手毬歌 弐


 男は三人を、村ではなく、少し離れた一軒の小屋に案内した。村から隠れるようにあるその小屋の周りには、人の気配はまるでない。しかし中に入ってみると生活感があり、たびたびここが使われていることが感じられる。
 男に促されるままに、半蔵達は囲炉裏を囲むように座った。残った一辺―ちょうど半蔵と対面する位置に男が座る。
「ここならゆっくり話もできる……いってててて……まだ痛むな」
 軽く右腕を回してみながら、男はぼやいた。
 閑丸は半蔵の様子をうかがってみたが、全く意に介した様子はない。
「なぁに、実際のところはたいしたこと無いんだけどな。筋を違えたぐらいだろ」
 閑丸の困ったような心配しているような目に、男はにかにかと笑ってみせる。
「え?」
「俺が殺る気がなかったのを、ちゃんとわかっていたってことさ。
 流石だぜ」
 言った男のその目は実に楽しそうだった。
「そうなんですか?」
「そ。
 ……ああ」
 頷いたその目が、楓に止まる。楓はちょうど脱いだ笠を、脇に置いたところだった。
「……はい?」
「いや。
 さて、と」
 男は背を伸ばすと、半蔵をまっすぐに見た。
「俺は鼓の三汰。御楽衆の一人だ。あの村を預かる身でもある。一応な」
「御楽衆……偸組の末か」
「ああ」
「ぬすみ……ぐみ?」
「その昔、加賀の開祖前田利家公、次の利長公にお仕えした忍群のことさ。いまはもうないけどな」
 一人きょとん、とした閑丸に、三汰は簡単に説明した。
 天正伊賀の乱の敗北により、伊賀忍達は故郷を追われ、全国にちりぢりに散った。しかしその高い実力は広く知れ渡っており、様々な大名が競って伊賀忍を雇い入れたのである。前田利家も、その一人であった。前田家に入った伊賀忍は「偸組」と呼ばれ、大いに働いた。
 しかし時を経て徳川家が天下を制すると、藩が私に忍を抱えることはいらぬ詮索の種となる。前田家は徳川の忠実な臣下、忍をもってすることなど何もない、そのことを示さねばならぬと考えた前田利長によって、偸組は解散されたのであった。
 することをなくした忍達の多くは、野に下ることを決めた。影から出で、忍具の代わりに楽を携え、彼らは諸国を巡ることとしたのだ。
「自由に生きよと利長公は言われたという。だから、俺達はそうすることにしたのさ」
「なれど、いまだに藩主に目通りしていると聞いたが」
 僅かに低く落とした声で、半蔵は言った。
「昔からの習いにすぎないぜ。我らが真に楽の者となったことを示すべく、年に一度、藩主様の前で楽を披露する。ただそれだけのこと。
 俺達が旅で見た物をお話し申し上げることも、あるけどな」
 にやりと笑みの形に、三汰の唇が歪む。
「なるほど」
 半蔵は表情―らしい表情のない表情なのだが―を変えず、ただ頷く。
 だが二人の交わす言葉、視線、漂わす雰囲気の中には微妙な緊張が横たわっていた。
 それが気になって、閑丸は落ち着きなく二人を見比べていた。
 それに。
――『忍』……って、半蔵さんも?
 三汰は忍の末という。それをなんでもないことのように聞き、話す半蔵は、ではなんなのか。それに三汰は自分と半蔵が近い者であるかのような口振りである。
――『忍』……
 忍ならば、『鬼』のことを知っているのも当然かもしれない。
――つまり……半蔵さんが『鬼』を追い、知っているのは、忍の役目だからというだけ……?
――違う、違うよっ。
 ぶんぶんと閑丸は首を振る。
 それだけであるはずがない。、初めて会ったときのあの様子、破沙羅というこの世ならざるモノの存在……半蔵は、『忍』であること以外のわけで『鬼』を知り、『鬼』を追っているに違いない。
――そうでなければ……
 そうで、なければ。
――なければ?
