雨に想うは


 長い雨が降っている。
 天から落ちてくる無数の雨粒は目に見えて大きい。それらが自らの重みで長く伸び、地に落ちる。絶えることなく落ちてくる長い水の群れは互いに連なって、幾丈もの細い筋に見える。


 透き通った水の筋の群れには、自分が閉じこめられてしまったような錯覚を覚える。
――雨格子、か。
 山道の地蔵堂で雨を避けながら、勘蔵は思った。
 梅雨明けももう近い。大気を呑み込んだ蒸し暑さと、それに煽られた山中の草木の香が、閉じこめられたような圧迫感をいや増している。
――いっそ濡れていった方が楽か……?
 ちらりとそんなことを思ってしまう。だが、濡れてしまえば後々が辛い。急ぐ旅でもなければこうして避けているのが良いのだ。
「ふう……」
 勘蔵は木々の隙間から見える空を仰ぎ、小さく溜息をつく。
 灰色の雲は、まだまだ厚い。


 絶えることのない水の筋の群れは、夏が近づき鮮やかさを増す山の緑や大地の色、どころか厚い灰色の空の色をもその身に宿しているかのように見えた。地に降りた水は鏡となって、今度は広く色を映し出す。
「きれいだね、コンル」
 大樹の下で雨宿りしているリムルルは、膝の上に抱えた相棒の氷の精霊、コンルに話しかけた。このコンルが、蒸し暑さを少し和らげてくれている。
「でも、早く止まないかなぁ……。止まないと、どこにも行けないよね」
 止む気配のまるでない雨に、ふう、とリムルルは小さく溜息をついた。
 天を覆った雲は、まだまだ元気に見える。精霊と言葉を交わせるとはいえ、リムルルの声はまだまだ天までは届かない。


 視線を天から戻すと、青い色が見えた。
 それは、今は見えない空の青よりまだ濃い青。
 勘蔵の左腕に巻かれた、青い布。白い糸で刺繍がされたその布は、本来は頭に巻く飾り布らしい。自分たちの言葉で「マタンプシ」というのだと、この布をくれた少女は、リムルルは言っていた。
 そっと布に触れる。青い布も湿気からは逃れようもない。しかし不思議と、蒸し暑さによる不快感が薄れた気がした。
 氷の精霊と意志を交わすことのできるリムルルが、いつもまとっている澄んだ空気に触れたような、そんな感触を感じた。

――元気に、してるかな。

 雲に隠されている日輪のように明るい少女の笑顔を、自然と勘蔵は思い出していた。


 こつん、と固い音を聞いた気がして、リムルルは視線を落とした。
 それは、首にさげていた「おかりな」がコンルにぶつかった音。
――ぁ、あっ
 慌てて、しかしそっと、リムルルは「おかりな」を手に取った。リムルルの手が離れたコンルは、ふわりと宙に舞う。
――だいじょうぶ……だ
 「おかりな」には傷一つない。ほぉっと息を吐くとリムルルは、今度はコンルを見た。
「だいじょうぶ?」
 コンルは、ほんの少し、リムルルの目線より高く舞う。ゆるりと自らを回転させたコンルにも、周囲の色が映り込んでいる。
「よかった」
 ほぉっと息を再び吐いたリムルルに、コンルはリムルルの目線の位置まで降りた。大丈夫だと念押しするように、くるるっ、と回転してみせる。
「うんっ」
 頷くリムルルの手は、しっかりと「おかりな」を握っている。吹けば優しい音を出すそれは、忍である少年、勘蔵からもらったもの。土を焼いて作ったものだからだろうか、「おかりな」に触れるといつだってなんだか暖かいものを、リムルルは感じる。
 
――元気だよね。

 雨から守ってくれている大樹のような頼もしい少年の横顔を、自然とリムルルは思い出していた。


「俺は、元気だ」


「あたしは、元気だよ」


 まだ降り止まない雨を見つめて、少年と、少女は呟く。
 その手に、大切なものを確かに感じて。


「「だから――」」


 言葉の続きは、勘蔵も、リムルルも、口にはしない。
 代わりに、
 飾り布に
 おかりなに
 触れる手に力をそっと、込める。


 天から降り注ぐ幾丈もの水の流れが、少し、細くなりはじめた。

                  終幕

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