千両狂死郎 <歌舞伎の異端児>


公式ストーリー

 (メストムック収録バージョン)

 狂死郎は、江戸の町では知らない人はいないとまで言われた売れっ子の歌舞伎役者であった。町を歩けば誰もが振り向く派手な容貌を、有名な浮世絵師が競って描いたという逸話まで残っている。
 そもそも「千両狂死郎」とは座長であった父親の芸名で、病いに倒れた父親が、その名前を息子に譲ったものだった。「千両狂死郎」を襲名したと同時に彼は、前座長であった父を超える歌舞伎を演じなければならない、と考えた。彼の舞いを目当てに見に来る観客は、当然座長となった狂死郎の舞いを期待していたし、それは彼にも分かっていたからだ。そこで、剣技を磨き歌舞伎に生かそうと思い付いた。そう思い薙刀を練習したのだが、思いのほかその腕が上がっていった。彼はあまり争いは好まない理性的な人であり、舞台の上以外ではその剣技を披露する滅多になかった。旅の風来坊や、剣術師範がたまに狂死郎の力量を見破り、勝負を挑んで来たことが何度かあったが極力戦いは避けようと努めた。
 彼が本格的に戦いに身を投じるようになったのは、師であり、目標でもあった父親が死んだときだった。臨終の前に父親は狂志郎にこう告げた。
「歌舞伎の素晴らしさを世に伝え広めよ。お前の剣技はアマノウズメの舞いのごとく美しい。よいな、狂死郎。歌舞伎を……」」
 それが尊敬する父親の最後の言葉であり、また厳しかった父親から初めて聞いた称賛の言葉でもあった。
「ワシの剣技は舞いのようか。あいわかった、もはやこの狂死郎、戦いを避けようとはせぬ。武術しか知らぬ無骨者を手始めに、歌舞伎の素晴らしさを広めようぞ」
 一座の者も狂死郎の言葉に賛同してくれた。狂死郎の行く場所ならばどこへでもついて行く、とまでいう者も出てくる始末だ。
「その申し出、うれしく思うぞ。歌舞伎の素晴らしさ、皆々に伝え広めようぞ。さあ、出発じゃ!」
 以後、狂死郎は戦いを挑まれて避けることはしなくなった。舞い踊るような剣さばきは以前にもまして美しく、人々の心を引き付けたという。




 (ALLABOUT収録バージョン)
<死と芸術の融合>

 狂志郎は、江戸の町では知らぬ者は無いとまで言われた売れっ子の歌舞伎役者であった。その誰もが振り返る派手な容貌は、著名な浮世絵士達がこぞって描いた、という逸話が残されている。(※1)そもそも「狂志郎」とは座長であった父親の芸名であり、その父が病に倒れた時に息子に譲ったものである。

 「狂志郎」を襲名した彼は、前座長である父を越える歌舞伎を演じねばならぬ、と考えた。当然の事、座を観にくる観客は座長としてのスケールアップした彼の舞を期待するであろう事を、狂志郎は肌で感じ取っていた。そこで彼が思いついたのは、剣技と歌舞伎の融合、というアイデアである。生命を賭けた真剣勝負の緊張感は、歌舞伎の立ち回りにとって大きな利点となるに違いない。そんな事から彼は薙刀を練習し始めたが、思いの外その腕前は上がっていったが、彼はあまり争いは好まぬ理性的な人であり、舞台の上以外ではその剣技を披露する事はまず滅多に無かった。旅の風来坊や剣術師範がたまに狂志郎の力量を見破り、勝負を挑んで来る事があったが、極力戦いは避けようと努めた。(※2)

 そんな狂志郎が本格的に戦いに身を投じるようになったのは、師であり目標でもあった父の死がきっかけであった。臨終の際に父は狂志郎にこう言い残した。
「狂志郎、お前はこの父を遙かに越えた。剣技と歌舞伎、それは死と芸術の融合であり、死に向かう私にはその素晴らしさがはっきりと解る。お前の持つ究極の芸術を世に広めよ。よいな、狂志郎……今のお前にこの名前では器が合わぬな……。……これからは狂死郎、千両狂死郎と改名し、広く名を轟かせるのだ。死と……芸術……それは……人が人を越えて……」
 それが先代「狂志郎」の最後の遺言であり、厳しかった父から初めて聞いた称賛の言葉でもあった。
「死と芸術の融合か……。あいわかった、もはやこの狂志郎、いや狂死郎、もう戦いを避けはせぬ。武術しか知らぬ無骨者を手始めに、狂死郎歌舞伎の素晴らしさ(※3)を広めようぞ!」

 彼の思いに一座の者も感激し、賛同してくれた。狂死郎の行く場所ならば何処へでもついて行く、とまでいう者も多かった。
「狂死郎歌舞伎、決して一人で演じられるものでは無い。皆のその申し出、心からうれしく思うぞ。広く世の人に生と死のうつろいを舞ってみせよう。さあ出発じゃ!」
 以後、狂死郎は戦いを避ける事は無く、舞踊るような剣さばきは以前にも増して美しく、人々の心を魅了したという。

(※1)それらの浮世絵は、後に狂死郎自身の手によって回収され、現在では保存状態が極めて悪い数点しか残されていない。真の歌舞伎道が全く見えていないのにも関わらず、世間からちやほやされていた自分を顧みる事が耐えられなかったようだ。
(※2)戦いを避けようとすればする程、彼の中に内在する剣術家としての資質が様々な武術家を刺激して引き寄せてしまう。必死でのらりくらりと歌舞いたふりをする姿はやや哀れである。
(※3)この日を境に彼の歌舞伎は大きく変化した。戦いの場は即座に大舞台となり、剣の火花は光り輝く照明、吹き出す血潮に狂死郎はエクスタシーを感じた。ただ注意したいのは、彼が血に歓喜するだけの変質者では決してなく、「殺気」「火花」「汗」「血」などを全て演出の一部として舞っているという事。


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