闇に紛れて、二つの影が武家屋敷へと潜り込む。 「……狂死郎、おい。狂死郎」 派手な姿をした男の前に、ざんばら髪の男が話しかける。 「何じゃ、覇王丸。静かにせんと見つかってしまうぞ。おぬしはそうでなくても目立つのだからな」 一見して歌舞伎役者と分かる男が声をひそめながら言う。 お前さんに言われたらお仕舞いだよ、と心の中で思いながら覇王丸はボソリとつまらなそうに言った。 「……犬」 がらがらがらがらがら……かこぉぉぉん、こぉぉん……ころころころ。 と派手な音を立てて火消し桶が転がった。(※1) 「……さすがは歌舞伎役者。転げ方も一味違う」 笑いをこらえながら、覇王丸が言う。 火消し桶に片足を突っ込んだまま、狂死郎は問うた。 「おぬし……わざとやっとらんか……」 「いや、別に……」 それは心外だよ、という顔をしながら覇王丸が答える。 がらり、と障子の開く音がしたかと思うと、二人の男が出て来た。一人は立派な絹の着物を着た侍、そして商人風の男である。 「何奴!」 侍が音のした方向を睨みつけると、派手な衣装を着た歌舞伎役者とざんばら髪の男が言い争っていた。 「おぬしは時と場所を考えんか。おっ?」 「いや〜、すまん、すまん。ん?」 歌舞伎役者は侍と商人に気づくと大見得をきって言った。 「勘定奉行・真壁将監、黒川一座・座長雉之助。ぬしらの悪巧み、全てわかっておるぞ。神妙にいたせい!」 「説得力が無いぞ。狂死郎」 覇王丸が呆れたように言う。 「……お前は確か……千両狂死郎と言う歌舞伎役者だな。お前のような下賎な輩が儂の屋敷に無断で入るとは何事だ。その方ら覚悟は出来ておろうな」 勘定奉行、真壁将監が凄みを効かせながら言う。 ざんっ、と一歩踏み出し、覇王丸は指を鳴らしながら言う。 「ごちゃごちゃとうるせぇんだよ! 娑婆金剛と恐れられた、この覇王丸が相手をしてやる。かかってこい!」 覇王丸の覇気に押され、奉行は後退りながら叫んだ。 「出合え、曲者じゃ! 出合えぇぇぇ!!」 武家屋敷から数十人の侍が出て来て二人を囲む。 狂死郎は世話女房を構え、言った。 「ちと観客は少ないが、この千両狂死郎の舞を披露してくれようぞ!」 話は昨日の夜に溯る。 「狂死郎。実は、お前に折り入って頼みたいことがあるのだ」 鳴神弥九郎はそう言ってきりだした。(※2) 鳴神弥九郎のいる鳴神一座とは、先代狂志郎すなわち狂死郎の父の代から付き合いのある一座で、狂死郎と弥九郎は幼いころからの友人であった。 「そういえば、おぬしの所は一週間前から公演を差し止められていると聞いたが……」 そう尋ねる狂死郎に、弥九郎は表情を曇らせながら答えた。 「そのことだが……」 彼の話によると、一週間前勘定奉行の前で公演を行った際、一座の者が何者かに殺された。その疑いが弥九郎と一座の者に掛けられ、さらに公演の差し止め処分を受けたと……頼みとは、その下手人を見つけて証拠をつかむこと。弥九郎の話では、どうやら勘定奉行の真壁将監と黒川一座が怪しいのだが、相手が奉行では、と涙ながらに言った。 話を聞き終えた狂死郎は、殺された役者は奉行の屋敷で、何かまずいものを見たために殺されたと判断した。 一介の役者ではこの事件はどうにもなるまい…… 「ようし、わかった。弥九郎、この狂死郎に全てをまかせておけい」(※3) 丁度そのとき遊びに来ていた覇王丸(※4)に手助けを頼み、次の日の晩勘定奉行の屋敷に忍び込み、この状況となったのである。 「そうれ、跳尾獅子!」 一度に数人の侍が吹っ飛ばされる。 「おおぅりゃ!」 覇王丸の繰り出した拳をくらってまた何人かが地面に転がる。 一刻も経たないうちに将監と雉之助を残して侍達は倒れていた。 「ぬぅ」 それを見た将監が逃げようとする。 「逃がさぬ、あ、回転曲舞!」 「ぐあぁぁぁっ」 将監は技をまともにくらい、地面に叩きつけられる。 狂死郎は将監の上に乗って見栄をきってみせた。 「あ、討ち取ったりぃぃぃ〜」 その隙をぬって雉之助が逃げようとしていた。 「ぐぎゃっ」 屋敷の裏手へと消えた雉之助が、派手な音を立てて吹き飛ばされて地面に転がる。 「ほう、このような所で珍しい人物に会うものよな」 裏手から現れた隻眼の剣士が、鞘に剣を納めながら言った。 「柳生……十兵衛殿!?」 狂死郎は、突然に現れた十兵衛に対してどう言ってよいのか迷った。 「おお、これはこれは十兵衛殿、久しぶりですな」 わざとらしく挨拶する覇王丸に、十兵衛は溜め息を付きながら、 「おぬしもおったか、覇王丸」 と言った。 「何故、十兵衛殿がここに……?」 「儂も、それが聞きたいが……?」(※5) 狂死郎は今までの経緯を身振り手振りを加え、十兵衛に説明をした。 「なるほどな。ぬしらの言うことはわかった。この者たちの処分は任せてもらおう。それと、その一座の公演処分の件もわしから進言しておこう」 数日後、十兵衛の働きか鳴神一座の興行停止処分は解かれ、事件も無事解決した。(※6) 「これも、みな狂死郎のおかげだな」 狂死郎の手を取り、弥九郎は礼を言った。 「いや。お前と儂の仲ではないか。気にするな。それに好敵手がいないと寂しいのでな」 と、狂死郎は笑いながら言った。 「では、またな狂死郎」 「ああ、お互い真の歌舞伎を目指し、精進しようぞ」 そう言って二人は堅く握手をして別々の道を歩き始めた。 (※1)プロフィールにもあるように狂死郎は大の犬嫌いである。 (※2)狂死郎と弥九郎は親友であり、歌舞伎のライバルであった。弥九郎は江戸一の美形役者と言われていた。 (※3)一介の役者ではどうすることもできない話であり、当然、狂死郎も一介の役者であるが、親友の涙する姿を見て捨ててはおけなかったのである。 (※4)覇王丸を襲った魔物に関することを聞きにきていた。また路銀も尽きていた。 (※5)十兵衛もこの件とは別だが、勘定奉行・真壁将監のことを探っていた。 (※6)江戸一の看板が欲しい黒川雉之助が、勘定奉行・真壁将監に取り入り、他の有力な一座を潰すために仕組んだ罠だった。 |
覇王丸と同じく、狂死郎もまた魔物に狙われていた。魔物は狂死郎の付き人に取り憑き、狂死郎に語りかけてきた。 「貴様の白珠魂、もらった!」 そう言うや否や襲いかかってきたが、狂死郎は華麗な動作でそれをかわすと、逆に魔物を打ちふせた。 「おのれ、あやかしめ。わしの魂、取れるものなら取ってみい」 |