勝負は一瞬にして終わった。 覇王丸の額に、うっすらと赤いアザを残し、柳生十兵衛は、刀を鞘へと戻した。 「お主、なかなかの腕前。だが、精進がたりぬな……修行せい」 生国の武州では誰も覇王丸の腕にかなう者がいなくなり、更に強者を求め、彼方此方を我が物顔で刀を振り回して来た覇王丸であったが、四国土佐の地にて隻眼の剣士、柳生十兵衛に勝負を挑み、瞬く間も無く打ちのめされてしまったのである。 額にアザを残し、生国に戻った覇王丸は、自分が井の中の蛙であったことを深く反省し、その後強者を求めて二度と帰らぬ旅にでた。 狩人すらも滅多に立ち入らぬ飛騨の山奥に荒れた山寺があった。山門は既に原型を止めてはおらず、菌類が我が物顔で根をはっている。 その寺に花諷院和狆という年老いた和尚が一人住んでいた。 昔は名の知れた剣客(※1)であったというが、いまはその穏やかな容貌からは想像もつかない。 今日も和狆は、錫杖を手に日課の散歩に出掛けた。 荒れた山門をなんとかくぐり、獣道になりつつある山道を下る。そうして千年杉の根本にある苔むした地蔵に挨拶を交わした後、側に転がる野仏に話し掛けるのも、また和狆の日課であった。 「おうおう、今日もいい天気よの。ほ、ほ、お前様に友達が出来たようじゃの。真新しい、仏さんが……」 和狆が立ち上がり真新しい野仏に線香をあげようとすると、むくり、と肉塊が動いた。 「腹が減った……」 それを聞いた和狆は長い眉毛を動かし、うれしそうに、 「ほう、ほうほう。生きておる、生きておる」 先まで野仏だった体格のいいざんばら髪の男を軽く持ち上げ、和狆は散歩を中断し住処の荒れ寺、枯華院へと戻って行った。(※2) 和狆和尚に助けられたざんばら髪の男、覇王丸はすぐさま和狆の剣客としての腕に気付き、弟子入りを申し出た。 「ふむ。ふぅむ、弟子入りとな。わしはこの小さな寺の住職。なぁんにもお前様に教えることは出来ぬがの」 和狆が、そう言い終るのを待たずに、覇王丸は持っていた愛刃・河豚毒に手を掛けたが、和狆の錫杖が、一瞬早く河豚毒を押さえた。(※3) 「やめなされ、おやめなされ。年寄りは大事にするものじゃ」 和狆は歯の無い口で笑って覇王丸に尋ねた。 「……お前様、覇王丸と言ったかの。いい眼をしておるのう、半年ほど前にこの寺に住み着いた男がいるのじゃが……手合わせをしてみるか?」 和狆が引き合わせた男は、上背のある筋骨逞しい、何事も否定するような眼が印象的な男であった。 名を牙神幻十郎と言った。 牙神幻十郎も覇王丸の腕を看破したのか、覇王丸を見るなり口の端を吊り上げ、にやりと笑った。(※4) それから数年間、覇王丸は和狆の元で幻十郎と共に修行した。(※5)覇王丸は日を追う毎に腕を上げ、枯華院の釣り鐘を真っ二つに割ってしまったり、裏の林を丸ごと吹き飛ばしてしまったりと、和狆を驚かせた。(※6) 対照的に幻十郎は滅多に刀を振るわなかったが、一度刃を向けた相手には容赦する事無く殺した。しかも幻十郎は命乞いする人間の命までも奪った。 こんなことがあった。さびれた宿場町で幻十郎が地元の無頼の輩共と剣を交えた時、刃向かって来た者はおろか、逃げ出す者すらも斬って殺した。初めて幻十郎が人を殺す所を見た覇王丸は、腑に落ちない表情で幻十郎を見据えた。 「勝負はお前の勝ちだった、殺す必要は無かったんじゃないのか」 「……くだらない人間を殺して何が悪い」 そう幻十郎は言うや、覇王丸に背中を向けてその場を立ち去った。 (この男はかなりの数の人間を殺して来たに違いない) 覇王丸は幻十郎の振るう剣は好きではなかったが、強さは本物だと認めていた。(※8) しばらくして、幻十郎は和狆に破門され枯華院を出て行った。(※9) 「師匠。あいつはまた人を殺すんじゃないのか」 幻十郎が出て行くことによって、また多くの命が奪われるのではないかと心配する覇王丸に、和狆は、 「あやつ自身が変わらねば、この先ずっと修羅道を歩むことになるじゃろう。また、お前様の行く道もまた修羅道じゃて。の、覇王丸」 和狆は笑い、覇王丸は複雑な表情を返した。 覇王丸は和狆の言う「修羅道」という言葉がいつまでも心の中から消えなかった。 (※1)以前この山に迷い込んだ狩人が、狼数十匹に襲われたとき、小柄な老人に助けられたと証言している。 (※2)あの背丈である。持ち上げるというよりは「引きずって行った」が正解である。実際、山門から麓へ数里に渡り、二本の線が残っていた。 (※3)この瞬間見せた和狆の本気を覇王丸は見逃さなかった。この時、覇王丸は「今はまだ勝てない」と悟ったという。 (※4)運命的な出会いである。お互い次に会うときは雌雄を決する時だという事を感じ取っていた。また、覇王丸は身の危険を感じたという。 (※5)修行といっても師匠である和狆は滅多に覇王丸の考え、行動を制限することはなかった。 (※6)釣り鐘を真っ二つに割った技は後に「斬鉄閃」と称される。またこの頃の修行によって「弧月斬」「旋風裂斬」などの必殺技の原型ができあがっていた。また、彼は和狆の寺を出た後、技に改良を重ねて現在の剣技を作り出す。そのために「我流」と名乗る。 (※8)事実、覇王丸も一度殺されかかっている。 (※9)和狆は幻十郎の持つ技と魂が暗黒面に近すぎると危惧して破門した。 |
魔の者による闇打ちを切り抜けた覇王丸は、剣技の師・和狆のもとを訪れる。和狆は話を聞き、 「たしかにお前は強うなった。じゃが、魔性の者と関わるでない」 と忠告したが、それは火に油をそそぐようなものだった。その日、数刻にわたり、師と酒を飲みかわしたあと、覇王丸はふたたび旅にでた。 「修羅道……か」 不敵な笑みを浮かべながら、その一言を残して──。 |