「……閑丸さん?」
「え?」
 声に目を上げれば、心配そうな楓の顔が見えた。三汰も半蔵も、会話を止めて閑丸を見ている。
「どうした、顔色が悪いぜ」
「あ……いえ、なんでもありません」
「そうか?」
 閑丸は頭を振ったが、三汰は納得していない様子である。
「ほんとに、なんでもないですから」
「それならいいけどよ……」
「それで」
 変わらぬ様子で、半蔵が口を開いた。
 閑丸はほっと息をつく。
「あ?」
 三汰が上げた声には、不機嫌な響きがはっきりと宿っていた。
「何故御楽衆が村を預かる」
 三汰の様子には全く構わず、問う。
「………『鬼』だ」
 一度、不愉快そうに眉をひそめたが、三汰は答えた。
「『鬼』」
「ああ。もう五年も前になるか。あの『鬼』が村々を襲った事が原因だ。
 あの時、『鬼』に襲われた村の村人全てが殺されたわけじゃない。どうも『鬼』は殺すために襲ったってわけじゃなかったようなんだよな。俺も襲われた村を見たが……あれは「暴れた」だけのように見えた。『鬼』という嵐が村を襲い暴れて去った、という風にな。襲われた方にしてみれば、あれが何だろうと災厄でしかないが」
――…嵐……けもの……
 同じものを、半蔵や弥六は「けもの」と言い、この三汰は「嵐」と言った。例えるものは違えど、感じたものは同じだ。『鬼』は理由もなく、目的もなく、ただ剣を振るっていたに過ぎないと。その刃の先に何があるのか、何がないのかなど、見ず、感じず、考えもしていなかったはずだ。
――なればこそ。
「おそらくはそのおかげだろう。意外に生き残りはいたんだ。ひたすらじっと隠れていたり、たまたま村にいなかったりしてな。
 その多くは子供だった。だが、親も村もなくした子供達では、いずれのたれ死ぬのは見えている。だから、俺達御楽衆は手を出した」
「だからこの村には子供が多いのですね……」
 静かなものであったが、楓の声も表情も、ずいぶんと堅い。
「そう。あの村の大人はみんな御楽衆なんだぜ。
 もっとも、俺達だけではどうにもならないから、昔の縁故のお力もお借りしたけどな」
「縁故?」
「ずっと昔のな」
 さらりと閑丸の問いを流し、三汰は言葉を続ける。
「それで、やっと本題なんだが。
 あの村の子供達は皆、『鬼』の犠牲者達だ。中には目の前で親兄弟、友達が殺されるのを見た者もいる。そのせいに違いないんだが……あいつら、「刀」を異様に恐れるんだよ」
――……刀を、恐がる……
 閑丸は宝刀―大祓禍神閑丸―をそっと引き寄せるた。
「『鬼』に襲われたとき、村にいなかった奴もいるのにな。そいつらは鬼気に当てられたか、親兄弟の無惨な死体を見たせいなんだろうが……とにかく、村の子供達は皆、「刀」を恐がる。ひどい奴だと、包丁や鉈さえも恐がる。
 だからあの村では刀は御法度でね。そういう事情で、俺はお前さん達の刀を預かりたいわけなん……だが」
 言って三汰はぐるりと三人を見回す。
 最後に視線を止めたのは、宝刀をしっかりと握りしめた閑丸のところだった。閑丸は宝刀を抱きしめ、頑なに三汰の頼みを拒む意志を全身で示していた。
「大事なもののようだが、事情をわかってくれないか」
「……………」
 閑丸は口をつぐんだまま、宝刀を握る手にさらに力を入れる。
「預かるのは村にいる間だけのこと、お前さんが村を出るときにはちゃんと返す。それでも駄目か?」
「ごめんなさい……僕……」
「そうなると、お前さんを村に入れることはできないぜ」
「………」
 三汰の言うことはわかるし、当然のことだと理解できる。しかし、この宝刀と一時でも離れることなど、考えることすらできない。はじめからずっと、閑丸の側にあった、数少ない物なのだから。
 しかしこのままでは、『鬼』の手がかりがあるはずの村に入れない。
――僕は……どうしたら……
「その者は忘れの病だ」
――半蔵さん……?
