手毬歌 伍


 山の緑に縁取られた空は、遠く、青かった。
「ほーしい ほしい」
「だーれが ほしい」
「そーの子が ほしい」
「そーの子じゃ わーからん」
「あーの子が ほしい」
「あーの子じゃ わーからん」
――どうせ、同じなのに…………
 二組に分かれた子供達―一番年かさの子は閑丸と変わらない子供達―が元気な声を張り上げているのを、一人、縁で見ながら、閑丸は思った。
「おーばちゃんが ほしい」
 相手の組にいる楓を見つめ、子供達は声をそろえた。
――ほら。
 楓が呼ばれたのは、これで三度目。
「いーくらで ほしい」
「さんもんめで どーや」
「さんもんめは やーすーい」
「ごもんめで どーや」
「ごもんでーも やーすい」
「しちもんめで どーや」
「はーなしにならん」
「じゅうもんめは どーや」
「やーすい やすい」
「じゅうごにはーな つーけよ」
「や…」
「そーれで あーげよ」
「えええーっ!」
 また否定しようとした子供達は、声を張り上げた楓を一斉に見上げた。
「十五に花なら、いいでしょう?」
「……うー……」
 優しく言われ、子供達は言葉を続けられないでいる。それでも不満を、小さな体いっぱいで表していた。
「また、とってちょうだいね」
「……うん」
 こっくりと頷いた子供達は、半分はやけになって声を上げた。
「じゅーごにはなで あーげる!」
「もーらった!
 おーばちゃん おいで!」
 もう一方の子供達から上がるのは、歓声。
 にこにこと、楓はそちらの方へ移った。
――次は半蔵さんだな。
 楓の移った組で突っ立っている半蔵に、閑丸は目を向けた。
 つい先程、それこそ嵐のように飛び込んできた子供達に「遊んで」とせがまれ、二人は外へ出たのである。楓がそうするのは自然だろう。優しい人であるし、子供好きでもあるようだから。だが、半蔵が子供達に腕を引っ張られながらにしても、そして表情一つ変えなかったにしても、立ったのには、驚いた。
 半蔵が何を思ってのことなのか、閑丸にはさっぱりわからない。
「あーのこじゃ わからん」
「おーじちゃんが ほしい」
 閑丸が思った通り、半蔵が呼ばれた。これで二度目だ。
 呼ばれた半蔵の顔は、今までと変わらない。感情がないわけではないが、表情らしい表情のない顔で、立っている。しかし、子供達の誰もそんなことは気にしていない。みな、半蔵を取るために、あるいは渡さないために、楽しそうに声を張り上げている。
――……どうしてだろう……
 半蔵は背が高い。楓よりは頭一つと少し、閑丸なら頭二つ近く大きい。そんな大きな、また楓のように優しいものを感じさせるでもなく、三汰のように陽気でもない男が、子供達は怖くはないのだろうか。
 刀を怖れるのに、どうして半蔵を怖れないのだろう。子供達の中には半蔵の側にくっついて、袖や手をそっと引っ張ったり取ったりする子もいる。
 そこには、詩織もいた。
――詩織……
 癖のある茶色がかった髪の、黒い目の童女は半蔵の手も袖も取らない。ただその側に立っている。だが時々、嬉しそうに半蔵を見上げている。
――どうして……?
 閑丸は、左手で胸元を押さえた。何かがそこでざわついている……
 子供達の掛け合いは熱を帯び、今までと同じく、とても手打ちにはなりそうにもない。
「にじゅうもんめに いぬつけよ!」
「だー……」
「行こう」
 節も何もあったものではない口調で半蔵が口を開いた。それでも低い響きは、子らの声にするりと分け入る。
「ええーー!」
 もうそれが、やりとりの中に組み込まれているかのように、子供達が叫んだ。
「犬がついたら、仕方ない」
「うー」
 ぽつと言う半蔵に、子供達は恨めしそうな目を向ける。半蔵の袖をつかんで離さない子までいる。
 詩織も先よりも半蔵の側に寄っていた。しかし、他の子供達ほど悔しそうでも残念そうでもない。むしろ楽しそうに、にこにこと半蔵を見上げている。
 今までと同じにごねる子供達はそれでも結局、今までと同じに大きく言った。
「にじゅうといぬで あーげーる!」
「もーらった!
