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悪逆無道の 盗賊ゆえ ここに首を 晒すとす』 名を記すでなく、ただそれだけの決まり文句の捨て札と共に、その首は晒されていた。 そんな風に盗賊の首が晒されるのはここしばらくの江戸でよく見かけられるものだったが、この首の周りには人だかりができ、人々は首を見ながらひそひそと囁き合っていた。 それはこの首が、派手な真紅の長いかつらをかぶったままだったからかもしれない。 あるいはこの首が、江戸で最も恐れられ、名を囁かれた盗賊のものであるということが何処からか洩れ出し、人々の間に広まっていたからかもしれない。 もとは北条家に仕えていた風魔忍群頭領、風魔小太郎の首、ということが。 年の頃は五十ばかりか。ふてぶてしい、と言うにふさわしい面構えである。その目は開かれたままで、口元は微かに笑みの形に歪み、首を打たれるという恐れはそこにはまるでなかった。 だが、わりと男前である。目尻の裂けた目は金色で、耳までも開く口からは、くわ、と牙がのぞく、と噂された風魔小太郎の顔とはほど遠い。 「これが無いと俺が俺でない。だからかつらだけははずさんでくれと言ったそうです」 人だかりの一番外側で首を見ていた侍姿の男に、その配下らしい男が囁いた。 小太郎と同じぐらいの年の頃と見える男は、晒された首をただじっと見ている。 小太郎がなぜ目を見開いたままなのか、この男だけがわかっていた。 ――最期の瞬間まで、生きた、そして変わりゆく己の『時代』を見続けたか…… 「…『とれぇどまぁく』だから、と言っていたのではないか?」 男は目を小太郎の首に向けたまま、部下に問うた。 「え…、あ、はい、そのようなわけのわからぬことも言っていたとか」 「フウマ殿らしい」 男―伊賀組頭、服部半蔵は低く呟いた。
それに少し驚きと…困ったような表情を見せたが、フウマは勢いよく、ブラウン博士に頭を下げた。 ばさり、と赤く長いかつらが音を立てる。 「世話になった」 「……ん?」 ブラウン博士が上げた戸惑いの声は、同時にハンゾウのそれも代弁していた。 「もう、ここには来ねぇ」 頭を上げ、短く言う。 「二度と来ねぇ。他の連中には博士から宜しく言っておいてくれ」 ブラウン博士にも、ハンゾウにも、一言も口を挟む隙を与えず言うと、フウマはくるりと背を向け、足早に部屋を出て行った。 ちら、とブラウン博士がハンゾウに目を向ける。だがその時にはもう、ハンゾウはフウマを追って部屋を出たところだった。 「フウマ殿!」 「おう」 タイムマシーンルームの前に立っていたフウマは、ハンゾウの声に、軽く左手を挙げて答えた。 「次に会うのは、戦場(いくさば)だな」 「何かあったのでござるか」 「あん?」 「急にあんなことを言い出すなど、フウマ殿らしくないでござる」 ブラウン博士によって様々な時代から集められた英雄達の中で、誰よりもこの現代―一九XX年を気に入り、何度も自分の時代と往復を繰り返していたフウマである。それがいきなりもう来ないと言うのは、余りにも不自然だった。 「そう言われると弱ぇな」 がしがしと赤いかつらをかき乱して、言う。 「だが、たいした理由はねぇよ。 単に飽きただけだ。この時代にも、会社勤めにもな。このフウマ様が、いつまでもあんな鬼課長の下でおとなしくしてられるかよ」 ニヤリと笑ってフウマは言ったが、その笑みがほんの僅か苦いものになっていたことに、ハンゾウは気が付いていた。 その苦さが、半蔵にさらに言葉を重ねさせることを、止めた。 「じゃあな、リョウコちゃんとジャンヌちゃんには、特に宜しく伝えてくれや」 そしてその言葉を最後に、風魔忍群頭領、風魔小太郎は永遠に一九XX年から姿を消した。
