手毬歌 参


「さて」
 村の入り口まで戻ると、くるりと三汰は半蔵達に向き直った。
「長い旅路をよくぞいらっしゃった。何もありませぬが、ゆるりとすごされい」
 おどけた様子でぺこりと頭を下げる。
「………世話になる」
 暫しの間を置きはしたが、半蔵は応えた。
「とりあえずは俺んちで他の御楽衆に面を通してもらうかな。
 閑丸、しつこいようだがくれぐれも布は取るなよ」
「……はい」
 布でくるみ、いつものように背に負った「大祓禍神閑丸」に軽く触れ、堅い面持ちで閑丸は頷いた。
――僕は……
 ここからでも、村で働く、遊ぶ子供たちの姿が見える。声が聞こえる。『鬼』に、大切なものを奪われた子供たち……
「……はい」
 心に揺れるものを押さえつけ、もう一度頷く。
「そんなに堅くなることはないぜ」
 にか、と三汰は笑い、またくるりと大仰に村の方に向き直ると、歩き出す。
 その後に続いて、半蔵達は「長串村」に入った。

 村に入ってみれば、改めてこの村が子供ばかりであることが意識される。
 遊んでいる者は言うまでもなく、働いている者のほとんどもまだ若い少年や少女達だ。年の幅はざっと見たところでは、七、八歳から十三、四歳ぐらいか。
 つまり五年前のあの時には、一番年上の物でも物心が付いた頃だったのだ。そのような時にこの子らは『鬼』にすべてを奪われた……。
 しかし一見したところでは、この子らにそのような影を感じることはできない。仕事や遊びの手を止めては、滅多にないだろう客に好奇の目を向けてくる。三汰がいなければ、近くに寄ってきそうな気配もある。
 だがそれでも、その魂には、未だ癒えぬ傷が残っているのだ。
――この子達は忘れられないんだ……
 閑丸はまた、腰に手を回し、布で包まれた宝刀の鞘に軽く触れた。何も憶えていない自分が手放せないものは、『鬼』に襲われた子供達が恐れているもの……
――僕は……違う……? じゃあ僕はなんだ……ぼく、は……
「あ」
 思考に沈み掛けていた閑丸は、楓の声に顔を上げた。
 優しい、だが複雑な色を宿した眼差しを子供達に向けていた楓は、一点に目を留め、歩みを止めている。
「どうした」
「あの子……」
 少し茫然とした様子で、楓は自分の見ていたものを示した。

「ひとぉつ にいさま てんてんてん
  おやまのむこうへ てんてんてん
 ふたぁつ かあさま……」

 歌いながら手毬遊びをしている、数人の童女の姿がそこにあった。
 楓が示したのは、少し危なげな手つきで赤い毬をついている童女だった。毬付きをしている中では一番幼く見える。五つ、六つぐらいか。やわらかに波打った癖のある髪は茶色がかった色をしており、にらむように毬を見つめる目は大きく、深い黒い色であった。
 楓と、よく似た、髪と目で、あった。
「……そういう、ことか」
「そういうことだ」
 半蔵の視線を受け、三汰は頷く。
「え……?」
「あの童、『鬼』の縁か」
「……ああ。最後に襲われた村の生き残りであり……『鬼』の、娘だ。
 名は、詩織」
 三汰の声は、やっと耳に届くほど、低くひそめられている。
――そういう、ことか。
 胸の内でもう一度、半蔵は呟いた。童女が余りにも楓とよく似た姿をしているからだろう、『鬼』の娘と聞いても驚きはあまりなかった。
――弥六殿はこの童女に会えと……しかし……

