赤い列


 さわりと風が吹いた。
 ひょろりと細い首に不釣り合いに大きな、しかし華奢な冠を頂いた無数のそれらが微かに震え、ざわめく。
 枯れ草が目立ち始めた堤の上を、誰に教えられたわけでもなく長い列をなして縁取る、鮮烈な赤い花群。
 一人の少年が、それをじっと見つめていた。
 年の頃は十を二つか三つ、出たところだろうか。線の細い整った面立ちをしている。長い髪をに束ね、白い巡礼姿をしている。
――葬列のようだ。
 茶店で茶をすすりながら、少年はそう思った。
 黒と白だけの葬列とはあまりにも対照的な赤の群だというのに、その花は「死」の匂いを宿しているようだ。
――こんなことを思うのは、今宵、人が死ぬからだろうか。
 その形に合わない、物騒なことをさらりと思う。
――それとも、花の名のせいだろうか。
 「彼岸花」の群から視線を外し、改めて周囲を見回す。
 ここは宿場町と宿場町を結ぶ、東西にのびた川沿いの街道である。東に向かって歩いて行けば、左手側に川の堤、右手側に松並木がある。
――待ち伏せには最適だな。
 日が暮れれば、人通りはばったりと絶える。並木の陰ならたとえ月が出ていても気づかれはすまい。
「……見えたか」
 少年の隣に座って団子を食っていた浪人が、ぼそりと呟いた。唇をほとんど動かした様子はなく、視線を向けることすらなかったが、それが自分に向けられたものであることを少年は知っていた。
「は、はいっ」
「そうか」
 浪人は長椅子の上に団子と茶の代金を置くと立ち上がると、街道を西の方に歩き始めた。
 少年は茶の残りを飲み干すと、街道を東へと駆け去った。
 彼岸花は、静かに風に揺れていた。


 服部真蔵が任を受けたのは三日前のことである。
 場所と日を指示され、そこに行けと里長から命じられた。だが何をそこでなすべきなのかは聞いていない。
 この任が真蔵にとって初めてのものなのだが、変わったことはほとんどなかった。ただ母から真新しい忍刀を一振り受け取っただけである。
 そして任の詳しい内容は聞かぬまま、真蔵は里を出た。
 二日後、この地に着き任の内容を聞いた。
『この街道を通る者達を始末する』
 それが誰であるかとか、何故だとかはやはり告げられなかった。今回の任を指揮する服部半蔵なら知っているのかもしれないが、半蔵もまた何も言わない。
 それに任の背景を知っていようが知っていまいが、真蔵はただそれを果たすのみである。
 それが忍というものなのだから。


