手毬歌 四


 半蔵達は三汰の家で他の御楽衆達と顔を合わせた。この村の御楽衆の数は三汰を含めて七人。男が四人、女が三人。子供の数がおおよそ三十人であるから、この程度でとりあえずは十分なのだろう。
 本来は旅に生き、様々なものと触れ合っている者達からだろう、御楽衆達は皆人当たりよく、歓迎の意が自然と伝わってきた。
 だが、ただそれだけではないことを、半蔵達は知る。
 それは、楓が破沙羅のことを話したときだった。
 かつて『鬼』に殺められ、憎悪の深さ故に黄泉路を辿れぬモノである、破沙羅。それが復讐のために『鬼』と、『鬼』の血を引く者を狙っていること。『鬼』の妹である楓も二度、襲われたこと。おそらくまだ破沙羅は諦めておらず、故にこの村でも現れるかもしれないこと。
「ご迷惑を掛けることになると思います……」
「お主らは巻き込まぬ」
「……そうなると、いいけどな……」
 がし、と三汰は髪をかき上げた。
「聞くがよ。それだけなのか?」
 かき上げた手をそのままに、その手の下から三汰は半蔵を見据える。
「それだけだ」
「お前さんが「服部半蔵」でも、巻き込むかも、しれないよな?」
「……………」
 半蔵は、こたえなかった。
 手の下の三汰の目が、鋭さを帯びる。
「それでも、それだけなのか?」
 半蔵はただ、その視線を受け止めるのみである。ほんの僅かも、揺るがすことなく。
 息の詰まるような緊張が二人の間に漂う。
「それだけだ」
 手を下ろした三汰の同じ問いに同じ答えを繰り返し、もう一言、言った。
「引けぬ」
「何故だ?」
――俺達を巻き込む可能性を知りながら、何故に?
 言葉はなかったが、三汰の、そして御楽衆の表情ははっきりとそう問うていた。
「ここに来て、何かをせねばならぬ。それが済むまでは、引けぬ」
「ほおん……。
 それは幕府に仕える忍として、か?」
「………………」
 半蔵の目が、すいと細くなった。
 だが、それだけであった。
「ほほうん……」
 ぽん、と三汰は自分の左肩に右手を置いた。それだけで、不思議と空気が一気に和らいだ。
――そうだ、とは言わないか。
 それはつまり、「それだけではないこと」あるいは「そうではないこと」を示している。会ってからの時は短いが、三汰には半蔵が言うべきこと、そして言えることだけしか、口にしないらしいことが分かってきていた。忍であるというのに、どうやらこの男は言葉を飾ったり、偽ったりするのが不得手らしい。
――他の任なら、そうでもないことかもしれないけどな。
 『鬼』の妹であり、半蔵の妻である女性を、見る。
 ここにいる「服部半蔵」という者は私で任を曲げる質とは思えないが、何もないようにいられる質でもない、と三汰は信じた。
「わかったよ。
 ま、例えちゃんと答えなかったとしても、お前さん達を追い出すことはしないけどな」
 ととん、と左肩を叩いた。
「……?」
「忘れたのか? この村には『鬼』の娘がいるんだぜ。妹と娘、つながりの深さは変わらないさ。
 その破沙羅ってのが『鬼』の縁をたどるなら、お前さん達がいようといまいと、来るだろうさ。ならむしろ、「服部半蔵」、お前さんがいる間に来てくれた方がありがたいぐらいだ」
 にかりと、目だけで笑う。
「ま、それは半分冗談として、だ。
 俺達は腹を括っている。分かるよな、「服部半蔵」殿」
 手を膝の上に戻した三汰の目には笑いは既になく、真摯な視線が半蔵に向けられていた。
 すでに忍ではないとはいえ、未だ百万石の大藩、加賀との関わりを持つ者達である。幕府に仕える伊賀忍、それも「服部半蔵」とこうも近くに接するのは、痛くもない腹を探られる気にもなろう。そういう気にならずとも、常に危険に身を置く半蔵である。下手に関われば、いらぬことに巻き込まれるやもしれない。自分たちだけならともかく、庇護する子供達を危険にさらすことは御楽衆にはできないはずだ。
 それでも彼らはこうして半蔵を村に受け入れた。そこには相当な覚悟がある。半蔵を村に入れることで起きるかもしれぬこと全てへの覚悟が。
「……うむ」
 半蔵はつっと御楽衆達に目を走らせた。
 彼らの覚悟に、己の心積もりが応じるものになっているかどうかは知らぬ。それでも、何かしらの形で応えねばなるまい。
 己は「服部半蔵」なのだから。
 ゆっくりと、半蔵は頷いた。
「そういうことだからよ、そのことに関しては気にしなくていいさ」
「それはできません」
 言った三汰に、穏やかに、しかしきっぱりと楓は首を振った。
「え?」
「引くことはできません。だからといって、気にしないこともできません。勝手でしょうが、そうあることしかできないんです」
「そうですか……なら、それでいい。お互いわかっているってことで」
「納得は別としてか」
「そういうこと」
 また、とんと自分の肩を三汰は叩いた。
「現し世の何でもかんでもが納得できることじゃないだろ? だけど、それでもその中でやっていかなきゃならんのよ。俺達は」
「それでも」
 ぽつ、と半蔵は言った。
「納得できずとも分かれば…」
「御の字ってね」
 にかり、と三汰は笑んだ。それは影や厳しさを微塵も含まぬ、澄んだ強い笑みであった。
 その笑みに、僅かに目を細めていた己に半蔵は気づいた。


