櫻の下


『埋めてしまえ』

 声が、離れない。
 自分の上に舞い散る花弁が、絡みつく、眩暈のような感覚がある。
 秘めやかな花の香に、濃い血の匂いが揺らめいている気がする。
「圭殿……」
 縋るように、右京は言葉を絞り出した。
「今宵の櫻と月……美しいと、思いませんか……」
「ええ。本当に。
 朱い月に、白い花が映えて……なんだか、恐いぐらいに綺麗……」
「何故……美しいのでしょう……?」
 右京の足が、止まっていた。
 泣き出しそうな、迷子のような顔をしていた。
「右京様……」
 圭は、右京に歩み寄る。
 堅く握られた右京の手を、そっと白く小さな手で包み込む。
「え……?」
 熱を持った右京の手を包む圭の手は、ひやりとしていた。ひやりとしていたが、あたたかくもあった。
 右京の手を引いて、圭は歩き出す。手を引かれるままに、右京も、歩いた。
「何故でしょうか……」
 圭が櫻を見上げた。
 はらはらと、花は散り続ける。自らの重みにか、朱い月の光にか。
「私には、わかりません」
 圭の目が、右京に向けられる。その目は、困ったように微笑んでいた。
「でも、綺麗です。櫻も、月も」
 そう言った圭の顔は、何よりも美しく、右京には見えた。
 朱い月よりも、白い花よりも、何よりも美しく、愛おしかった。
――ああ。
 右京は、顔を天へと向けた。
 こみ上げるものが、零れてしまわぬように。
 舞い散る白い花弁が見える。朱く輝く月が見える。僅かに、滲んで。
 握っていた右拳を、そっと開く。
 自然にその手を、圭が握った。
 とても暖かいと、右京は思った。
 このぬくもりを、失いたくないと、思った。
 小田桐圭という人のぬくもりを、守りたいと、思った。


 右京の体にまといつく花弁の感覚も、あの声も、いつの間にか消えていた。

                                 終幕

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