四 蘇合香


 まるで春の雪のような光景だった。
 やわらかな陽光の下、砕けた「それ」の破片は見る間にさらさらと崩れ、風に、草木に、天に、地に、消えていく。
「……ふう……」
 リムルルが、息をついた。
 その体が、ふらと揺れる。
「あれ……?」
「リムルルっ」
 倒れかかったリムルルを、とっさに勘蔵は支え
――お?
ようとしたところで、かくんと膝が崩れた。

 二人は仲良くひっくり返った。

「……大丈夫か?」
 ひっくり返ったまま、少し気まずい気分で、勘蔵はリムルルを見た。
「平気。ちょっと疲れただけ。勘蔵さんは?」
「俺も、大丈夫だ」
 疲労でずっしりと体が重かったが、とりあえず勘蔵はそう答えた。
「……よかった」
 ほ、と息を吐く。
「きれい……」
 風に流れるか、散華する「それ」が風を呼ぶのか、宙を舞い、宙に消える「それ」を、寝転がったままリムルルはうっとりと見つめた。
「太極、か」
 同じように寝転がったまま、同じように消えゆく「それ」を眺め、勘蔵は呟いた。
 「それ」にはもはや邪気はなく、無垢な淡い輝きを宿している。手を伸ばしてみても、触れることはできない。触れるかと思った瞬間に、「それ」は消えてしまう。
「たいきょく?」
 自分も手を伸ばしてみながら、リムルルは問うた。
「世の理、かな」
 世の万物は全て陰陽二気と五行五気に属し、流れに従う。その流れをもっとも端的に示すのが、陰陽二気が絡み合った、「太極」である。
 陰と陽が分かたれており、しかし離れることなく、止まることなく巡り、伸びゆく。それは理から外れた歪みを正し、流れの中に戻す力を持っている。
 火は、陽である。
 氷―水―は、陰である。
 『合わせた』二つは太極となり、歪んだ存在である「それ」を正し、流れに戻した。
 気術を教わったときにいやというほど聞かされた太極の理を、やっと勘蔵は思い出していた。
――里長に知れたら、ひどく怒られるな。
 その顔が見えるようで、苦笑する。
「どうしたの?」
 起きあがったリムルルが、ひょいと勘蔵の顔を覗き込む。
「ん………」
 舞う「かけら」があって、リムルルがいる。
 リムルルがいて、「かけら」が見える。
 大きな黒い瞳。
 そこできらきらと光っているのは、「かけら」か、コンルか……
「どうしたの?」
 ぼうっとした様子の勘蔵に、リムルルは首を傾げた。
――やっぱり、辛かったかなぁ……
 巫である自分でもこれだけの疲労を感じているのだ。ずっと「それ」と戦っていた勘蔵の疲れは、もっとひどいはず。
「ほんとに大丈夫?」
「……………っ」
 心配そうなリムルルの表情に急にいたたまれなくなって、勘蔵は飛び跳ねるように立ち上がった。少し足がふらついたが、動くのに支障はないようだ。
「俺、もう行かなきゃ」
 「それ」を倒したことを仲間の忍に知らせなくてはならないし、怪我をしている者のことも気にかかる。だから、早く戻らなくてはならない。
「……そう」
 リムルルも立ち上がり、勘蔵を見上げる。
「一緒に戦ってくれて、ありがとう」
 少し揺れた勘蔵の黒い目が、リムルルの目を見た。
「ん……いや、それは、こっちも同じだよ。ありがとう」
 勘蔵がそう言うと、リムルルはにこ、と笑った。
 無邪気な、きれいな笑みだった。
「また、会えるかな」
 笑みを顔に残したまま、いつかと同じようにリムルルは問うた。
「……
 縁があれば」
 いつかと同じ答えを、勘蔵は返した。
「うん」
「それじゃあ」
 頷いたリムルルに、勘蔵は背を向けると、走り出した。


――礼を言えばよかったな……
 走りながら、勘蔵は思った。
 崖から落ちた時のことを、言えずじまいだった。経緯はどうであれ、言っておけば良かったと思う。
――……いいか。
 少女の気配が遠くなり、消えたとき、そう思い直した。
 縁があったときに、伝えればいい。
 そう、思った。


「ね、コンル」
 勘蔵が消えた方を見つめたまま、リムルルは言った。
「ばばさまに言ったら、新しい着物作ってもらえるかなぁ……」
 コンルは僅かに、ふるりと揺れた。

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