逢魔が刻


 もうもうと白い煙が上がり、辺りを覆い尽くす。飛び散った石が、音を立てて河原に落ちる。
 やがて全ての音が絶え、ようやく戻りし静けさの中に、影が三つ。
 倒れ伏して動かぬものが一つ。
 片膝立ちで荒く息をつくものが一つ。
 僅かにふらつきながらも、立っているものが、一つ。
 立っている者――半蔵は襟元の巻布を引き上げ、口の端にこびりつく血を拭った。
 片膝立ちの者――蒼月は、冷たい怒りを宿した目を半蔵に向ける。
「……此度は、負けを認めましょう……」
 その口調に、半蔵は蒼月の怒りが己だけに向けられたわけではないのを知った。誰に向けているのかまでは、読みとれなかったが。
「……勝ちも負けも、あるものか」
 半蔵は低く、答えた。
 勝ち負けで言うならば、火月だけは―未だ気を失い、倒れたままの者―負けたと言えるかもしれない。「力尽くでも半蔵に人形師のことを話させる」、それが果たせなかったのだから。
 しかし、火月は生きている。半蔵も、蒼月も。
 忍は任を果たすことを第一義とするが、生きて戻ることも重要視される。死んでは任を果たせず、忍の受ける任が生涯ただ一つであることなどない。主在る限り、任もある。
 「任を果たす」、それを遂げるためには生きねばならぬ。
 半蔵と蒼月は、任を負って戦ったわけではない。そして傷だらけで満足に動けずとも、三人とも生きている以上、この場の誰が勝者で、誰が敗者と問うことに意味はない。
 言われずとも、蒼月にもわかっているはずのことだ。
 それでもその眼に炯とした鋭い光が宿ったのは、半蔵の口元が幽かに歪んでいた、所為か。



 いつしか、夜の闇が全てを包んでいた。
 無数の星々の光だけが、天と川面で揺れている。
 人影は、もう、何処にもない。
 川は何もなかったかのように、とうとうと流れている。
 僅かに漂う焦げた匂いだけが逢魔が刻の痕跡を残していたが、それも夜の風の中に融けて消えていった。

                                         終幕

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