 半分の月が、天頂に輝いていた。
 秋の澄んだ大気の中では半月の闇の円も、はっきりと見える。
 篠笛一つ手に、真蔵は松の木陰からその月を見上げていた。昼間着ていた巡礼の衣と同じ白の忍装束を身に纏い、後ろ腰に忍刀を一振り佩いている。
 遠くから、秋の虫が鳴く声が流れてくる。だがその声をもかき消さんとするかのような自分の鼓動を真蔵は聞いていた。
――……光が半分と、闇が半分……
 少しでも落ち着こうと、月をじっと見つめる。見つめれば見つめるほどに、月の光と闇が浮き上がって見える。決して切り離せない、一つの月が抱く二つ。
――どちらが欠けても、そは『月』として成り立たない……
 じ、と半月を見つめ続ける真蔵の耳に、ひう、と高く鳥が鳴くような音が届いた。
 合図だ。
 大きく息を吸い、吐く。まだ鼓動は収まらない。
 足下に置いておいたやはり白い打ち掛けを肩に羽織ると、真蔵は木陰から街道へ歩み出た。月の光に身をさらす直前、微かに並木に潜む気配を一瞬だけ感じとる。
 確かに感じ取ったのに、稀薄であり他を威圧する重い気配はよく知っている。幼い頃から身近で、遠くで感じ続けてきたその気配の主を誤ることはない。
――半蔵様……?
 身を闇に潜め完璧に気配を断っていた半蔵が、ほんの刹那の間とはいえ、気配を露にしたのである。
 何故だろう、と街道の中央まで歩みながら思う。
 ほんの一瞬のことである。なれどその一瞬が致命的なことになることがある。今はそうはならないだろうが、それでも『服部半蔵』はこのような愚とも言える行為をするはずもない忍である。
 それが、何故。
――……まさか。
 これが初めての任だと、改めて気づく。誰も―真蔵を送り出した母や弟さえも―それを特別としなかった。当然半蔵も。だが、今気配を感じ取らせたのは、
――気遣ってくださったのだろうか……
 普段ははっきりとその意図を見せることが少ない父である『忍』が。
――父上……
 安堵に気が弛みかける。
――いや。
 その心を引き締めようと、さらに早鐘を打つ心臓を抑えようと、真蔵は笛を強く握った。
 初の任であること、『父』である『服部半蔵』の指揮下にあること、それが『始末』、つまりは『実戦』であること、その中で半蔵が自分を気遣ってくれたかもしれないこと……いくつもの事が重なって、自分が嬉しいのか、恐ろしいのか、緊張しているのか、わからなくなっている。
 だが今は、任のさなかだ。己の感情を持て余している時はないのだ。
 それらを振り切ろうと街道の東に目をやれば、遠く、赤い光がそこにいくつか見えた。ゆらゆらと揺れながら、こちらへ近づいてくる。
――ひがんばな
 視線が自然と、堤の上に動いていた。
 青白い月の光の下、細い茎に支えられた赤い花の影が、ほのかな風に重く揺れている。近づいてくる赤い光を、おいでおいでと手招きしているようにも見える。
 そうではなく、来るべき時をじっと見つめ、佇んでいるようにも。
 そんな赤い花を見ている内に不思議と鼓動が、落ち着いたような気がした。
 せかすようにまた、高く空が鳴く。
 真蔵は篠笛を口に当てると、ゆるりと息を吹き込んだ。
 ひゃらり、と笛が啼いた。
 軽く目を閉じ、一心に笛を吹く。
 ひゃらひゃらりと笛の音が冷たい夜気の中を流れていく。
 己が奏す笛の音に、鼓動が静まり、風の音が、虫の声が遠ざかる。閉じた瞼の裏で、赤い花が揺れる。
 彼岸に咲くという花、華奢な花びらと細い雌しべと雄しべで形作られた赤い花。
 葬列を見守る花、死の淵に咲く花……日の光よりも、月の光の下でこそ映えるあか。
 闇の中で鮮やかに翻る、紅の、巻布。
 近づく無数の足音。
――…来た、か。
 真蔵は笛を吹きながら目を開く。開いた目を、微かに細くする。
 揺れる赤い光が、いくつも目の前にある。それは熱を持った炎の明かりだ。
――………
 理由の見えない苛立ちが真蔵の胸の奥に生まれた。 
「…おいっ、貴様っ!」
 月光に浮かび上がる白い装束を纏い、笛を奏す少年に不審を感じぬ者がいるはずがない。鋭い誰何の声が赤い光の向こうから飛ぶ。

 ひゃらっ

『ヤレ』
 一際強く真蔵が笛を吹き鳴らすのと全く同時に、その声が音もなく響いた。低く抑えられた、しかしよく通る、聞き慣れた声。有無を言わさず人を突き動かす強いその声に命じられるままに、陰より影がいくつも走りいでる。
 赤い明かりの向こうで、それらの影が舞う。
 真蔵はただ笛を吹いている。
 弱い風に、鉄の匂いが混じる。
 知らない声と、知っている声が低く交錯している。
 時折、あかりの向こうで、赤が舞う向こうで、紅が翻る。
 真蔵は身じろぎもせず、笛を吹く。
 一つずつ、明かりが減っていくのにも、構わず。
――…… … ……
 また一つ、明かりが落ちた。
 笛の音がとぎれる。
「ヤレ」
 無意識のうちに、真蔵は先の半蔵の言葉を繰り返す。
 その視線の先に、堤を駆け上る影がある。男のようだ。他の誰も気づいた様子はない。
――殺れ
 するりと真蔵は駆け出す。打ち掛けが肩から落ち、地に影のようにわだかまった。
 駆けながら、右手で後ろ腰から忍刀を引き抜く。
 しゅ、と鞘走る音が耳についた。
「待てっ」
 前を走る男に、低く叫ぶ。
 だが男の足は止まらず、それどころかさらに足を速めて堤を駆け上る。
――逃がさないっ
 真蔵も駆ける足を速めると、左手で手裏剣を打つ。だが走りながらでは狙いは定まらず、手裏剣は男の右を掠めて地面に突き立った。
「くっ」
 しかしそれが逆に、男を諦めさせることになったようだ。堤の上で立ち止まり、真蔵の方を振り返る。
「なんだ、子供か」
 安心と嘲りの色が声に含んで言い放つと、男は刀を抜き、構えた。
――……やれる。
 堤の上まで駆け上り、逆手に刀を構える。相手は大人だが、実力は真蔵の方が上だ。安穏とした生活の中の剣術しか知らない、哀れな侍などに劣りはしない。
 ざわ、と風が吹く。
 彼岸花達がゆら、と揺れる。
 たん、と間合いを詰める。
 その速さに、男が驚愕したのが伝わってくる。慌てて刀を上げるのが、やけにゆっくりと見える。
 