「忘れの病?」
 不意に口を開いた半蔵に、二人はそれぞれ違う理由で、しかし同じように戸惑いの目を向けた。
「己のことを何も知らぬと言っている。手がかりは、『鬼』だけだと。
 その宝刀は、その者の持っていた数少ない己の物だそうだ」
 それだけ言うと、半蔵は口を閉ざした。
――……あ……
「ほう……」
 納得と意外を同居させた表情で三汰は閑丸と半蔵を見比べる。最初に見たときから、不思議な取り合わせだと思っていた。閑丸が忍だとは思えないし、伊賀忍、それも「服部半蔵」と何かしらの縁を持つ者とも思えない。
 それでも今半蔵が「言ったこと」自体は閑丸を助けるものだ。しかし、この少年を半蔵が助ける理由が思いつかない。助ける理由がないというのに、この男が口を開いたというのが意外だ。何らかの計算あってのことと見ることもできようが、今はそうではないと三汰は感じた。
――おもしろいな……話に聞くほど、「服部半蔵」も冷酷というわけではない、か。
 変わらず、表情のない顔で三汰を見ている半蔵を見返しながら、三汰は思っていた。
「事情はわかった……が、だからって持っていっていい、とは言えないぜ。
 お前さんが刀が大切なように、俺は子供達が大事だからな。
 しかし…お前さんも村に入りたい事情がある、と」
「……ぼく…僕のことは『鬼』に会えばわかる……気がするんです。それで『鬼』を探していて……だから半蔵さんについてきて……だから……村に、入れてほしいんです。何でもいいから、『鬼』のことを知りたいんです」
――もし、半蔵が口を開いていなければ、こいつはこうやって事情を自ら話せたか?
「だが、刀は離せないんだよな?」
「……ごめんなさい……」
 目を伏せながらも、閑丸の手は宝刀から離れない。
「ふうむ……」
 三汰はがしがしと自分の髪を引っかき回した。髪がはね回っているのは、どうやら癖があるせいだけではないらしい。
「………………」
 途方に暮れた表情を浮かべつつも、その目にはただ一つの想いを宿した閑丸と、半眼で何を見ているのか、何を考えているのかわからない半蔵を交互に、見る
――………試してみる、か?
 二人を見つつ、三汰は思う。
 十年と、最初に決めた。残りは五年。あっと言う間に最初の五年が過ぎたように、残りの五年も気がつけば過ぎ去る。過ぎてしまえば、もう、守ってやることはできない。だから、今から、しておかねばならないこと……かもしれない。
――まずはここから、といってみるか。
 三汰は踏ん切るように一つ頷いてから、口を開いた。
「わかった。いいぜ。お前さんだけよしとする」
 言って、ととん、と軽く自分の左肩を右手で打った。
「え? あ……」
「だが、絶対子供達に刀を見せない。それが条件だ」
「ほんとに、いいんですか?」
 喜びと言うより安堵の色の上に、当惑と申し訳なさを乗せた表情が閑丸の顔に浮かんでいる。
「そう言われると、考え直しちまうぜ?」
 いたずらっぽく三汰はにかりと笑んで見せた。
「あ…ごめんな……」
「それはなしだ。「ごめんなさい」ってな、そんな簡単に使っていい言葉じゃないぜ」
「あ……はい」
 よし、ともう一つ笑みを閑丸に投げると三汰は立ち上がり、部屋の隅の長持ちから適当な布きれを引っぱり出した。
「ほれ、刀。半蔵さんのも」
「は、はい」
 閑丸は半蔵の刀と楓の懐剣を預かると、自分の宝刀と一緒に三汰に渡した。
「これはここに入れておくからな」
 三汰は刀と懐剣は長持ちにしまう。さらに手早く宝刀を布で包んで閑丸に返す。
「そう簡単に解けるような包み方はしていないが、気をつけてくれよ」
「はい」
「よし、それじゃ、行くか」
 飛び降りるような足取りで、三汰は土間に降りた。そのまま歩き出そうとしたが、不意に足を止めると背をそらす格好で振り返る。その目は、笠に手を伸ばした楓に向けられていた。
「弥六さんから聞いたんだが」
 何気ない口調だったが、楓を見る三汰の目に鋭いものが宿っていたのが、半蔵には見えた。
「楓さん、『鬼』の妹、なんだって?」
――楓さんが……? だから、破沙羅は……
 閑丸は楓を見る。しかし、そのことを納得しながらも、『鬼』の影をこの優しい顔立ちの女性に見ることだけはできなかった。
「はい」
 楓は硬い表情で、しかし躊躇なく頷いた。
「そうか、ふむ」
 ぶん、と体を三汰は戻した。
「それが、なにか?」
「……後で話す」
 言って三汰は戸口をくぐった。
「……いったい……」
「あとで話すというのなら、待つより他あるまい」
 困惑と不安を同時に表した楓に、いつもと変わらない、低く抑えた口調で半蔵は言った。
「そう…ですね」
 それでも楓の困惑と不安は、ずいぶんと薄くなっていた。
――面白いな。
 感じられたその気配に、また、三汰は思った。

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