鬼半蔵 弐


 右膝と右手を地につき、左膝の上に左手を置く。軽く顔は伏せる。
 その姿勢で、言葉を待つ。
 縁に立った伊織は、庭の半蔵を見下ろしながら、首筋に手を置いた。
 その辺りの空気がざわついている気がする。半蔵に命を下すときは、他の者の時とは違う、独特の緊張感があるものだが、今のそれはさらに異なっている。
 原因は容易に推測できるが。
――楓殿……か。
 だが伊織は手を下ろし、腕を組むと、いつも通りにいつもとは異なる命を下した。
「『鬼』が現れた。帯刀するものを襲い、殺しているそうだ。それを『討て』。
 お前一人でな」
「『討て』、と」
 顔を伏せたまま低く、しかしよく通る声で、言う。
「そうだ」
「忍に、『討て』と」
「あれだけのことをしでかしたモノだ。闇に葬るわけにはいかん。故に、『討て』」
「……その後は」
 半蔵は知っている。その命の意味を。己がしでかしたことがもたらした結果を。
 そして伊織も、半蔵が知っていることを知っている。
 それでもせねばならぬやり取りであった。
「何も、変わりない」
 伊織は言った。
「戻ることができればよし。できねばそれまで」
「どちらを」
「儂の決めることではない」
「……承知」
 答える。
「まずは近江へ。最近姿を現したとの報がある」
「御意。
 されどいくつか、尋ねたき儀がございます」
「何か」
「鬼は、帯刀する者のみを殺めている、と」
「そうらしい。人相書きは、その場に居合わせた無刀の者達によって作られたそうだ」
「いま一つ……」
 すうっと半蔵は顔を上げる。
 ……ぱしゃっ
 水が跳ねる。小さく跳ねる。
 そのせいだろうか。ほんの一呼吸、半蔵の言葉は遅れた。
「…同行の者のことですが」
「ならん」
 その一呼吸分早く、伊織の目は半蔵の目を捕らえている。
「これは命である」
「……御意……」
 先ほどよりも低い声が、戻った。

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