「柳生十兵衛様、おなつかしゅうございます」 「飯倉、小太郎……か」 3年ぶりに再会した門弟の容貌は大きく変わっていた。 魔の者は去り、隻眼の剣士、柳生十兵衛は将軍より労いの言葉を頂戴し、僅かながらも休暇を与えられ懐かしい故郷の柳生の里へ戻るため、東海道を上っていた。 途中、熱海を過ぎたあたりで、突然のにわか雨に見舞われ無人の作業小屋で雨をしのいでいると、同じように雨宿りをする浪人がいたのである。 その浪人の顔を見たとき、十兵衛は驚かずにいられなかった。 3年前、十兵衛の道場で柳生新陰流・改を学んでいた門弟の一人、飯倉小太郎であったのである。 飯倉の家は古くから柳生家に仕える身であり、飯倉小太郎も幼少の頃から柳生の道場に通っていた。太刀筋もなかなかよく、その明るい性格は人をなごませた。その飯倉小太郎が突然失踪したのである。十兵衛が特に目をかけていた剣士であったので、そのときの十兵衛の驚きは例えようもなかった。 「飯倉、おぬし……」 「十兵衛様、こんなところでお目にかかれようとは、思ってもみませんでした……」 ──3年前。 老中、田沼意次の御前試合で柳生新陰流・改の代表として、柳生十兵衛に命じられ、飯倉小太郎は試合に望むこととなった。 その時の相手は、高田馬場にある一刀流の道場に通う、大名の子息であったが、飯倉は自ら学ぶ柳生新陰流・改に恥じる事なく剣を振るい、勝利した。 そして飯倉は闇討ちにあった。 闇討ちの犯人は調べるまでもなかった。大名が子息に恥をかかせたことを恨みに思い、将軍家指南役であり公儀隠密の柳生の家の者に圧力をかける訳にもいかず、直接飯倉の暗殺を図ったのである。 飯倉は優れた剣士であった。 闇に閃光が一つ……二つ………三つ…………そして血の匂いが漂い、飯倉は逃げた。 大名の手の者を殺し、このままでは柳生家や十兵衛に迷惑がかかると思った飯倉の配慮であった。 「飯倉、戻って来い。そなたに罪はない。あの後、お主を襲った者たちには厳重な処罰が下った。だれもそなたを責める者はおらぬ……」 「十兵衛様……」 飯倉は十兵衛の言葉に心を打たれ、涙を流した。そして一寸俯き、 「十兵衛様、御免!」 飯倉は刃を抜いた。一瞬の鋭い突きを十兵衛はかわしきれず、刃を抜いた。 人を斬り慣れた飯倉の剣に、十兵衛は本気で立ち向かうしか術はなかった。 「ハァッ!」 十兵衛の脇差が飯倉の腹部を貫いた。 「十兵衛様……」 「飯倉!」 飯倉小太郎は倒れた。腹部から大量に血が流れる。 「これで……よいのです。十兵衛様に討たれて私は幸せものです……」 「ばかな、そなたに罪はないのだ。死を選ばずともよかったものを……」 「……あれから、わたしは多くの人を斬りました。柳生の名を汚しました……これで……よいのです……」 最後の言葉は十兵衛には届かなかった。 「飯倉!」 飯倉小太郎は死んだ。満足そうな安らかな死に顔であった。 十兵衛は飯倉小太郎の亡骸を火葬し、柳生の里へと持ち帰り、手厚く葬った。 「飯倉よ、そなたは今際のきわまで柳生の剣士であった。誇りに思うぞ……」 風で笹の葉が揺れる。暖かい午後であった。 |
城下を騒がした男「怪人 由比正雪」とは、魔性に取り憑かれているもだった。天草を倒したが、正雪をはじめとする魔性の者は、まだ現世にいるのだ。時の将軍、徳川家斉は事のしだいを重く解釈し、十兵衛に魔物討伐の命を下した。 「柳生新陰流・改にかなうものなどおらぬわ!」 だが、十兵衛もまた、魔性の者に魂を狙われていた。 |