昔の考察とか妄想とか煩悩とか 弐


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◇生年月日に関する一考察
◇半蔵殿より偉い人
◇半蔵殿は上忍か?
◇初代で犯した罪への罰
◇「服部半蔵」という名に関する一考察
◇こころのかたち(基本性格)
◇こころのかたち(家族・友人への想い)

◆生年月日に関する一考察
 ご存じの通り、半蔵殿の生年月日は不明です。
 年齢のみ推定で示されています。この推定年齢から、生年も推定できますが(1754年(宝暦4年))。
 しかし、生まれた月日もある程度絞れるのではないかと最近気づきました。
 鍵は、初代、新、天での半蔵殿の推定年齢です。
 初代:34歳(推定)
 真:35歳(推定)
 天:34歳(推定)
 おもしろいことに気づきませんか?
 天の方が真より若いんです。
 ここで、「作中時間では真は天より後なのだから、真の時に天より年を取っていてもおかしくはない」と考えるのは早計です。いえ、その考え自体はあっているんですが。
 初代は1788年、真は1789年、そして天も1789年なのです。
 公式年表では、天も1788年のことと言い張ってますが、それは誤りです。
 天のOP文章冒頭を思い出してみましょう。

 一七八九年 寛政の改革が圧迫せし頃

 はい、天は1789年ですね。
 零公式サイトでの、天の紹介でも1789年と書いてあります。しかし、年表は1788年となっています。これは年表が間違っているとしか言いようがありません。
 公式年表では、1788年秋から冬の間に天があったように書いてあります。天が冬の事件であることは間違いなさそうなので、公式も立てつつ、1788から1789年の冬のことと(例えば88年11月〜89年2月ぐらいとか)考えればいいような気がします。1788年秋ぐらいから予兆があったという事で。

 さて、初代の話は、1788年の春先から初夏にかけての話であるとなっています。
 斬は夏から秋。
 いつ見ても、短期間に事件起き過ぎですが、まあ気にしない。
 天が88〜89年冬。
 真が春〜夏。

 以上のデータを簡単にまとめましょう。
 初代:34歳(推定)  1788年春先〜初夏
 天 :34歳(推定)  1788年冬〜1789年冬
 真 :35歳(推定)  1789年春〜夏

 天が下手すると丸一年の出来事のように見えますが、せいぜい2月ぐらいまでのことでしょう(普通に一年で考えると、日本の季節は冬春夏秋冬ですよな)。
 このまとめから、半蔵殿の誕生日は3〜8月辺りと考えられます。

 ……なんだか全然絞れてないですね。
 更についでに、他のキャラの年齢を見ると、こういうことが全く考えられていないのがまるわかりです。
 真は春〜夏のことなのに、真の段階で9月生の覇王丸は26歳です。もっというと、12月生のガルフォードが21歳になっています(初代では覇王丸25歳、ガルフォード20歳)。
 ……だめじゃん。
 旧暦で数え年で数えているからという見方もできません。SNKのキャラはみんな満年齢で考えることになっているからです。
 だいたい、真が春から夏の癖に、十兵衛ステージでは雪が降ってるんですよね。異変の影響とでも言い張る気か!
 ……何か無駄なことを考察した気もしますが、こういう推理もありますよということと、半蔵殿の年齢設定が実はおかしかったということで一つ。

◆半蔵殿より偉い人
 侍魂の服部半蔵を多くの場合、伊賀忍群の頭領、首領、お屋形…なんでも構わないがとにかく一番偉い人物としているが、実は誤りである。
 それは初代の公式ストーリーで、はっきり書かれている。
 公式ストーリーの中で半蔵殿は「伊賀忍群の頭領に呼ばれて」修行中の真蔵の元から離れている。決して幕臣の誰かに呼ばれたわけではない。初代の公式ストーリーは後に多量の注釈をつけるなどの改稿がなされているが、このポイントは変わっていない。つまり、伊賀忍群には、半蔵より立場が上の者が存在している。

◆半蔵殿は上忍か?
 さて、伊賀忍群で一番偉いわけではない半蔵殿である。
 では、伊賀忍群ではどれぐらいの地位にあるのだろうか?

 一般的(史実とはいわない)に、忍者の地位というのは「上忍」「中忍」「下忍」の三つに別れるといわれている。
 わかりやすく且つ安直な説明をすると、
 上忍:司令官、管理職。
 中忍:部隊長、中間管理職。
 下忍:一兵卒、平社員。
 上忍は基本的に任に赴かずに采配し、中忍と下忍が任に出る。
 しかし、厳密にいってしまうと上忍とは「煙の末」、つまり「音なく、匂いなく、知名なく、勇名もなし。その功天地造化の如し」といわれる存在であり、忍の理想の姿を指し、実際には組織に位置づけられるものではない。
 だがとりあえず、「上忍=理想の忍像」という説はここではおいておき「上忍=一つの忍群を統べる地位」とする。

 と、すると。
 常に危険な任を授かり、最前線で戦っている侍魂シリーズの服部半蔵が上忍であるはずがない。
 また、我が子を救うためという私情で勝手な行動に走っているのも、上忍にあるまじき行為である。組織の、しかも忍の長に立つ者がなにもかもを簡単に捨てていってはならない。長の背には伊賀衆全ての命運がかかっているのだから。
 侍魂の服部半蔵が浅慮な質であるという考え方もできるが、それは流石に辛いので(笑)それほど重い責任を持った立場では無いという考え方を取りたいと思う。
#深く物を考える質でない気は確かにするんだけどなぁ(笑)。

 それでも「服部半蔵」という名である以上、下忍ではないだろう。その名の重さも加味して、上忍に近い中忍的立場と思われる。


◆初代で犯した罪への罰
 服部半蔵は、初代で忍として大きな罪を犯している。
 「私情を持って刃を振るった」ことがそれであるが、特に問題なのは「何の任も受けず、伊賀忍の指揮系統外で独断で行動したこと」である。平たく言えば、抜け忍となったことである。
#「服部半蔵」という特殊な立場上、ある程度の独断専行は許されるだろうが、初代での行動は
#許される範囲を超えているだろう。
 抜け忍になれば追われる立場になり、いずれ殺される。それが一般的な考え方であり、同じサムライシリーズでも蒼月に追われる火月という例がある。
 ところが、である。
 服部半蔵という忍にはそれがない。初代以降も何もなかったかのように昔と同じ立場であり続けている(様に少なくとも見える)。
 これは何故だろう?

