(メストムック収録バージョン)
右京は2回ほど大きくせき込んだ。掌には鮮血が広がっている。「そう長く生きられないだろう」と何度同じことを考えたかしれない。が、「小田桐圭殿に究極の花を渡すまでは死にたくはないものだ」とも考える。それが右京唯一の生への執着であった。
近江にある小さな村に右京は生まれた。落ち武者の末裔である彼は、幼い頃からあまり身体の強い子供ではなかった。また、病弱な右京を見守ってくれた母親も、早くにこの世を去った。立派な侍になってほしいという母の遺言通り、勉学や剣の稽古をしていくうちに、右京は少しづつ丈夫な体を手に入れていった。しかし、それも長くは続かなかった。居合い斬りの達人と呼ばれ、教えを乞う人が現れ始め、剣人としての人生が開けたとき、右京の体は肺病という不治の病に蝕まれていた。
肺病故に肉の落ちた右京の優男風の容貌に魅入られる娘も少なくはない。だが右京にとってその娘達の心遣いも慰めにはならなかった。いつも自分は孤独なのだ、そして一人で死んで行くのだと信じていた。
だが、ある日その考えは一変した。体の弱い母の療養について来た領主の娘である小田桐家息女、圭が右京の前に現れたのだ。穏やかな眼差し、たおやかな物腰のなかにも凛とした表情の彼女に魅かれざるをえなかった。だが、身分が余りにも違うことから会うことすらままならない状況だった。
一度、圭と野道で会ったことがあった。圭は母のために花を摘んでいたのだが、美しい花が切り立った崖の付近に生えており、それをどうしても母に見せたくて立ち止まっていたのだ。右京が代わってその花を摘んでやると、圭はありがとうございますと丁寧に礼を言い、そしてこう付け加えた。
「右京様は花がお好きですか。さりげなく咲く花には心がひかれますね」
その言葉に心を打たれた右京は、彼女に現世一代の花を渡そうと、いろいろな花を求めて訪ね歩いた。知らぬことなきと謳われている武蔵国の老学者が言うには、究極の花は「魔界」の入り口に咲くという。
魔界などという、到底いくことのできない場所にある花を捜し出せたあかつきには、彼女に求婚出来るのではあるまいか?魔界の花を求め歩く、そんな彼もまた、徐々に天草の陰謀の渦へと飲み込まれてゆくのであった。
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