◆初代で犯した罪への罰
服部半蔵は、初代で忍として大きな罪を犯している。
「私情を持って刃を振るった」ことがそれであるが、特に問題なのは「何の任も受けず、伊賀忍の指揮系統外で独断で行動したこと」である。平たく言えば、抜け忍となったことである。
#「服部半蔵」という特殊な立場上、ある程度の独断専行は許されるだろうが、初代での行動は
#許される範囲を超えているだろう。
抜け忍になれば追われる立場になり、いずれ殺される。それが一般的な考え方であり、同じサムライシリーズでも蒼月に追われる火月という例がある。
ところが、である。
服部半蔵という忍にはそれがない。初代以降も何もなかったかのように昔と同じ立場であり続けている(様に少なくとも見える)。
これは何故だろう?
初代EDで伊賀忍達が半蔵殿の自害を止めている。あれから察するに下の者にかなり慕われていたようであるから、その辺りから待ったがかかったと考えられる。下の意見など無視されがちであろうが、それがあまりに多い意見であればおいそれと無視もできないだろう。
それに、腐ってもあの忍は「服部半蔵」である。問題を起こしたから始末しました、では伊賀衆の体面が保てなくなるだろう。だから敢えて罪を問わなかったとも考えられる。外から見る限りは、世に破滅をもたらそうとした者を討った(あるいは討つのに力を尽くした)ようにしか見えないだろうし。
また、その力は伊賀衆最強を謳われるものであり、それを惜しむところもあったに違いない。
つまり、こういうことだったのではないだろうか。
「安易に死という罰など与えてやらぬ。『服部半蔵』として斃れる日まで力を尽くせ」
それが罰だった。
事実、斬紅郎の件、天草の降臨の件、羅将神ミヅキの件に壊帝ユガの一連の事件と服部半蔵は過酷な任に向かい続けているのだから。
#近しい立場である公儀隠密の柳生十兵衛が絡んでないこともあるというのに、という見方から。
#十兵衛本人の意向は無視だろうけどね(笑)。
ところで、初代EDで半蔵殿は自害しようとした。
これは我が子を我が手で死に至らしめたという悔恨と自責によるものであると同時に、抜け忍という我が身への始末ではなかったかとも今にしては思う。
#「服部半蔵」の勝手な振る舞いが彼の愛する家族や、近しい部下達の立場を悪くする
#(かもしれない)事を考えないほど浅慮ではないだろうから。