開怨―人形師の影


                


 光。
 一色のようであり、万色が融けあったようにも見える、光。
 光はやわらかく闇を抱き、封じる。
 
 静。

 静止した、刻。

 闇に伸びゆく、糸。
 生き物のようにうごめくそれは、闇に絡まる。
――目覚メル刻ハ、今………

 動。

 封じられし「それ」が、動き出す。

 闇が渦巻く。
 それは光をも巻き込み、激しく乱れ、荒れ……

 闇は現世に流れ落ちる。
 それを追うかのように、光もまた。

 そして少女は目を開いた。
「私を目覚めさせたのは…誰……?」



 少女から笑みを奪った者は誰だろうと、笑みしか浮かべられぬ男は思う。
 陽光の下で無邪気に笑っていた少女は、今は暗い部屋で一人、悲しみをこらえている。
 藩の大事よりも何よりも、彼にはそれが辛かった。

 明け方早く、男は旅立った。
 少しばかりの荷物と、最高傑作のからくりを一つ、携えて。
 笑みしか浮かばぬその顔のその目の奥に、強い決意の光があるのを見たのはただ、さえずりを交わす小鳥ばかり。
「姫様、必ずやお父上を狂わせたもの、突き止めて参りますぞ」

 城を見上げてつぶやき、歩み行く男を追う小さな影、一つ。
 気付いたのはさえずり交わす小鳥ばかり。



 何の為に生きているのか。
 いや、何故生きているのか。
 想いを伝えることも、果たすことも出来ぬまま。
 余命いくばくもない身を引きずり生きるのは何故か。
 独り、自嘲に歪んだ笑みを、浮かべる。

 胸ノ奥ヨリ這イ上ガル熱イ塊。
 喉ヲ塞ギ口内ヲ鉄ノニオイデ満タシ白イ手ヲ染メル、赤。
 削レル命。
 雫レル時。

 風が伝えし、彼の人の悲しみ。
 耳にした時、旅立とうしていた、己。
 余命いくばくもない者が、想いし彼の人の為、戦うというのか?
 一人浮かべた笑みに、不思議と歪みは無かった。

「風に舞う 白き花の 運びしは 
        春の淋しさ 夏の喜び」



 祭壇に飾られたメノコマキリ。
 守るようによりそう、鷹の木像。
 あの日から、あの、やさしい風が駆け抜けたあの日から、ずっと。

――何故、チチウシをとらない?
――まだ早いの。もっともっと強くなってからじゃないと、あの刀は持てないもの。

「本当は違うんだよ、コンル。
 わかるの。感じるの。みえるの。
 姉様が…戻って来る…」
 少女は友達に微笑みかけると、どこか厳しい、悲しい目で空を見上げた。
「だからね、わたしは、わたしとして強くなるの。
 チチウシの使い手じゃなく、ただ、私として。
 あれは姉様のものだもの。
 だから」

 言い知れぬ邪気を含んだ「何か」が弾けたその夜、祭壇の刀と鷹の像が消えた。
 風切り羽根一枚を、その場に残して。

 次の日、少女は旅だった。
「姉様は戦わなくてはならない。
 でも、一人じゃない。
 私も戦うから。この大自然の為に。皆の為に。
 そして、姉様の力になる為に。
 だから、だからこんどは…………」
 少女は空を見上げた。
 晴れ渡った空はどこまでも青く澄んでいる。
 見上げる少女の目は明るく、力強いものだった。
「さあ、行こう、コンル!」



 この世の者とは思えぬ、透き通るような白い肌を惜しげもなく晒し、引き立てる、漆黒の装束。
 背に刻まれた妖しの文様。
 身に纏いし「魔」の気配。
 ぎやまんのような、赤と青の瞳。
 何も映さぬ、虚ろの瞳。

 美しきその姿。
 意志の無い瞳。

――人形。

 そんなことを思ったのは、その瞳のせいだったのかもしれない。

 漆黒の装束。
 覆面と鉢金が、男の顔をすっかり隠してしまっている。
 そしてその、心も。

――にんぎょう。

 ふとわきあがった、ことば。

 男の首に巻かれた鮮やかすぎる真紅の巻布が、風に大きく揺れた。 

「この異変の元凶、人形使いを討て」
 受けた命はただそれだけで。
 ただそれだけを果たす為に、全てを、かける。

「人形…か」

 闇に言葉は流れて消え、走る刃が闇を裂いた。



「坊や良い子だ寝んねしや……」
 女は歌う、自分の腹を撫でながら、何度も何度も繰り返し。
「坊や良い子だ寝んねしや……」
 幸せこの上ない顔で見下ろすその腹に赤子が宿る気配は、まるでなかった。

「ある日突然、腹からややが消えたのじゃ」
「その日からほれ、あの様に気がふれてしもうて……」

「坊や良い子だ寝んねしや……」
 女は歌う、ただ愛しげに自分の腹を撫でながら。
「坊や良い子だ寝んねしや……」
 歌う女を、悲しみと淋しさを同居させた目で見つめる、幼子が一人。

