鬼哭島。 人界と魔界の狭間にその島はあった。 人と魔の申し子……不知火一族は、破滅と恐怖をこの世に送り出し、嘆きや狂気を人に植え付けることを喜びとした。 不知火一族きっての優秀な戦士、不知火幻庵は人の弱い心に付け込んでは、戦を起こさせ、殺人の限りを尽くしていた。 不知火幻庵、20歳の夏のことだった。 その年の夏は近年まれにみる猛暑で、生き物たちは木陰に隠れ、日中は蝉の声が響くだけでその他は静かなものだった。 もともと不知火一族は夜行性であり、夕方から夜中にかけて活動する。今年は猛暑を避けるかの如く、住処にしている洞穴の奥の奥まで潜り、外には滅多に出なかった。 だが、その日は珍しく幻庵は外にでることにした。理由などなにもない。ただ、本能がそうさせただけである。 鬼哭島の東、この島に住まう者が塵芥を捨てている貝塚も、ここ数日の猛暑で腐臭がひどく、幻庵は心地よい香りを楽しんでいた。 そこで幻庵は一人の女と出会った。 陰気な笑顔、吐き気さえもよおすその香り、なんという醜女。(※1) その瞬間、幻庵に悪寒が走った。(※2) 幻庵はゆっくりと、その女の方へと歩いていった。 「不知火……幻庵様?」 女はひどく不吉な表情(※3)で幻庵に話しかけて来た。 「貴様はここで何をしているのだケ」 「はい、汚物を捨てにまいりました。幻庵様は汚物がお好きですか? さりげなく捨てられる汚物には心ひかれるものがありますね」 女の名はあざみと言った。 同じ不知火一族でも住まう洞穴が違えば交流はほとんど無い。あざみは幻庵とは違う、火山下の洞穴の女だった。 幻庵はあざみと初対面であったが、あざみは幻庵の事をよく知っていた。なぜなら、幻庵は鬼哭島きっての優秀な戦士であり、不知火の姓を持つ者で幻庵の名を知らないものは一人もいなかった。また、幻庵はその禍々しい容貌、醜く曲がった背中、強靱な生殖能力、狡猾で悪辣な性格と女性に好まれる要素を全て有していた。 幻庵はあざみを嘗めるように見て、こう言った。 「ぬしの入れ歯を洗いたいケ」 「共に魔道に堕ちましょう」 その夜、二人は結ばれた。 一年も待たずして長女ざくろが、そしてもう十ヵ月後には長男むくろが生まれ、幻庵は地獄の炎に焼かれるような快楽を味わっていた。 あの日までは。 「つべこべいわずにかかってらっしゃい!」 アンブロジァを復活させようとする魔物の先遣り「天草四郎時貞」を滅ぼし、自分が魔道の王だと信じていた時であった。均整のとれた肉体を艶やかな衣装で身を包んだ(※4)くノ一が、幻庵に勝負を挑んできたのだ。 天草に勝利した自信が幻庵を慢心させた。 くノ一の繰り出す紅蓮の炎に焼かれ、幻庵はこの世のものでは無くなったのである。 それから一年。色も、音も、匂いもない陰うつな魔界で幻庵は亡者と共に魔界を漂い、アンブロジァの声を聞くのである。 「肉を切り裂き、血が吸いたいだろう。泣き叫ぶ悲鳴が聞きたいだろう。不知火幻庵よ、貴様の肉体を復活させてやるぞ。……代償として、我に従え」 幻庵はその声の主の言うことに従った。 そうして幻庵は新しい肉体を得て、現世に復活をする。家族の元へと戻った時のあざみの喜びようは例えようもなかった。 「幻庵様。もう危険なことはおやめになってください」 「心配はいらないケ。二度と同じあやまちはしないケケケ」 幻庵は再び戦いに身を置く。自らの快楽の為に、愛する妻と子の為に。 (※1)これを普通の感性の言葉に直すなら「こぼれるような笑顔、うっとりするような香り、なんという美女」である。 (※2)これを普通の感性の言葉に直すなら「幻庵に衝撃が走った」要するに一目ぼれである。 (※3)これを普通の感性の言葉に直すなら「ひどく幸せそうな表情で」である。 (※4)これを幻庵の言葉で表すなら「不格好で見窄らしい格好をした」となる。 |
嘆きや狂気、怨念が渦巻く魔界に幻庵はいた。そんな幻庵に「下僕になるなら肉体を復活させてやろう」という声が飛び込んできた。声の主は魔界を掌握する者、と名乗った。幻庵は 「ケケケ……まことに復活できるなら、手下になってもいいケ」 と取り引きに応じつつも、スキを見つけてはその者を倒し、自分が魔界の王にならんと企んでいた。 |