跡無しの夢


 しかし芝居を見終わった今、興奮さめやらぬ圭とは逆に、右京の心は揺れ動いていた。
 良い芝居だったと思う。呂布役の役者は男っぷりの良い偉丈夫で、貂蝉を演じた役者は花も恥じらうほどの美しさと、国を救わんとする烈女の芯の強さを見事に両立させていた。芝居の始めから終わりまで、右京はこの二人が舞台で織りなす物語から目が離せなかった。圭に負けぬほど、舞台に魅了されたと言っても良い。
 だからこそ、右京の心は揺れるのだ。
 その様な右京の心に気づくことはなく、圭は口を開いた。
「右京様……先ほどのお芝居、良かったですね……」
 ほう、っと溜息をついて圭は言った。芝居を見た興奮を、人に伝えたくなったらしい。
「ええ。そうですね」
 揺れる心を抑え、穏やかに右京は頷く。
「右京様、私、貂蝉は呂布将軍のことをただ騙していたわけではないと思うのです」
 右京の頷きが、圭には促しと映ったのだろう、堰を切ったように言葉が続いた。
「貂蝉が自害したのは、呂布将軍の妻となるのを拒んだ為ではないと思うのです。きっと、騙していたことを申し訳なく思っていたのではないでしょうか。
 だって、貂蝉は大臣の娘なのですから、大臣の力があれば、妻にならなくても済むはずです。大臣とて、可愛い娘を守ろうとなさるでしょう?」
「……なるほど」
 よほど芝居の世界に入れ込んでいるのだろう。圭にしては珍しく熱っぽく語る様に、少しばかり気圧されながら右京は頷いた。
 同時に、目を輝かせて自分の想いを語る圭が可愛らしいとも、思った。
 その顔に魅せられた所為だろうか。右京は思わずぽつりと呟いていた。
「跡無しの、夢……」
「跡無しの、夢……ですか?」
 圭に問われて、右京は自分が思っていたことを口にしていたことに気づいた。
「どういう意味ですか?」
「……その、先程の……芝居を見て、そう……思いました……」
「まあ。どのように思われたのか、詳しく聞かせていただけませんか?」
 右京はしどろもどろになっているというのに、圭は嬉しそうに更に右京の考えを聞きたがった。自分が気に入った芝居を、右京がどう感じたのかが気になるようだ。
 圭と話すことは嬉しいが、自分の思いを言葉にするのが苦手な右京は困ってしまった。
 普段であれば歌の形で何とかすることもできるが、あの芝居で感じたことは歌にするのも難しい。
「……ご迷惑ですか?」
「……つまらないものですよ……?」
「そんなことはありません、是非、お聞かせくださいませ」
「……はぁ……。では……」
 引こうとしない圭に、どう話したものかと考えながら、右京は口を開いた。
「……貂蝉は……呂布と添い遂げることを夢見ていたと、私も思います……。
 おそらくは、その夢を、叶わぬ夢を支えに辛い役目を果たしたのでしょう……
 しかしその夢は誰にも明かさぬまま、命を絶った……。
 ……誰も知ることのない、跡無しの夢です」
「跡無しの、夢……」
 目を伏せて、圭は繰り返した。
「そう思うと、ますます切ないお話ですね……」
 言ってまた、ほうっと溜息をつく。
――跡無しの夢……
 圭の溜息を聞きながら、右京も胸の内で繰り返した。
 どれだけ想おうと、決して表には出せぬ夢。叶えられることのない夢。
 右京の抱く夢も、そうだ。
 夢――隣を歩く小田桐圭への、想い。
 知られてはならぬ想い、気づかれてはならぬ想い。
 右京の命の火が消えた時には、誰も知ることがないままに消えてしまう、跡無しの夢。
 芝居を見ている内に、右京は貂蝉の想いに、自分の想いを重ねてしまっていたのだ。目の前の相手にどれほど恋いこがれようと、本心を明かすことは出来ない。欺き続けることしか、出来ない。
――圭殿……
「右京様」
 圭とは家柄の差があり、この身は病に冒されている。それでどうして想いを伝えることができるだろう。やるせない思いに沈み掛けていた右京の思考は、圭の柔らかい声にすくい上げられた。
「……あ、はい、なんでしょう?」
「私……あの、貂蝉の夢は跡無しの夢ではないと、思います」
「どうしてですか?」
「呂布将軍は、貂蝉の亡骸の前で泣いてらっしゃいました。
 あれほどの将軍が、恥も外聞もなく、声を上げて泣いていた……。右京様、呂布将軍は、貂蝉の自害の本当の訳を、知ってらしたのではないでしょうか?
 私は、そう思います。
 ですから、貂蝉の夢は、呂布将軍の心に残っているのです。跡無しの夢では、ありません」
「圭殿……」
 圭が言っているのは、芝居の中のことだ。優しいこのひとはただ、芝居の中であっても、悲しい運命を辿った恋人達の救いを探そうとしているだけなのだ。
 そうわかっていても、右京は圭の言葉に慰められたような気がした。
「あ……あ、私ったら、むきになってしまって……申し訳ありません……
 でも、こう考えないと、あまりにも貂蝉と呂布将軍がお可哀想で……」
 じっと見つめる右京の眼差しに我に返ったのか、気恥ずかしさに染まった頬を圭は両手で隠す。
「いえ、きっと、圭殿の言われる通りですよ。そして、呂布が知っていたということに貂蝉の魂は救われたと思いますよ」
 愛らしい圭の様子に微笑み、右京は言った。
 自分の想いは、貂蝉と呂布のようには圭に知られるわけにはいかない。だが「究極の花」を捧げることが出来れば、圭の心に自分という存在は僅かなりとも残るかもしれない。そうなれば、己の想いも「跡無しの夢」にはならないかもしれない……
「そうですか? そう言っていただけると、嬉しいです……」
 まだ顔を赤くしたまま、圭も微笑んだ。
「いえ、礼を言うのは私の方です。
 本当に……」
 圭に「究極の花」を捧げる日を夢見て右京は呟いた。
 己の生きた証を残すための、夢。
 残り少ない命に、ともすれば惑い、見失いそうになるこの夢をしっかりと握り直せた。あの芝居を圭と一緒に見ることが出来て良かったと、右京は思った。
「良いお芝居でしたね」
「ええ……」
 右京の言葉に、圭は嬉しそうに頷いた。
                               終幕

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