真蔵の眼には、ゆらぎの無い水面のような静けさだけがあった。 「………そう、か」 呟きは、真蔵の言葉へのものであり、己が掴んだものへのもので、あり。 「私には、追いかけている人がいます。 追いつきたいと、超えたいと願う人がいます。追い続ける、遠い背が在ります」 ひた、と火月の目を見据え、ゆっくりと言う。 そこには苦しみが、悲しみがあった。 それでもそれらを超えようとする、強い意志があった。 「貴方も、同じだと、感じました」 ――ああ… 優しい面立ちのこの青年が経験してきたこと。鳶色の目に宿る苦しみ、悲しみの訳。 それを知ること、一端なりとも伺うこと……そう簡単にできることではない。 だが、真蔵の心の中にあるその想いイ遠い背中を追う者の心を、火月も知っている。 「きつい…よな」 辛い。どれほど追っても届かない。そう思えてならないこともある。 ――それでも。 ――それでも。 「だけどよ……それでも追いつきたい。 超えたい。 だから、立ち止まるわけには、いかない」 「はい」 真蔵の表情が緩む。 同じ想いを持つ者が、同じ意志を持っている。 わかりあえる人だ。 この人と出会えたことが、嬉しい。 「なんだよ」 言う火月の顔が、微かに赤らむ。普段は言わないことを言ったことに気づき、照れくささがこみ上げてくる。 「いえ」 言いながらも、真蔵はにこにこと微笑んでいる。 「…………」 ぷいっ、と火月はそっぽを向いた。 笑みを浮かべたまま、真蔵はまた、薪を火にくべた。 ぱちんとはぜた火の音が、そろりと夜闇に流れた。 |