 初代EDで伊賀忍達が半蔵殿の自害を止めている。あれから察するに下の者にかなり慕われていたようであるから、その辺りから待ったがかかったと考えられる。下の意見など無視されがちであろうが、それがあまりに多い意見であればおいそれと無視もできないだろう。
 それに、腐ってもあの忍は「服部半蔵」である。問題を起こしたから始末しました、では伊賀衆の体面が保てなくなるだろう。だから敢えて罪を問わなかったとも考えられる。外から見る限りは、世に破滅をもたらそうとした者を討った(あるいは討つのに力を尽くした)ようにしか見えないだろうし。
 また、その力は伊賀衆最強を謳われるものであり、それを惜しむところもあったに違いない。

 つまり、こういうことだったのではないだろうか。
 「安易に死という罰など与えてやらぬ。『服部半蔵』として斃れる日まで力を尽くせ」
 それが罰だった。
 事実、斬紅郎の件、天草の降臨の件、羅将神ミヅキの件に壊帝ユガの一連の事件と服部半蔵は過酷な任に向かい続けているのだから。
#近しい立場である公儀隠密の柳生十兵衛が絡んでないこともあるというのに、という見方から。
#十兵衛本人の意向は無視だろうけどね(笑)。

 ところで、初代EDで半蔵殿は自害しようとした。
 これは我が子を我が手で死に至らしめたという悔恨と自責によるものであると同時に、抜け忍という我が身への始末ではなかったかとも今にしては思う。
#「服部半蔵」の勝手な振る舞いが彼の愛する家族や、近しい部下達の立場を悪くする
#(かもしれない)事を考えないほど浅慮ではないだろうから。


◆「服部半蔵」という名に関する一考察
 歴史的な観点から眺めやると、服部半蔵の名は確かに伊賀衆を束ねる名であり、受け継がれていったものらしい。
 しかし名高い半蔵正成の子、半蔵正就(これも「まさなり」と読む)はその横暴さと浅慮の為に服部家の本家を取り潰させてしまったような奴であり、伊賀衆にも嫌われていたらしい(ほぼ謀反といえる事件を起こされている)。
 このようなところから、正就以降の「服部半蔵」という名に「飾り」以上の価値は、無かった、与えられなかったと考える余地ができる。名に実を与えることの危険性を伊賀衆も幕府も痛いほど理解しただろうから。
 それでも尊ぶことは尊ぶし、その名を受けてきた者が培ってきたに違いない「伊賀衆最強の忍」という事実が間違いなく「服部半蔵」という名を聞く者に畏れをもたらしているだろう。

 そういうわけで当「煙の末」内では、百地、藤林(伊賀三大忍家の残りの二つ)が伊賀衆を統括し、「服部半蔵」の名はそのために利用されるもの、ということにしている(つまり今の日本の天皇さんのような立場)。


◆こころのかたち(基本性格)
 口数少なく、感情を表にすることは少ない。冷酷なまでに沈着冷静。
 これが一応服部半蔵像であり、それで世の中通っている。
 が。
 ゲーム中、物語中の行動はそう見えないことが多い。
 台詞には激しい感情を見せた物が少なくないし、そもそも我が子が怨霊に憑かれたのを救うために抜け忍になるような人である。かなり直情で激情家な部分がそこからは見える。
 また、一人で何もかもを片づけようとする部分も見える(斬紅郎の件、天草の件)。
#こういったところも司令官向きではあまりない。

 しかし其の一方、天草降臨の時には任を優先している。それは、初代の時よりも冷静になっていること、任を果たすことが息子を救う手がかりを得ることが予測されることなどが理由として考えられる。
 理を通せば自分を抑えられる人でもあることがこの辺りからは窺える。

 つまり、本来は熱血型の性格であるが、理性でそれを制御できる人であるということである。
 リミッターは案外簡単に外れそうであるが(笑)。


◆こころのかたち(家族・友人への想い)
 わざわざ宝物に上げるぐらいであるから、半蔵殿が家族を愛していることだけは間違いがない。
 斬紅郎に対しても、斬のED、天の斬紅郎戦前台詞を見るに友情を持っていたことは間違いない。
#「懐かしき姿形だからこそ、この手で冥府へ送ろうぞ(うろ覚え)」。名言である。
 しかし口数少なく、(普段は)感情を示すことが少ない人である。
 はっきりそれとわからない示し方だったのだろう。近しい者達だけがわかる、優しさだったり思いやりだったり……ただ、はっきりと示さない、そのことがおそらく真蔵が天草の誘惑に屈した一因だったに違いない。
 父の本心はわかりすぎるほどにわかっていても、あの一瞬にすがるには頼りないものだったのではないだろうか。

 この話はその内妄想煩悩全開でもう一度書く。たぶん(笑)。


注:火鳥颯の個人的見解、つまりは一つの見方なので真に受けないでくださいませ(笑)。