「さて」 村の入り口まで戻ると、くるりと三汰は半蔵達に向き直った。 「長い旅路をよくぞいらっしゃった。何もありませぬが、ゆるりとすごされい」 おどけた様子でぺこりと頭を下げる。 「………世話になる」 暫しの間を置きはしたが、半蔵は応えた。 「とりあえずは俺んちで他の御楽衆に面を通してもらうかな。 閑丸、しつこいようだがくれぐれも布は取るなよ」 「……はい」 布でくるみ、いつものように背に負った「大祓禍神閑丸」に軽く触れ、堅い面持ちで閑丸は頷いた。 ――僕は…… ここからでも、村で働く、遊ぶ子供たちの姿が見える。声が聞こえる。『鬼』に、大切なものを奪われた子供たち…… 「……はい」 心に揺れるものを押さえつけ、もう一度頷く。 「そんなに堅くなることはないぜ」 にか、と三汰は笑い、またくるりと大仰に村の方に向き直ると、歩き出す。 その後に続いて、半蔵達は「長串村」に入った。 村に入ってみれば、改めてこの村が子供ばかりであることが意識される。 遊んでいる者は言うまでもなく、働いている者のほとんどもまだ若い少年や少女達だ。年の幅はざっと見たところでは、七、八歳から十三、四歳ぐらいか。 つまり五年前のあの時には、一番年上の物でも物心が付いた頃だったのだ。そのような時にこの子らは『鬼』にすべてを奪われた……。 しかし一見したところでは、この子らにそのような影を感じることはできない。仕事や遊びの手を止めては、滅多にないだろう客に好奇の目を向けてくる。三汰がいなければ、近くに寄ってきそうな気配もある。 だがそれでも、その魂には、未だ癒えぬ傷が残っているのだ。 ――この子達は忘れられないんだ…… 閑丸はまた、腰に手を回し、布で包まれた宝刀の鞘に軽く触れた。何も憶えていない自分が手放せないものは、『鬼』に襲われた子供達が恐れているもの…… ――僕は……違う……? じゃあ僕はなんだ……ぼく、は…… 「あ」 思考に沈み掛けていた閑丸は、楓の声に顔を上げた。 優しい、だが複雑な色を宿した眼差しを子供達に向けていた楓は、一点に目を留め、歩みを止めている。 「どうした」 「あの子……」 少し茫然とした様子で、楓は自分の見ていたものを示した。 「ひとぉつ にいさま てんてんてん おやまのむこうへ てんてんてん ふたぁつ かあさま……」 歌いながら手毬遊びをしている、数人の童女の姿がそこにあった。 楓が示したのは、少し危なげな手つきで赤い毬をついている童女だった。毬付きをしている中では一番幼く見える。五つ、六つぐらいか。やわらかに波打った癖のある髪は茶色がかった色をしており、にらむように毬を見つめる目は大きく、深い黒い色であった。 楓と、よく似た、髪と目で、あった。 「……そういう、ことか」 「そういうことだ」 半蔵の視線を受け、三汰は頷く。 「え……?」 「あの童、『鬼』の縁か」 「……ああ。最後に襲われた村の生き残りであり……『鬼』の、娘だ。 名は、詩織」 三汰の声は、やっと耳に届くほど、低くひそめられている。 ――そういう、ことか。 胸の内でもう一度、半蔵は呟いた。童女が余りにも楓とよく似た姿をしているからだろう、『鬼』の娘と聞いても驚きはあまりなかった。 ――弥六殿はこの童女に会えと……しかし…… 「ひとぉつ にいさ……あっ」 幼い手が、毬をつきそこねる。あわてて童女は追うが、軽く弾んだ毬はうまく逃げ、ころころと転がる。 「やぁん、まてぇ」 ころころ転がる毬は童女の制止の声を聞く耳などなく…… 「………………」 半蔵の前でぴたりと止まった。 「……あ」 追いかけてきた詩織は、驚いた表情で足を止め、半蔵を見上げた。毬を見、もう一度困った顔で半蔵を見上げる。 「………………」 半蔵は膝をついて毬を拾った。 「は?」 毬を拾ってやろうと屈みかけた三汰の顔に、驚いた表情が浮かぶ。閑丸もきょとんとした目を半蔵に向ける。 ただ楓だけは静かに半蔵と詩織を見守っている。 そんな三人の様子には構わず、毬を持った手を半蔵は詩織に差し伸ばした。 「…………」 じぃっ、と童女は半蔵を見た。困っている様子が黒い大きな目に見えるが、知らない男へのおびえや恐れはない。毬をあきらめることはできないが、この男がどういう人なのか分からないから近づけない、そんな様子である。 ――……さて…… 半蔵は毬を持った手を少し、引いた。 「あっ」 ぱっ、と詩織が手を伸ばす。だがすぐにその手を止め、半蔵を見る。どうしよう、とためらっているのがありありと見える。 ぽん その伸ばした、童女小さな手の上へ半蔵は毬を投げてやった。投げられた赤い毬は小さな弧を描いて、すとんとそこに飛び込んだ。 「え……?」 