「では三汰、我らはこれで」
 話の区切りがついたところで、三汰以外の御楽衆達が立った。
「ああ」
「三汰、今日の夕餉はお前が面倒を見るの、忘れないのよ」
「わかってるよ。
 そっちこそ、「もの」の準備しておけよ」
 ひらひらとめんどくさそうに、三汰は片手を振って応えた。
「……承知」
 刹那、ぴりとしたものが御楽衆の間を走ったが、すぐに頷いて彼らは出ていった。
「さて……と」
 三汰は足を崩し、あぐらをかく。
「お前さん達も楽にしなよ」
「このままでよい。
 それよりも、詩織のことを教えて欲しい」
 先程までと変わらず、正座し、ぴんと背を伸ばしたままの姿勢で、半蔵は言った。
「わかってる。だから残ったんだ」
 三汰はがしと髪をかき上げ、障子に目をやった。
 にぎやかに子供達が遊んでいる声が聞こえてくる。
「詩織は五年前、あのころに一人の御楽衆が拾ってきたんだよ。
 この子は嵐を止めた。だからこそ、行き場がない、そう言ってたっけな」
「嵐を止めた?」
「ああ。最後だった、とよ」
 障子から半蔵に目を移すと、聞いた話だがと前置きした上で三汰は話し始めた。


 その夜、『鬼』はいつものように、その村を襲ったという。
 『鬼』はいつものように、刀を振るい続けたという。
 その刃の下にあったのは、ただ『死』のみ。
 動ける者は皆逃げ、あるいは隠れ、動けぬ者はうずくまり、『鬼』という『嵐』が過ぎるのをただただ祈った。

「一人の女を除いては」
「女?」
「そう、生まれて間もない赤子を抱いていたそうだ」

 女は恐れもなく、『鬼』の前に立った。
 そして、赤子を抱いた腕を『鬼』に向かって差し伸ばした。

「だが」

 刃はいつもと変わることなく振るわれた。
 女は声すらあげることなく、死んだ。
 己が死したことも知らぬように、あるいは運命を初めから知っていたように、悲しく目を見開いたまま。
 そして、それでも再び、『鬼』は刀を振り上げた。
 泣き声をあげた赤子に向かって。