「ひとぉつ にいさ……あっ」

 幼い手が、毬をつきそこねる。あわてて童女は追うが、軽く弾んだ毬はうまく逃げ、ころころと転がる。
「やぁん、まてぇ」
 ころころ転がる毬は童女の制止の声を聞く耳などなく……
「………………」
 半蔵の前でぴたりと止まった。
「……あ」
 追いかけてきた詩織は、驚いた表情で足を止め、半蔵を見上げた。毬を見、もう一度困った顔で半蔵を見上げる。
「………………」
 半蔵は膝をついて毬を拾った。
「は?」
 毬を拾ってやろうと屈みかけた三汰の顔に、驚いた表情が浮かぶ。閑丸もきょとんとした目を半蔵に向ける。
 ただ楓だけは静かに半蔵と詩織を見守っている。
 そんな三人の様子には構わず、毬を持った手を半蔵は詩織に差し伸ばした。
「…………」
 じぃっ、と童女は半蔵を見た。困っている様子が黒い大きな目に見えるが、知らない男へのおびえや恐れはない。毬をあきらめることはできないが、この男がどういう人なのか分からないから近づけない、そんな様子である。
――……さて……
 半蔵は毬を持った手を少し、引いた。
「あっ」
 ぱっ、と詩織が手を伸ばす。だがすぐにその手を止め、半蔵を見る。どうしよう、とためらっているのがありありと見える。
 ぽん
 その伸ばした、童女小さな手の上へ半蔵は毬を投げてやった。投げられた赤い毬は小さな弧を描いて、すとんとそこに飛び込んだ。
「え……?」
 びっくりした表情で黒い目をくるくるとさせ、詩織は自分の手の中の毬を見、半蔵を見た。
 その視線を受けたまま半蔵は立ち上がると、促すように三汰を見やる。
「……ふむ」
 三汰は詩織をちらりと見下ろす。
 ぎゅっと毬を抱きしめた詩織は、じっと半蔵を見上げていた。
「…………」
 半蔵が視線を詩織に下ろすと、さらにじっと半蔵の目を見つめる。このせいの高い男が何者なのか、すべてを知ろうとしているかのように。
 きれいな目だと、半蔵は思った。
 鏡のように全てを映し、映したもの全てを無邪気に見る目と。
 くる、とその黒い目が動く。
「おじちゃん、ありがとう」
 にこ、と笑った。
「……いや」
 半蔵は小さく首を振った。笑みは、違うのだなと思いながら。
「おじちゃん、おじいちゃんのいってたひと?」
 くい、と詩織は首をかしげた。はずみでふわりとやわらかい髪が顔にかかる。だがその髪をかき上げることもせず、童女は半蔵を見ている。
 おじいちゃんとは、弥六のことだろう。しかし弥六は何をどう話したのだろうか。『鬼』の娘であるこの童女に会うことは、何を示すのだろう……
「ああ、そうだ」
 無言の半蔵に代わって、三汰が言う。しょうがないな、という顔を半蔵に向けてから、ではあったが。
「ふうん……」
 とことこと半蔵のすぐ側まで歩み寄り、じーっと、見上げる。
 とことこと右に動き、見上げる。
 とことこと左に動き、見上げる。
 とことこと少し下がり、見上げる。
 とことことまた近づいて、見上げる。
――………………
 童女の行動の意味を計りかね、半蔵の眉が、ほんのわずかだけ寄せられる。
 それを気にした風もなく、とことことさらに近づくと、詩織は口を開いた。

「もう、きめてるのね」

 童女の大きな黒い目には、はっきりと半蔵が映っていた。
「きめてるのね」
 もう一度、繰り返す。
 幼子の口調であった。無垢な言葉であった。だがその、何を意味したかわからない言葉に、心中の何かを突かれたような感覚を、半蔵は覚えていた……
――決めて、いる?

 何を?

 自問したところで、わかるはずもない。
「のねっ」
 首を少し左に傾けて、念を押すように詩織は言った。知らず、当惑の色を顕している半蔵の様子などお構いなしである。
「それでね」
 少しでも半蔵の目に近づこうとするように、うん、と背伸びをする。
「おじちゃん、つよい?」
「…………?」
「あのね、つよい? とってもつよい?
 つよくないとね、だめなのよ。つよくないと、とどかないのよ」
「……何に」
「おっきなひとよ。おっきなかたなをもった、おっきなひと」
 じっと半蔵の鳶色の目を遠い位置から見つめ、童女は無邪気に告げた。
「大きな、人」
 今度は別の意味で、半蔵は眉を寄せた。
 大きな刀を持った、大きな人……脳裏に浮かぶは、ただ一つ。

 『鬼』であるもの。

――斬紅郎……
 この、まっすぐに見つめてくる幼子の父であるというもの。
「そっ。とってもおおきなひと。おじちゃんよりおっきいの。しおりよりも、おっきなかたななの。それでね、まってるの。まってるのよ。ずっとずっと、まってるの」
 くい、と今度は首を右に傾ける。
「あとは、ひみつっ」
「秘密?」
「ひみつよ。ないしょなの」
 くる、と童女の黒い大きな目が動く。変わらず、そこに半蔵を映しこんだまま。
「でも、しってるのよ」
 そう言った詩織の無垢な瞳に、言い様のない悲しみと期待が浮かび上がったように、半蔵には思えた。
 そして一つ、知った。
――知らねば、ならぬ。
「ひみつっ」
 もう一度言うと、詩織は半蔵達に背を向け、興味津々の様子でこちらを見ている子供達の方に戻っていった。
「……なんかな、夢を見るらしいんだ。その夢のせいでああいうことを言うらしい。
 俺達には何も言ってくれんけどな。「ちがうからだめ」だとよ。
 つれないよなぁ」
 詩織を見つめて低く、だがあっさりとした口調で三汰は言った。
「違う?」
「さあ? 今のことも夢のことも、詩織はわかっていないようだし。詩織の言うことに意味があるのかないのか、俺達にはわからん。弥六さんは何かを見たらしいけどな。だから、お前さん達に来るように言ったんだろ?」
「おそらくは」
 間違いなく。

――もう、きめてるのね。

――あとは、ひみつっ。

 半蔵が何を決めていると言うのか。何を幼い心に秘めているのか。
――それを、知れと。
 おそらくはそうだ。だがそうであってもなくても、半蔵にはよかった。
――知っておきたい。
 詩織を見やる。

「みっつ とうさま てんてんてん
  あめがざあざあ てんてんてん……」

 童女はまた歌いながら、無心に毬をついていた。
 黒い目には、今はただ赤い毬だけが映っていた。

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