難攻不落といわれた北条家の居城、小田原城がこうもあっけなく落ちるとは一体誰が思っただろうか。 いや、思わなかったのはただ、北条の者達だけなのだろう…… 攻め手は一度も城に攻撃することはなく、ほとんど兵の血は流されていない。それは、敵兵が苦しまなかった、ということには結び付かないのだけれども。 その様を、ハンゾウは徳川家の陣中でじっと見続けていた。そして、戦そのものが変わっていくことを、痛いほどに感じざるを得なかった。 ――時の流れでござるな…… 拮抗した勢力同士の戦いはもう無い。圧倒的な力を持った者が、その力で弱者を潰す。そんな戦が主流となっている。天下を取る者が決まり、ばらばらだった世が一つになりつつあるこの時代の流れの中では、それは当然のことといえた。 そうわかっていても、ハンゾウは虚しさを心のどこかに感じていた。 どれだけ個が強くても、流れには逆らえない。個がどれほど技を磨き、力をつけても、流れを変えることはできない。 これまでの己が否定されたような寂しさ。しかしそれでいて、流れゆく『その』中にある己…… 「変わっちまったな」 赤い影は、いつの間にかハンゾウの隣であぐらをかいていた。 「無事だったでござるか」 城を見つめたまま、ハンゾウは言った。 「悪運には自信があるんでな」 同じように城を見つめたまま、フウマは答えた。 山裾から噴き上げる風に、赤い髪が流れる。 「だが結局、変えられなかった」 「フウマ殿」 視線が動く。 「たかが乱破があがいたところで、太閤には勝てねぇってことか」 吐き捨てるように言ったフウマの横顔に、この上もない苦いものと、諦めと、『それ』を受け入れた寂しげなものが同居していたのが、見えた。 「お主、知っていたのでござるか」 「歴史」の結果を。 ブラウン博士は細心の注意を払い、英雄達に歴史の結果を知らせなかった。ほとんどの者は、自分たちの時代の結果を、知らないことになっている。 しかし、一九XX年と決別したときのフウマの顔が、ハンゾウの脳裏を掠めていた。 苦いものを含んだ、それでもフウマらしい、不敵な笑み。 「さあな」 言って、立ち上がる。 「どっちでもいいじゃねぇか。こうなっちまったんだからよ」 それが、答えだった。 「これから、どうするでござる」 「どうするかねぇ」 他人事のように、呟く。 「拙者達の…」 「誰かに仕えるのは、もう御免だ」 ハンゾウの言葉を遮り、フウマは空を見上げた。 「これからの戦、面白いものじゃねぇ。そんな戦、人の下についてまでやりたくねぇよ」 空は人の戦など知らぬように、どこまでも雲一つなく蒼く晴れ渡り、その色に、フウマの赤い髪と装束は、よく映えた。 遠い昔、初めて二人が刃を交えたときと、なんら変わらぬ、赤い装束。 「では、どうするでござるか」 空からハンゾウに視線を下ろす。 「そのなり、割と様になってるじゃねぇか」 ハンゾウの忍というよりは侍のような衣を見て、おかしそうにフウマは笑った。 服部半蔵が仕える徳川家康は、半蔵に忍であることよりも、忍をまとめる武将としての姿を求めた。そして、天正の乱の後の伊賀衆を守らなければならない半蔵には、そうするより他になく。 何も、ハンゾウは答えなかった。 「だがよ、あっちの方が、おめぇにはよく似合うぜ」 それを気にした風なく、軽く飛んで間合いを取る。 「久しぶりにいっちょやろうぜ」 後ろ腰から、村正を抜く。 初めて二人が対峙したときからずっと、フウマが振るってきた妖刀とも呼ばれる小太刀だ。 「正宗は持ってきてるんだろ。来いよ。 切り刻んで、惨めに地面にはいつくばった格好で、死なせてやるからよ」 「………………」 「やらねぇなんて言うなよ」 ハンゾウは無言で、懐に手をいれ、一振りの小太刀を取り出した。フウマの村正とほぼ同じ大きさの小太刀、これは伊賀忍群の守り刀だ。 「挑まれれば拒まず。其を討つのみにござる」 くん、と正宗を抜き、ばさり、と衣を脱ぎ捨てる。 現れる、真っ青な忍装束。 「そっちが似合いだ」 「褒めても負けぬでござるよ」 「ばーかやろう」 全く同時に、フウマとハンゾウは笑んだ。 遠いあの日と同じ、ただ技を競い合い、相手より勝らんと望んで戦ったあの日と同じに。 「光龍波!」 「炎龍波!」 赤き龍と青き龍が、天へ、飛んだ。 「ちっ……」 荒く息をつきながら、フウマはごろん、とその場に寝転んだ。 「まーた決着つかず、かよ」 「そうで、ござるな」 ハンゾウは同じように寝転んで、大きな息を繰り返す。 いつしか赤に染まっていた空は少しずつ、さらに色を変えつつあった。 フウマの赤い髪とハンゾウの頬を撫でゆく風は、冷たさをその中に宿し、次第にそれを膨らませていく。 「ま、いいか」 まだ呼吸が整わないまま、フウマは身を起こした。 「決着つかないままってのも、おもしれぇな」 ゆっくりと、立ち上がる。 