(メストムック収録バージョン)
後に剣豪と呼ばれるようになる男は、武蔵国の田舎の貧しい旗本の家に生まれ落ちた。一文の得にもなたない形式や格式にとらわれることを嫌い、親から強制された学問や手習いはことごとく放り出す、そんな子供だった。だが、剣の稽古だけは性に合ったのか、ずいぶん真面目に通い、大人をもうち負かすほどの腕前で、将来が楽しみだと言われていた。
そんな奔放な生活をしていた覇王丸にも、いくら剣を振り回そうがかなわない人物が1人いた。近くに住んでいた老学者がそうなのだが、国学、蘭学を修め、江戸を離れ隠居生活をしている。が、なにぶん田舎のことなので、高名な学者も「変り者の先生」と呼んでいた。勉学が嫌いな覇王丸も、この年老いた学者の説法には興味を持った。
「覇王丸、お前は強い。この辺りじゃお前にかなう者も少なかろう。しかしな、世界には様々な剣術もあるし、剣豪もおるぞ。お前もまだまだ井の中の蛙。どうだ異国の話、聞きたくはないか?」
そう言っては覇王丸の興味を引かせ、老人は彼を話相手にしていたのだった。この学者から得る知識や雑学、情報はその後、覇王丸の世界観の形成に大いに役に立つことになる。覇王丸の知識は、そのままこの学者の知識といえるだろう。
生来の資質に加え、様々な武術知識によって、近隣では覇王丸の剣にかなう者がいなくなった。そこで彼は強い奴が西にいると聞けば西に、東にと聞けば東に出向いていき、勝利を収めるまで帰ってこない、そんな生活を送っていた。そして、道中の出来事を土産話に、この老人の元へ遊びに行くのが習慣となっていた。
「こう、剣を放り投げて、鞘に収めるとなぜか周りの人が喜んで金まで置いてくれる。道中はそれで食ってた。だけど歌舞伎役者だかなんだかが来ると、そいつに客を取られて、金になんねえや。ええと、そいつの名前は…たしか千両…狂死郎だったけ。道化たふりした奴だけどよ、ありゃァただ者じゃねぇ」
そんな話を、身振り手振りを加えながら語ったことがある。
「先生。俺、もうここには帰って来ないかもしれねぇ。先生の言うとおり世界を回って強えぇ奴と勝負しようかと思う」
老学者は、まるで自分の息子のことのように旅立ちを祝ってくれた。
「ぽるとがる、おらんだ、えげれす、どこへ行こうか?とりあえず、あの歌舞伎役者と剣を交えに行くかな」
数日後、覇王丸は家族と別れ、二度と帰ることのない故郷を離れた。まるで獲物を追いかける獣の如く、振り向きもせずに急ぐような旅立ちだったと、後に老学者は語る。
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