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壱 遠き日 血肉を分けた我が子が、魔性にとらわれ、変じたその時、身を焦がすような憎炎が魂に宿った。 それにつき動かされるままに、私闘に走り、戦い、行きついた先は、島原。 「全てに滅びをっ!」 狂気の笑みを顔に張り付け我が子の肉体を乗っ取った魔性が叫んだ時、最後となるはずだった戦いは始まった。 刃を交わし、技をぶつけ、互いを死に至らしめんとするその戦いには既に、善もなく、また悪もなく、ただただ互いの内にある何かをぶつけあう凄惨さ、ただそれだけになっていた。 「爆炎龍!」 「怨獄死霊刃!」 焔が互いを砕き合い、ひときわ強く燃え上がったあと、砕け散る。 その向こうに、かたきの目が、見えた。 ――………この、目は…… 同じ、だ。 息子を奪った、どれほど憎んでも憎みきれぬかたきの目は、自分と同じ、「奪われた憎しみ」に染まっていた。 ――……………… 「汝、暗転入滅せよ!」 「何か」が心をよぎろうとしたその時、それを妨げるかのように、かたきは空に舞い上がっていた。 ……キリシタンの教えの中には、空から降り注ぐ炎が全てを滅ぼす、という話があるらしい…… どこかでいつか聞いた、そんな話が脳裏をかすめた。 どんっ。 かろうじて受け止めたそれは、気が遠くなるような熱と赤い光を放っていて。 「死ね、死ね、死ね、死ね、死ねぇっ!」 それでも叫ぶ誰かの声が、ぎりぎりのところで意識を支えていた。 「何故、滅びぬっ!」 泣き叫ぶような声が聞こえたのと、熱と赤い光が消えたのは、同時だった。 踏み込む。 憎きかたき、愛しき我が子の体を、抱きしめる。 地を蹴る。 そして。 弐 再会 その城が見下ろせる高台に、その青年は立っていた。 吹き上げる風に揺れる、長い、波打った髪。 透き通るかのように白い肌。 触れれば折れてしまいそうなほど華奢な長身を、異国風の衣が包んでいる。 女かとみまごうほど、美しく、整った顔立ち―その顔はかつてのものとは違うようにも、我が子のものと似ているようにも、見えた。 「……お主か」 ゆっくりと、青年が振り返る。 穏やかな口調だった。 穏やかな目だった。 あの時とはまるで別人のような、そんな目と声だった。 「魔に呼び寄せられたか、幕府の役目か、それとも…」 笑う。 邪気無く、やはり穏やかに、しかしどこか儚く。 「我にひかれたか? 服部半蔵よ」 「…御公儀の命により、彼の城を調査、元凶の討伐に、来た」 低く答える。 答える己の言葉も己の心も、不思議と静かだった。 「そうか…」 青年は、城に目を向けた。 昔から在ったかのように、一夜にして現れたかのように、そびえる魔城。 その城の正体が何か、知るものはない。 ただわかるのは、あれが災いを巻き散らす『種』となっていることのみ。 「あの城には『我』が在る」 「何?」 「正しくは、我が影であり、闇であり…お主の息子を奪った、モノが、在る」 「…そうか」 それでも不思議と、心は波立たない。 「お主は、天草だな」 「そうだ」 「彼の城にいるのも、天草だな」 「そうだ」 「そうか」 首の紅い巻き布が、風に流れた。 きぃんっ 振るわれたのは忍刀、受け止めたのはきらめく宝珠。 「…………」 刀を、背に収める。 「邪気が、感じられぬ」 「………………」 見つめる目は、あくまでも穏やかだ。 だがその奥に、何かが揺れている。 哀しみにも、哀れみにも似た、ここにいる、ここにいない、誰か――おそらくはもう一人の己への 想い。 「御公儀の命、果たすのが今の儂の第一。 お主とは、いずれ」 「いずれ?」 軽く地を蹴る。 「いずれ……か」 つぶやきは風に運ばれ、風を受け止めた。 参 繋がる刻 城の最上階にたどり着いた時、同じ顔をした異なる表情の、二人の天草の戦いは佳境に入っていた。 宝珠が宙を舞い、あやしの力が互いを傷つけ合う。 そこには、半蔵の入る余地は無かった。 手を出すことも、そこを去ることもせず、半蔵はただ、戦いを見守った。 静かで、穏やかで、しかしどこか哀しみを宿した目の、天草。 憎悪と怒りと、深い狂気に彩られた目の、天草。 光が、闇が、炎が、稲妻が、互いを打ち倒さんと飛び交う。 手を出してはならない。これは「天草四郎時貞」の戦い。 去ってはならない。見届けなければならない。 公儀の命を果たす為に。 そして、あの時二度目となった終宴の幕を、天草の上に下ろした者として。 「そんな…はずは……ないぃぃぃっ!」 胸を貫く宝珠。 きらめくそれには、一滴の血もついてはいなかった。 くずおれるのは、狂気を宿した方の天草。 だが、倒れながらその身は消えてゆき、地に伏した、と思った時には、そこには何もなかった。 髪の毛一本、血の雫一つ、残らなかった。 「……お主か」 残った天草は、ゆっくりと振り返った。 「よくぞここまで。さすが、服部半蔵よ」 笑う。 穏やかに、邪気なく。 だが、あの時あった儚さは、消えていた。 「お主は、四郎時貞だな」 「いかにも」 笑みを残したまま、天草は一歩、半蔵から離れた。 「そうか」 半蔵は右足を引くと、背の刀に手をかけた。 天草の持つ宝珠が、妖しくきらめきを放つ。 その時、 『見つけたぞ、アンブロジァ様に逆らう愚か者を!』 天草の表情がこわばるのが、はっきりと見えた。 どぉんっ! 轟音と共に、城が揺れる。 「四郎!」 叫ぶと同時だった。 足元が崩れ、空に半蔵の身は投げ出された。 落ちる。 認識できたのは、そこまでだった。 頬を撫でる風の感触に、半蔵は目を開いた。 起き上がる。 体の節々に痛みが走るが、どうやら生きているらしい。 「気がついたか…」 どこか、ほっとしたような、声。 「お主に、救われたか」 微かな苦笑の響きが、言葉の奥に宿ったのが、自分でもわかった。 天草の顔に、なんとも言えない複雑な表情が浮かぶ。 「今のはなんだ」 それを無視し、半蔵は問うた。 「羅将神…アンブロジァに仕える、闇の巫女……」 その声が僅かに震えているように、半蔵は思った。 「そう、か」 納得したように、頷く。 遠くに、黒い煙を上げる、魔城の残骸が見えた。 『逃さぬぞ!』 びくん、と天草の体が一つ、痙攣した。 その体が、いずこかに引きずり込まれていくかのように薄れ、消えていく。 「四郎っ!」 「ならぬ!」 駆け寄ろうとした半蔵を制すると、青年は、微笑んだ。 穏やかに、静かに、そして、いいしれぬ決意を秘めて。 「お主の息子、服部真蔵の魂、かの巫女、魔を統べる者さえ……倒せば、取り戻せる」 もうほとんど、消えそうな体で、なおも、天草は言葉を続けた。 「場所…おそ…れ…山……つぐな……」 だが、全てを半蔵に伝える前に、天草四郎時貞の姿は、消えた。 残ったのは一人の忍と、耳が痛い程の静寂だけ。 「……………」 半蔵は、まだ煙をあげる魔城に背を向けると、歩み始めた。 紅の巻き布が風を捉え、大きくゆらめく。 恐山に行かなければならない。 今度こそ、我が子を救う為に、そして今度こそ、全てを終わらせる為に。 |