レラ(風)は北へ流れている。 アイヌモシリ(アイヌの土地)、カムイコタン(神の村・集落)の神を祭る宝刀「チチウシ(メノコマキリと総称される婦人用の小刀の一種/メノコ=女、マキリ=刀)」を護る鷹、ママハハは大きな翼を広げ、北へ、北へと向かっていた。 その脚には、自らが護る宝刀チチウシと所有者ナコルルの赤いリボンが括られている。 ママハハの使命はただ一つ、宝刀チチウシを護ること。そのため、チチウシを使用するラメトク(勇者・戦士)には献身的に仕えるが、一度所有者が命を落とせば、次の所有者へと宝刀を授ける為、カムイコタンへと持ち帰るのだ。 今、ママハハが仕えるべきラメトク(勇者・戦士)ナコルルは、ママハハの側にはいなかった。 カムイコタンではナコルルのたった一人の妹、リムルルがサポ(姉)の帰りを待ち侘びていた。 聞こえなくなった大自然の声が僅かに聞こえてくる。 リムルルはナコルルサポ(ナコルル姉さん)が大自然の魂を飲み込んでいたウェンカムイ(悪神)を倒したことに気付いていた。 妹、リムルルもナコルルサポの力には及ばないが、大自然の声を聴くト゜ス(巫術)(※1)のウェインカル(観自在・透視術)力を有していたのだ。 「ねえさん、早く、早く帰って来てください」 リムルルは不安が消せなかった。 大自然の声が確かに戻ってきてはいるが、ナコルルの気がつかめない。とても遠くにいるような、しかし近くにあるような、そんな気がしてならないのだ。 「……ねえさんが帰って来たら、また木の実を一緒に拾いにいこう。山の上の湖に行って、それから、それから……」 リムルルは不安を何とかかき消そうと、楽しい事を考え始めた。 リムルルにとってナコルルはあこがれと尊敬の対象だった。両親が亡くなってからは、リムルルはナコルルといつも一緒にいた。リムルルはナコルルに寂しくないよう、辛くないようにと、護ってもらった。大自然と会話を交わす方法も、基本的な護身術(※2)も全てナコルルに教えてもらった。いつも「ねえさんのようになりたい」がリムルルの口癖だった。 大きな羽音を鳴らして、一羽の大きな鳥がリムルルの元に舞い降りた。その足には小刀(メノコマキリ)と紅い布が巻かれてあった。 「ねえさん……!」 鷹はリムルルの小さな肩に止まり、二度鳴いた。 しっかりと宝刀チチウシを握り締め、リムルルの瞳からは止まる事なく涙が溢れ続けた。姉は、もう二度と帰って来ないのだ。もう笑い掛けてはくれないのだ。 ……どうか、悲しまないで…… どこかでナコルルの声が聞こえた。 「ねえさん……?」 リムルルは顔を上げ、姉の姿を探した。確かに姉は近くにいる。 ……一緒に笑うことはできないけれど……木々や野をかける風のなかに私はいます……リムルル、みんなと頑張って…… 「ねえさん!」 リムルルは涙を一生懸命拭い、 「……うん。頑張る。みんなと、頑張るから……ねえさん、いつもそばにいてくれるよね。いつも、答えてくれるよね……」 リムルルの言葉(※3)は、あたたかい春の風の中へと流れていった。 風の中で姉がいつものように笑いかけてくれているような気がした。 (※1)アイヌ語でtu(トゥ)をカナ一文字で表記する方法として「ト゜」もしくは「ツ゜」が使われている。 (※2)もちろんシカンナカムイ流刀舞術である。 (※3)アイヌ民族に伝わるイヨイタコッテ(注:死者をあの世へと導く言葉) |
朝もやのかかる白樺の木立のなか、少女は静かに目を閉じた。いつもと同じように、意識を開放させ、自然と対話する。だが、その日はちがった。自然の声が聞こえないのである。それは、まるで「あのとき」のように……。 「一体どうして……?いけない!自然の魂が魔界に吸い取られているわ……急がなくては……。さぁ、行こう。ママハハ!」 |