「可哀想にのう、あんな小さいのに、母親が狂うてしもうて」
「母親はもう、あの子の世話もせんのじゃと。可哀想に」
「可哀想に」
「可哀想に」
「かわいそうに」

「ややが消えるような家の子供と、遊んじゃなんねえと」
「ややが消えるかかぁは、気がふれたんじゃと」
「気がふれたもんの子も、気がふれとるわ」
「いや、ばけもんじゃ、ばけもーん」
「ばけもん」
「ばけもん」
「ばけもん」

 ぽろ、と涙が幼子の頬をつたった、その時。
「どうしたの?」
 慌てて目をこすり、声を見上げる。
――そらをもった、おてんとうさまだ。

 やさしくあたまをなでてくれた、あたたかい手。
「俺が助けるから、だから君は、それまで強く待っているんだ」
 周りの人間を気にしているのか、深く編み笠をかぶったその奥で、それでも空と同じ色の目は、まっすぐに幼子を見ていた。
 初めて見る色なのに、それは異形とも呼べる色なのに、幼子は驚きも恐れも感じず、ただ食い入るようにそれを見つめ、
「ほんとに?」
「ああ、ほんとさ。約束だ」


――この感覚、『奴』の力を持つもの、か。
 近付く『魔』の気配に、青年はすう、と息を吸った。
 ふっと、幾つかの顔が頭に浮かぶ。
――心配はいらない。俺が必ず、助けてやる!
 姿を現した魔性を、青年は睨みすえた。


「ふぅ……」
 快楽の余韻の声。
「あ、ぁあん…」
 声に構わず、その身、その肌に手を這わせる。

 ……からん。

 音に目を上げれば、糸にぶら下がった、人形。
 糸に絡められた人形。
 糸に縛られた人形。

「……………」

 女の口が動いた。
 糸に動かされるままに。
 操られるままに。
 その手が伸びる。
 狂気。

「………ふん」

 一歩。
 一振り。
 
 ぷつん。

 からん。

「阿呆が」

 一振り。
 空が、悲鳴を上げる。

「…逃げたか」
「……お前、様……?」
 夢と現、快楽と狂気の狭間をさ迷う、声。
「いや…」
 何事もなかったかのように、男は絹のような肌を、たどる。

――気に食わんな。

 そう思いながらも男の口の端には、楽しげな笑みが浮かんでいた。



 苛々と男は、酒をあおった。
 杯が空になるとすぐに、次を注ぎ、また苛々と飲み干す。
 あっという間に徳利は空になる。
「どうした?」
 苦笑気味に、友が新しい徳利を渡した。
「……別に」
 乱暴に受け取ると、男は杯に酒をまた、注ぐ。
「昼間の、人形師のことか?」
「……………」
 沈黙が逆に、答えになっていた。

 辻で、人形を操って見せていた男。
 その珍しさに目を向けた時、視線がぶつかった。
――………!?
 その瞬間、背筋を冷たいものが走った。
 恐怖、畏怖、嫌悪……そのどれでもない、しかしその全てでもあるような、奇妙な感覚。
 だが、まばたきをする一刹那に、人形師の姿は消えていた。

「わしはかような人形師は、気付かなかったがのぉ」
「俺が嘘をついたって言うのか」
「いいや」
 小さく、しかしはっきりと苦笑を浮かべ、友は首を振った。
 やんわりと男の手から徳利を取ると、己の杯に酒を注ぐ。
 くっとそれを飲み干す。
 一息。
「明日、わしらは江戸を立つ。久しぶりの西への巡業よ」
 男の杯に、酒を注ぐ。
 男は黙って、一息に飲み干した。
「どうする?」
 男が杯をおろすと同時に、友は問うた。
「…何?」
 どこか意表をつかれたような表情を男は浮かべた。
「どうする?」
 悪戯な笑みを浮かべ、友は問いを重ねる。
「………てめぇ」
 つられたような笑みが、男の顔に浮かんだ。
 友はにやにやと笑いながら、男の杯に酒を注いだ。



 雨が降っていた。
 まるで霧のような細かく、静かに、水の粒は宙を舞っていた。

 少女が、そんな雨を眺めていた。
 一人。
 昨日までは、そうではなかったのだが。

 兄の様子がおかしくなったのは、街で奇妙な人形師の噂を聞いてから。
 あちこちで起きる異変の影に、かならずある、妖しの人形師。
 まるでその者が災いをふりまいているかのように。

「親父…」
 一言、絞り出すように、つぶやいた、声。

 その夜遅く、兄は出ていった。
 一人。

「ごめんな」
 言葉と、髪に触れた大きな手と。
「戻ってくっから、絶対」
――絶対、だよ。
 眠ったふりして、心の中だけで、言った。

 すうっと、雨が揺れた。
「火月……は?」
「いっちゃった」
「そう…ですか」
 風が、吹いてきた。
「兄さん」
「戻って来ると、言ったのでしょう?」
 雨が流れる。

「……うん」

 少女は一人、縁に座っていた。
 一人、雨を見つめて。


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