そして静かに、花は舞う


 女と覇王丸が戦い始めてから、四半刻が過ぎた。
 その間、覇王丸の刃は女の体を何度か掠めただけだ。軽やかで素早い女を、まだ覇王丸は捕らえ切れていない。
 一方で女の攻撃を覇王丸は何度か食らっている。が、女の非力故に一撃は軽く、覇王丸にもさしたる傷はない。体のあちこちに赤や青の痣が浮かび始めているが、まだそれだけだ。
「やるな、お前」
 間合いを計りながら、覇王丸は言った。決定打はないとはいえ、四半刻の間、覇王丸の刃から逃れ続け、己の技をあびせた女の体術は相当なものだ。また、覇王丸の剛剣に恐れを見せぬ肝の太さも称賛に値する。
「女は、強いのよ」
 変わらぬ笑みを口元に浮かべ、女は言った。
 その目が、すっと細くなる。女の媚びと、命を懸けた戦いに在る者の凛とした光が混然一体となってそこに宿っている。
「強いか」
「強いのよ。
 女は」
 繰り返し、もう何度目か、女は地を蹴った。
「旋風……」
 うおん、と海風を唸らせるほど強く大きく、覇王丸は河豚毒を振りかぶった。
 小さなつむじ風を生み出し相手に放つ技、旋風裂斬。
 女の目にきらりと光が走る。既にこの戦いで何度か旋風裂斬を覇王丸は放っている。
 ふっと女の身が沈んだ。かと思うと高く、飛ぶ。
「ムササビの舞!」
 宙で一回転し、覇王丸めがけて急降下をかけてきた。落ちる勢いと己の体重を利用した体当たりを喰らわせようというのか。
「……ってね」
 小さく覇王丸は呟いた。降下する女の目が大きく見開く。
 本来ならば剣を大きく振るってつむじ風を作り出すのが「旋風裂斬」である。だが今、覇王丸は振りかぶったところで剣を止めている。その位置からぐるりと下段へ腕を回す。
「おおっ!!!」
 向かってくる女に剣を下段から斬り上げる。宙では、躱わせまい。
 しかし、女は強引に体を捻った。着地どころか次の瞬間も考えず、今刃を躱わす、そのただ一点に意識を集中したか。
 甲斐あって、刃は浅く、女の肩を薙いだにとどまった。
「……ぁっ!」
 悲鳴を上げながら女は岩の上に落ちる。奇しくもそこは、初手で身を焼かれた覇王丸が落ちたところだ。
 刃を返し、覇王丸が続けざまに斬りかかるのを転がって躱わしながら、女は蹴りを繰り出した。闇雲とも見えた蹴りは、覇王丸の足を打つ。
 蹴られた覇王丸がよろけた隙に立ち上がり、女は傷に構わず身を翻す。
 己の蹴りが浅かったこと、覇王丸が既に体勢を立て直していたことには気づかず。
「龍炎……」
「そいつはもう、見切ったっ!」
 女の黒髪と赤い尾が弧を描くまさにその時、覇王丸は大きく一歩踏み込んだ。
 どん、と全体重を掛けた右足が、重く岩場を踏みしめる。
「斬鉄閃!」
 赤い尾が炎に包まれるより速く、鉄をも断つ一閃が、女の体に振り下ろされた。
 今度こそ確実に、捕らえた。
 刃が、女の軟らかい肉を食む。骨まで断つ。赤く熱い血が、噴き出す。
 いやにはっきりとそれらを感じる中、覇王丸は見た。
 女が、微笑んだのを。
 今まで覇王丸に見せていた嫣然としたものではない。
 楽しげで、愛しげな微笑み。
 それでいて何処か、聞き分けのない子供を見るような優しさと哀しみを宿す微笑み。
 覇王丸がよく知った女の面影が、そこに在った。
 何処までも追ってきながら、決して求めようとしない、女。
 己の心を偽ることなく、己の求めるものを露わにしない女。
――……静……!

 海風が、強く、吹く。

 ほんの僅かな刻、清浄の間に満ちた静寂の中、女の全ては重なる面影もろとも無数の花片と化した。
 女の纏う衣と同じ、唐紅の花弁。
 花弁は覇王丸を包み込むかのようにふわり、と広がった。
 かと思うと、すぐに風に吹き散らされていく。
 空へ、海へと舞い散っていく。

「……数奇将星の宿を信じ、阿修羅の道を、進まん……」

 刃を振り下ろしたまま身じろぎもせず、覇王丸は呟いた。獣が唸るような声で、言葉を、己に刻むが如く。言葉で、何かを断ち斬るが如く。
 覇王丸の頬を、最後の花弁が撫でゆく。
 海風とは異なる冷たくも優しい感触にか、覇王丸の唇が再び言葉を洩らす。
「…………」
 その言葉も風音にさらわれ、赤い欠片と共に消え去った。
 覇王丸を一人、残し。
                           終幕

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