正月ぐらい酒宴をしようと言い出したのは誰だったかはわからない。しかしここ、伊賀衆の出羽の里の長は、たまにはよかろうとそれを許した。 かくして、里のほとんどの者―老若男女問わず―が一堂に会して、新年を祝う酒宴を始めたのであった。 里の者がこうして一堂に会することはなかなかなく、奇妙にうきうきとした空気が年末から漂っており、その空気のままに、酒宴は大いに盛り上がった。 「どうしようかと迷ったが、やってよかったな」 里長―藤林伊織は、親友である服部半蔵の杯に酒を注いでやりながら、どこか楽しげな口調で言った。その顔は微かに赤く染まっている。 「たまには、な」 半蔵は杯を一息に空にする。顔色はほんの僅かも変わっていない。 今度は自分で杯に酒を注ぎ、また一息に飲み干す。 そして杯を脇に置くと、すく、と立ち上がった。 「どうした?」 「風に当たってくる」 短く答えると、半蔵は酒宴の場から出ていった。 「………………」 伊織は自分の杯に並々と酒を注ぎ、一口、飲んだ。視界の隅に、そっと出ていく楓の姿を捕らえながら。 「ま、たまにはな」 外に出てしばらくして、楓は木にもたれてぐっすりと眠っている夫を見つけた。 忍としての性か、すぐに立ち上がれる姿勢ではあるが、どう見ても隙だらけの無防備な様である。表情も普段のどこか厳しいものを宿したものではなく、穏やかで、本当に心地よさそうに眠っている。 そんな姿に楓は微笑みながら、夫の肩を軽く揺さぶった。 「あなた、起きてください、あなた」 「………ん………」 半蔵はぼんやりと目を開きはしたが、目を覚ましたようではない。 「……あさ、か?」 「いいえ、でも、こんなところで寝ていては、風邪をひかれますよ」 「うむ………」 と、返事をするものの、半蔵は動かない。瞼が閉じかかり、またこのまま眠ってしまいそうである。 『服部半蔵』を恐れる者達がこの姿を見たらどう思うだろうかと思うと、楓は何だかおかしかった。しかしもし、『服部半蔵』に立ち戻らなければならなくなれば、すぐに夫が変われる…直ちに目を覚まし、今のこの夫はいずこかへ消えてしまうことを知っているだけに、同時に一抹の淋しさと悲しさを心の片隅に、小さく、感じざるを得なかった。 「あなた、休まれるなら家に戻りましょう。すぐに床の支度をしますから」 楓がもう一度、今度は少し強く肩を揺さぶると、どうにか半蔵はまた目を開いた。だが、やはりとろん、とした目をしている。 「さ、立ってください」 「うむ…」 なんとなく頼りない返事をしながらも、半蔵はふらりと立ち上がった。と、その足が大きくよろめき、前に倒れかかる。 「あなたっ」 少し慌てて、楓は夫の体を支えた。 「まだ寝ないでください」 「ん……ああ」 楓の体にかかる重みが、少し軽くなる。 「しっかり歩いてください」 「うん」 おぼつかない足取りで、一歩、二歩と歩き出す。 そんな夫の体を、しっかりと楓は支えていた。困ったような、嬉しそうな笑みを浮かべて。 すぐに消えてしまうようなものでも構わない…今のこの夫を大切にしよう、そう、思いながら。 |