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てん てん てん 闇が在った。 銀が疾った。 紅が散った。 てん てん てん 向かい合う目の中に映し出されるように。 岸に寄せる漣のように。 山々を渡る木霊のように。 てん てん てん 繰り返される。 てん てん てん 在り。 疾り。 散り。 てん てん てん そこに舞う てん てん てん むげん てん てん てん その中に立つ一つの巨大な影を朱く染まった半分の視界の中に視た。 「……こそ……、……に………す……」 ――ナンダ? 低く重い声は伝わる。だが、音が意味をなさない。 「………………、………………………」 ――ナニヲ、イイタイ? 「………!」 ――!? 魂を砕かれるかと思うほどの強い『こえ』。 だがそれは同時に、たまらなく懐かしい、『声』。 「ひとぉつ にいさま てんてんてん おやまのむこうへ てんてんてん」 ――………… 「ふたぁつ かあさま てんてんてん ほしがながれて てんてんてん」 ――………… 「みぃっつ とうさま てんてんてん あめがざあざあ てんてんてん」 己の目が覚めていたことに、半蔵は気づいた。 表の方からは毬をつく音と、童女の歌う声が聞こえてくる。 ――詩織か……? いつの間に? 昨夜、詩織はあのまま寝てしまい、それでも半蔵から手を離さずにいたのである。その手を取ることはたやすかったが、半蔵はそのまま同じ布団で休んだのであった。 しかし今、布団の中に詩織はいない。そして、外から聞こえる歌声の主は、間違いなく詩織だ。 詩織の枕になっていた右腕に軽いしびれを感じるから、童女が布団を出たのはそう前ではないだろう。だが詩織がいつ、床から出ていったのかはわからない。 ――それほど疲れていたか……? 妖しの空間で破沙羅と戦い、傷も受けた。だから疲労がなかったとは、言わない。だが、詩織が床から出ていくのに気づかぬほどの疲労だったとは思えない。 ――……夢の……せいか…… 体を起こし、左肩に触れる。こうしている分には痛みはほとんどない。 『いたいの、いたいの、とーんでけ!』 真剣な顔で、詩織は言った。ただその言葉だけだ。楓のように癒しの力があるわけでもない。それでも、何か軽くなったような気は、した…… ――………… 一つの言葉がきっかけに、昨夜詩織の言ったことが次々に思い出される。 『ひとりは、さみしいの』 『おじちゃんはおんなじで、ちがうから、だから』 ――儂に行け、と…いや。 『おねがいがあるの』 そう言ったのに、詩織は半蔵に何も望まなかった。ただ自分の望みと想いだけを伝えてきた。 『きめてるの』 ――だから、か。 きし、と板がきしむ音に、顔を向ける。 障子に影が映る。閑丸のものだ。 「半蔵さん……?」 障子が開き、顔を覗かせる。昨夜と比べると、ずっと落ち着いた様子になっている。陰が目にあるのが見えるが、昨日のことを考えると無理もあるまい。 「……どうした?」 「あの、朝餉の支度が出来たから……」 「そうか」 頷いて、半蔵は立った。 朝餉の後、日が高く昇る前に半蔵達は村を出た。 「気ぃつけてな」 にかと笑んだ三汰に、無言で半蔵は頷く。 「他の子らも見送りに来させたかったが……にぎやか過ぎるのは、困るだろ」 三汰の側には、赤い毬を抱いた詩織だけがいる。どうしても、と言って聞かなかったらしい。 「そうですね……」 少し寂しげに、楓は言った。 子供達が来れば、ただにぎやかになるのではない。きっと、子供達の顔は涙に濡れるだろう。それでは自分も、別れが辛くなる。 「世話をかけた」 そんな楓に軽く目をやってから、半蔵は三汰に軽く頭を下げた。 「……いいや」 苦笑しながらも、三汰は首を振った。 「結局俺らは何にもしてないからな。 でも、楽しかったぜ。客人が来るのは、やっぱりいいもんだ」 言った三汰の目に、ちらりと望郷にも似た想いが見えた。旅から旅に生きてきた御楽衆には、一つところにとどまった生活が重くなることもあるのだろう。 ――それでも彼らは、ここにいる。 ここで為すべき事を彼らは見つけ、為すことを決めたのだから。 「それで、ここに来たんはなんか役に立ったか?」 「うむ」 まだはっきりとはしていない。「決めていること」もつかめてはいない。それでも、己が何が出来ることが何であるかは思い出せた。 それは、ずっとわかっていたはずのことであったのに。 「そうか、それはよかった」 返事の戻りの速さと半蔵の顔に、にか、ともう一つ三汰は笑う。 村に来てからずっと、ほとんど変わることの無かった、表情らしい表情のない、顔だったのだけれども。それでも、何か違ったように三汰には思えた。 庫にしまわれたままの器と、楽のために出された器ほどの、違いなのだが。 「あの……三汰さん」 その笑みに、後押しされるように、閑丸は声を出した。 「ん?」 「お世話になりました」 頭を下げる閑丸の背にある宝刀は、まだ包まれたままだ。村から十分に離れてからはずしてくれと頼まれている。 「いや。よく眠れたようだな」 「はい」 頷いた閑丸の表情は、安堵と不安が入り交じった、奇妙な物だった。 「どうした……?」 「……いえ」 黒い大きな目が、呼ばれたように半蔵の方に向けられる。不安の色が強くなったような、気がする。 その視線の先で、とと、と詩織は数歩前に出た。言葉にすれば閑丸と同じ、だが違う大きな黒い目で、また、見上げる。 「……おじちゃん」 半蔵が視線を向けると、 「これ」 詩織は毬を持った両手を、うん、と半蔵に差し伸ばした。 「あげる。しおいのだから」 言葉を区切るたびに、きゅう、と唇を一文字に結び、目を大きく見開く。 「しおいの、だから」 ふると、黒い目が揺れる。 詩織が泣くのをこらえているのだと、ようやく半蔵は気づいた。 唇を結んで声を抑え、目を開いて涙を抑え。 童女は赤い毬を半蔵に差し出した。 「うん」 頷いて、右手で毬を受け取る。 そして、片膝をついて左手をそっと、昨夜のように詩織の頭に置いた。 「……おじ…ちゃん…………」 ぽろ、と大きな目から涙がこぼれ落ちる。だがその顔は嬉しそうににっこりと微笑んだ。 「あったかい……」 やはり昨夜と同じように、半蔵の手に自分の手を重ねる。 「詩織」 「なあに?」 「儂は、行けばよいのだな」 「……ん」 「その後は」 「きめてるの」 「……そうか」 「うんっ」 詩織は半蔵の手を頭から下ろし、半蔵の方に押し返した。 「しおいは、だいじょぶ。だから」 ね、と詩織は首を軽く傾げた。 半蔵は、その頬の涙を拭ってやった。 |