「だが、刀が振り下ろされることはなかった」

 凍りついたように『鬼』は動かず。

「叫んだそうだ。
 それは『鬼』が『鬼』であることを、村人達に忘れさせるほど、悲痛な叫びだったそうだ」
「違う」
 低く半蔵は呟く。
「……え?」
「……いや……」
 『悲痛』ではない。
 『叫び』ではない。
『絶望、さ』
 弥六の言葉が思い出される。
 あの男は狂える『けもの』と化す直前…そして、最後に、
――『絶望』に吼えたのだ……
 絶望に男は狂い、絶望が『鬼』を……おそらくは正気に引き戻した。
 しかしどのような想いであったか、推測はできても、真を知る術はない。
 それでも半蔵は一つを知った。
「…………」
 三汰は怪訝に、だがまっすぐに半蔵を見ていたが、己の言葉を続けた。
「それきり『鬼』は姿を消した。それ以上刃を振るうことなく、それ以上何も殺すことなく」
 三汰はまた障子の方に顔を向けた。その向こうからは、遊んでいる子供達の声が聞こえてくる。その中にはおそらく、詩織のものもあるはずだ。
「『鬼』が最後に襲ったのは、自分の村、だったのですね……」
――そして最後に殺めたのは妻である人……兄さん……っ
 きゅ、と両手を膝の上で握りしめた楓の顔は、紙のように白くなっている。
――そんなかたちで返るというの…?
 半蔵が、楓に目を向けた。
 ふと向けただけと見えた。案じているとか、気遣っているとか、そういった感情は鳶色の目からは読みとれない。それでもその視線にぎこちないながらも頷きを返した楓の頬には、わずかながらも赤みが戻ったように見える。
「……そう、らしい」
 二人の様子に三汰は、ふ、と微かに息を洩らした。
――表に出す必要なんか、ない……か。
 「視線を向けた」ことが語っているのだ。先の、閑丸にただ「言った」ことが表したように。
 もう一つ、小さく息を吐くと、三汰は言った。
「村人もそれには気づいたらしい。生き残った赤子を殺そうとした者もいたってよ。だから、たまたま次の日村に訪れた御楽衆の一人が、その赤子、詩織を引き取ったんだ」
「このことを、詩織は知っているのか?」
――おかしなことを聞く。
 己で口にした言葉に、半蔵は思った。
 あのように笑う幼子が、かような話を知っているはずがない。それ以前に、あの幼さでは話を聞いたところでどれほど分かることか。
 しかし、あの時詩織の目に浮かんだ、幼子らしからぬ悲しみをもたらすことができるのは、このこと以外にはないと思う。
「詩織にも他の子供達にも話してはいない。だが、子供は鋭いから何かを感じ取ってはいるかもな」
「……そうか」
「ああ。子供は何でも知ってるさ。そして俺達が思うより、強いぜ」
 よ、と声を上げて三汰は立った。
「だから、俺達は腹を括れたんだろよ」
 にかりと笑う。
「やも、しれんな」
 それは御楽衆が半蔵を受け入れたことのみではなく、三汰が閑丸に刀を持ったまま村に入ることを許したことも指しているのだろう。
「それじゃあ、ごゆっくり。夕餉ができたら、呼びに来るぜ」
 ぺこ、とまた大仰に頭を下げ、三汰は部屋から出ていった。
 沈黙が漂う。三汰一人いなくなっただけで、ずいぶんと静かだ。
 子供達の声もなぜだか途絶えている。
「楓」
 半蔵は頭だけ妻に向けた。
「……はい」
「大丈夫か」
「そうですとは言えませんが……」
 幾分よくなったとは言え、まだ白い顔に無理に明るい色を乗せ、楓は答えた。
「……」
「この村がどういう村なのかを知ったときから、こういうこともあるかもしれないと覚悟しておりました。ですから……」
「そうか」
「はい」
「あなたは?」
「……うん?」
「どう、思われましたでしょう」
「わからん」
 投げ出すように、半蔵は言った。
 弥六の話を聞いたときも、三汰の話を聞いた今も、「わからない」。もやもやとした苛立ちが胸の内に渦巻いている。
「……え?」
「儂には、決して分かり得ぬ……だが」
――………
 楓は無言で夫の言葉の続きを待った。
「お、どうした?」
 だがその時、表から三汰の声が聞こえてきた。
「ん? ああ、時間はあるだろうな。だけど……」
『………………!』
「……そりゃ、そうだ……」
『……………………』
「わかった、わかった。じゃあ……」
 それで三汰の声は絶え、代わりのようにいくつものうきうきとした小さな気配が近づいて、きた。

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