離天京は、もともとは、幕府が江戸近海の小島に無宿者たちを更正させる場として作った「牢人街」であった。 それがいつの頃から、収容した犯罪者達を制御しきれなくなり、「牢人街」は無法者の楽園とでもいうべき町に変容していた。 幕府は、無法者達を小島から出さないことだけで手一杯であり、その小島はいつしか「離天京」と呼ばれるようになっていた。 幕府直轄の地でありながら、幕府の手の及ばない離天京。そこに目をつけたのが「覇業三刃衆」をはじめとする反幕府組織である。 現在の離天京は、表港である伍苦門以外は(基本的に)閉鎖されている。是衒街や暁村など全て高い塀に囲われ、伍苦門以外から外に出ることは不可能(ということになっている)。 |
離天京の主な地名
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