 ずん

 肉に刃が食い込む。その手応えが重く腕に伝わる。それでも勝手に体は動き、ぐん、と切り上げていた。
 下段から肉を裂き、血管を、筋肉を断ち切りながら胸の半ばまで刃が進んだところで、体を捻って刃を引き抜く。
 ざ、と熱い血が傷から拭き上がり、同じものがうめき声と共に、ごぼりと男の口から溢れ出る。
「ぐ、あ……」
 力無く、ただ振るわれただけの刀を躱わすと、降る赤の中、とどめとばかりに真蔵は男の胸に刃を突き立てた。
 その顔に、白い装束に、赤い染みが広がる。
「……うぐぅ……」
 うなるような声を低く洩らし、男は仰向けに倒れる。
 彼岸花の茎が折れる乾いた音が、真蔵の耳にはやけに大きく響いた。
 血の匂いを含んだ風が吹く。
 赤い花群が一斉に頭を揺らす。
 男は動かない。二つの傷からはまだ血が流れているというのに。
――あ……
 とす、と真蔵は刀を地面に突き立てる。立てた、というより腕が勝手に下がり、それに合わせて自然に刺さっただけのようでもある。
 その事を自分で自覚するよりも前に、真蔵は刀にすがりつくようにずるずると座り込んでいた。
 鼓動は静まり、汗もかいていない。意識もはっきりしているのに、足に力が入らない。立とうとすればするほど、力が抜けていく。
「……くそ…くそぉ……」
 まるで目の前の死体から流れる血が、自分の力を奪っているのではないかという気さえしてくる。
「父上の…前で……」
 初めての任であっても、いや、初めてだからこそ無様な姿を見せられるものか、と歯を食いしばり、柄を握る腕に力を込める。
――立たなければ、いけない。
 「服部半蔵」の一子として、一人の忍として、この程度で崩れてなるものか。
 死体ではなく彼岸花を睨みすえ、ふらつく足を踏みしめると、無理矢理に立ち上がる。
 赤い花の揺れが、止まった。
――……よし……
 細く息を吐く。今更のように汗が噴き出す。
 彼岸花達は死体の周りに無数に佇んでいる。折れ、潰れた仲間など知らぬように。
 あるいは、仲間を悼むかのように。
「真蔵っ」
「藤若殿……」
 堤を駆け上がってきた忍に、ほっと安堵の息が思わず洩れる。
 懐紙で刀を拭い、鞘に収める。幸い刃には刃こぼれはなく、反りもしていなかった。
――うまく、やれたのだ……
 初の任が無事終わったのだという感慨が、ようやく胸にこみ上げる。 
「怪我はないか」
 死体にはちらと目をやっただけで、藤若は真蔵に問うた。
「はっ」
「では先に戻れ」
 真蔵の肩に打ち掛けを掛け、笛を渡すと、藤若は死体を担ぎ上げた。
 潰れた彼岸花の上に、赤い血が広がっている。赤い花と同じ色、緑の茎に月光の下でさえ鮮やかに映える、赤。
――…………
「西の宿に一度集う。よいな」
「は……はっ」
 『赤』に見入っていた真蔵は慌てて頷いた。そのときにはもう、藤若は堤を下っている。
 真蔵は自分の顔をこすった。ぱらぱらと赤い破片が落ちる。
――……ん?
 視線を感じ、土手の下に目を向ける。

 ………

 紅が、翻る。
 そこにはもう、誰もいない。死体すら残っていない。残っているのは、白い装束の真蔵一人だ。
 真蔵はふわりと打ち掛けを羽織り直すと、軽く地を蹴った。
 ゆらん、と彼岸花達が頭を下げる。
 惹かれるように僅かに、真蔵は振り返った。
 片羽の月の光の下に赤い花の列がある。無造作に寄り合いながらも、誰に教えられたわけでもないのに、きれいな列をなす、花達。
 その列は昼間と違い、一カ所で途切れている。
――葬列のようだ。
 それでも真蔵は、そう思った。
 粛々と死を運び、死を見つめ、それでいて死とは遠い――

                                                 終


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