西の空には、フウマと同じ色の太陽がまだ、ある。 「どこにゆくでござるか?」 身を起こし、問う。 「風は気の向くまま、心の向くままに吹くのみよ」 赤い陽に照らされた赤い男の顔に、どんな表情が浮かんでいたのか。 その青い影の中にいた、青い男には、見ることができなかった。 無言で、見守るだけで。 「俺は、死ぬまで、乱破だ。ずっと、忍だ。変わらねぇ、変えられねぇよ」 一言、一言、句切りながら言うと、フウマはハンゾウに顔を向けた。 やはりハンゾウにはその表情は見えなかった。だが、 ――ああ、笑った。 そう思った。 「なに笑ってやがるよ」 フウマが、言う。 「じゃあな」 突風が、吹いた。 本当はそれほどではなかったかもしれないが、その強さ故か、肌を刺すような冷たさを、ハンゾウは感じた。 「戦は、終わらねぇよ。 じゃあな……」 風音に混じって、もう一度聞こえた。 青い宵闇に、空は閉ざされた。 服部半蔵はゆっくりと立ち上がった。 「さらばでござるよ」 遠ざかる風音に、言葉を送る。 そして、宵闇の中に半蔵も消えた。
太閤秀吉はすでに亡く、徐々に天下が半蔵の仕える徳川の元に転がり込んでいく頃のことである。 しかし当初、半蔵は我が耳を疑った。 半蔵が聞いた風魔の姿は、新たに開発されつつある江戸の町で、裕福な商家を襲い、金品を奪い、家人を殺める盗賊として、であったのだ。 「フウマ殿……」 ぽつん、と呟いたその奥には、はかり知れぬ苦いものがあった。 ――こうなることも、知っていたのでござるか? 『変わらねぇ、変えられねぇよ』 『敵』の城下を襲い、人を殺し、金品を奪い、混乱せしめるは忍…乱破の役目。当然としての仕事であり、在り方であり。 だがそれは、『敵』在ってのこと。つまり誰かに雇われての行いでなければならない。それでなければ、忍事でなくなるからだ。主なくして城下を襲うは、ただの盗賊に他ならない。 だが。 己の姿を、半蔵は見た。 『そのなり、割と様になってるじゃねぇか』 忍ではない、侍の姿にも、すっかりと馴染んでしまっていた。 移りゆく時の中、それでいいのだと思う一方で、時折、胸の奥がふうっと虚しくなるのを、知っている。 主を持たず、時に背き、頑なに変わることを拒む者と。 主を持ち、時の流れに従い、自ずと変わってゆく者と。 ――哀れで、ござるな。 二度、手を打つ。 「ここに」 答えて姿を現す忍が一人。 ――どちらも。 「城下を騒がす盗賊ら、討たねばなるまい」 忍を討つことができるのは、所詮、忍のみ。 それは風魔も知っているだろう。 それからほどなくして、風魔小太郎の一党は捕らえられた。 同じ乱破崩れの盗賊に、密告されたのだ。そうなるように働きかけたのは、半蔵達であった。 即刻、その一党すべて、首を討たれた。 だが半蔵は、風魔一頭を捕らえるときも、その処刑にも、立ち会わなかった。 あくまでも影働きに徹するつもりだったからか、かつての好敵手の今の様を見たくなかったからか。 変わってしまった己の姿を、見せたくなかったからか。 半蔵は何も言わず、ただ静かに、己の館で座していた。 風魔は捕らえられるときには、徹底的に抵抗したというが、土壇場では、不気味なほどおとなしかったという。 かつての関東の雄、北条家に仕えた忍としての華々しい姿はそこにはなく。 赤い夕暮れが、青い宵闇に変わるときのように、あっけない最期だった。
昼間、あれほど集まっていた人の姿はそこにはなく、その前をゆく人がたまに足を止め、畏怖と侮蔑の視線を投げるのみだった。 風魔の首には、誰かが石を投げつけたのだろう、いくつもの打傷がついていた。 首を切られたときに、ほとんどの血は流れてしまっただろうに、それでも、その傷は赤いものをにじませていた。 そして、その目はしっかりと見開かれたままだった。 ハンゾウは手を伸ばし、その目を閉ざした。 そうされるのを待っていたようにおとなしく、フウマの首は目を閉じた。 「さらばで、ござる」 低い言葉は、家路を急ぐ人々の耳には届かず。ただ、首の前に立つ男に、奇異と不審の目がちらと向けられるだけだった。 日が、沈んだ。 激しい赤は急激に空から、空間から追い出され、静かな青が空を満たした。 次第に青は濃さを増し、やがて、己の中に沈んで、己を失った。 残ったのは闇と、首と。 それだけだった。
終幕 |