びっくりした表情で黒い目をくるくるとさせ、詩織は自分の手の中の毬を見、半蔵を見た。 その視線を受けたまま半蔵は立ち上がると、促すように三汰を見やる。 「……ふむ」 三汰は詩織をちらりと見下ろす。 ぎゅっと毬を抱きしめた詩織は、じっと半蔵を見上げていた。 「…………」 半蔵が視線を詩織に下ろすと、さらにじっと半蔵の目を見つめる。このせいの高い男が何者なのか、すべてを知ろうとしているかのように。 きれいな目だと、半蔵は思った。 鏡のように全てを映し、映したもの全てを無邪気に見る目と。 くる、とその黒い目が動く。 「おじちゃん、ありがとう」 にこ、と笑った。 「……いや」 半蔵は小さく首を振った。笑みは、違うのだなと思いながら。 「おじちゃん、おじいちゃんのいってたひと?」 くい、と詩織は首をかしげた。はずみでふわりとやわらかい髪が顔にかかる。だがその髪をかき上げることもせず、童女は半蔵を見ている。 おじいちゃんとは、弥六のことだろう。しかし弥六は何をどう話したのだろうか。『鬼』の娘であるこの童女に会うことは、何を示すのだろう…… 「ああ、そうだ」 無言の半蔵に代わって、三汰が言う。しょうがないな、という顔を半蔵に向けてから、ではあったが。 「ふうん……」 とことこと半蔵のすぐ側まで歩み寄り、じーっと、見上げる。 とことこと右に動き、見上げる。 とことこと左に動き、見上げる。 とことこと少し下がり、見上げる。 とことことまた近づいて、見上げる。 ――……………… 童女の行動の意味を計りかね、半蔵の眉が、ほんのわずかだけ寄せられる。 それを気にした風もなく、とことことさらに近づくと、詩織は口を開いた。 「もう、きめてるのね」 童女の大きな黒い目には、はっきりと半蔵が映っていた。 「きめてるのね」 もう一度、繰り返す。 幼子の口調であった。無垢な言葉であった。だがその、何を意味したかわからない言葉に、心中の何かを突かれたような感覚を、半蔵は覚えていた…… ――決めて、いる? 何を? 自問したところで、わかるはずもない。 「のねっ」 首を少し左に傾けて、念を押すように詩織は言った。知らず、当惑の色を顕している半蔵の様子などお構いなしである。 「それでね」 少しでも半蔵の目に近づこうとするように、うん、と背伸びをする。 「おじちゃん、つよい?」 「…………?」 「あのね、つよい? とってもつよい? つよくないとね、だめなのよ。つよくないと、とどかないのよ」 「……何に」 「おっきなひとよ。おっきなかたなをもった、おっきなひと」 じっと半蔵の鳶色の目を遠い位置から見つめ、童女は無邪気に告げた。 「大きな、人」 今度は別の意味で、半蔵は眉を寄せた。 大きな刀を持った、大きな人……脳裏に浮かぶは、ただ一つ。 『鬼』であるもの。 ――斬紅郎…… この、まっすぐに見つめてくる幼子の父であるというもの。 「そっ。とってもおおきなひと。おじちゃんよりおっきいの。しおりよりも、おっきなかたななの。それでね、まってるの。まってるのよ。ずっとずっと、まってるの」 くい、と今度は首を右に傾ける。 「あとは、ひみつっ」 「秘密?」 「ひみつよ。ないしょなの」 くる、と童女の黒い大きな目が動く。変わらず、そこに半蔵を映しこんだまま。 「でも、しってるのよ」 そう言った詩織の無垢な瞳に、言い様のない悲しみと期待が浮かび上がったように、半蔵には思えた。 そして一つ、知った。 ――知らねば、ならぬ。 「ひみつっ」 もう一度言うと、詩織は半蔵達に背を向け、興味津々の様子でこちらを見ている子供達の方に戻っていった。 「……なんかな、夢を見るらしいんだ。その夢のせいでああいうことを言うらしい。 俺達には何も言ってくれんけどな。「ちがうからだめ」だとよ。 つれないよなぁ」 詩織を見つめて低く、だがあっさりとした口調で三汰は言った。 「違う?」 「さあ? 今のことも夢のことも、詩織はわかっていないようだし。詩織の言うことに意味があるのかないのか、俺達にはわからん。弥六さんは何かを見たらしいけどな。だから、お前さん達に来るように言ったんだろ?」 「おそらくは」 間違いなく。 ――もう、きめてるのね。 ――あとは、ひみつっ。 半蔵が何を決めていると言うのか。何を幼い心に秘めているのか。 ――それを、知れと。 おそらくはそうだ。だがそうであってもなくても、半蔵にはよかった。 ――知っておきたい。 詩織を見やる。 「みっつ とうさま てんてんてん あめがざあざあ てんてんてん……」 童女はまた歌いながら、無心に毬をついていた。 黒い目には、今はただ赤い毬だけが映っていた。 |