 おーじちゃん おーいで!」
 子供達の声に、半蔵は無言で組を移った


 空の青に少し、かげりが見えたように、思えた。
 だが変わらず、遠い。
「ほーしい ほしい」
「だーれが ほしい」
 何度目になったか分からないやりとりを、子供達は繰り返す。しかし二つの組の間を行き来するのは、楓と半蔵だけだ。
 楓はにこにこと微笑んでいるが、半蔵の表情は依然、変わらない。常と変わらぬ様子で、常ならぬことを、淡々と繰り返している。
 しかし閑丸はもはやそれに目を向けず、うつむいて強く宝刀を抱きしめていた。
――苦しい……
 閑丸の胸の奥でもやもやとした何かが渦を巻き、それが形容のしようのない不快感と苦痛を吐き出してくる。
 それでも閑丸は、縁にいた。
 何がそれをもたらすのか、知っていながら。
「じゅうもんめーで どうや」
「ぜーんぜん たらん」
 子供達の明るい声は、否応もなく閑丸に耳に入る。それらの声に会わせるように、もやもやとした物は広がり、閑丸を苦しめる。
 刀を怖がる子供達。
 離れられない自分。
 「服部半蔵」だけを見ていた御楽衆達。
 見られない自分。
――僕は……僕の……
「さんじゅうと べべであげる!」
「もーらった!」
――ぼく…は…!
 心の中で悲鳴を上げながらもなお、閑丸は動かず、耳をふさぐこともなく、ただ、うつむき、強く強く宝刀を抱きしめるだけだった。
「どうした?」
「…………」
 掛け合いの声ではない声が、最初閑丸は分からなかった。
「どこか苦しいのか?」
「……え……」
 それが違う声であり、違う言葉であり、自分に向けられたものであることにやっと気づき、閑丸はのろのろと顔を上げた。
「三汰、さん……」
「顔色が悪いぜ。さっきは長い話につきあわせたからな、疲れたか?
 休むなら、床の用意をするぜ」
 三汰が、心配そうに閑丸の顔を覗き込んでいた。
「あ……いいえ……あ、ちょっと、疲れたかも……あ、でも、大丈夫です」
 三汰に己の状態を気づかれぬよう、無理に閑丸は明るい声を上げた。
「なら、いいけど、よ」
 ひょいと三汰は身を引く。夕餉の準備なのだろう、その手には野菜の入ったかごを抱えている。そのかごを縁に置き、三汰は閑丸の隣に腰を下ろした。
「お前さんは一緒に遊ばないのか?」
「え……」
「まあ、見ているのも面白いだろうけどな。「あれ」は前代未聞のことだろうし」
 語尾を軽く上げてそう言うと、三汰は子供達の方を見やった。今度の取り合いの対象は、半蔵だ。
「会うまでは、もっと恐ろしい奴かと思ってたんだが、そうでもなかったな」
「……そう、ですか……」
 子供達の掛け合いの中に、相変わらず半蔵は突っ立っている。愛想のかけらもない様ではあるが、不思議なことに、それはそれで子供達の中に馴染んで見える。
 その側には、先と同じようにぴったりと詩織がくっついていた。
「……僕は、いけないんです……」
 その光景を改めて見つめながら、閑丸は、言った。
「なんで?」
「……なんでって……」
 軽く、心底意外そうにそう問われ、閑丸は一瞬絶句した。
「だって僕はこれを手放せない……刀なのに、あの子達が怖がる、刀なのに……っ!」
 さらに強く、大祓禍神閑丸を閑丸は抱きしめた。
「僕は……違うんです。だから、一緒になんか……!」
「遊べない……か。ふむ。
 で、なんで違うと遊べないんだ?」
 一つ頷き、しかし三汰はまた問う。軽く眉をひそめたその表情が、閑丸の言うことはよくわからないと言っている。
「え……」
「あいつらは刀を怖がる。
 お前さんはその刀から離れることはできない。
 確かに違うわな。だけど、何でそれで遊べないことになる?」
「……だって…僕は……」
「違うと言えば、あっちのお二人さんの方が、もっと違うんじゃないか?」
 三汰が向けた視線の先では、ちょうど楓が組を移っていた。移った組には半蔵がいる。
 ふと、その二人の目が合ったように見えた。
――……あ?
 半蔵の方に変化は、ない。
 だが楓は視線を交わしたその数瞬だけ、何とも言えぬ安堵の想いをその黒い目にだけ表していた。
――だから……?
「楓さんは『鬼』の妹で」
 だから、妻であるひとの心を思って、半蔵は子供達と遊んで―いるようには余り見えないが―いるのだろう、か。
「半蔵さんは「服部半蔵」なんだぜ。お前さんにはわからないかもしれないが、これは刀を怖れる、怖れないどころの違いじゃない。
 こんなことでもなきゃ、決してあいつらが関わることのない世界の人だ。
 でも、あの人はああやってあいつらの相手をしている」
「……はい」
「お前さんが遊びたくないとか、あいつらがお前さんを誘わなかったっていうんなら、しかたないけどな。
 まさかあいつら、お前さんを誘わなかったのか?」
 ぎゅ、と太い眉を寄せ、少し強い口調で三汰は問うた。
「いいえ」
 弱く、閑丸は頭を振った。
 子供達は閑丸にも「遊んで」と言ったのである。閑丸が断ってもなかなか諦めず、その手を引いて誘ったのだった。結局、その様子を見かねた楓が子供達を止めたのであるが……
「それじゃあ、お前さんが遊びたくない、と?」
「それは…」
――それは……僕は……僕は……?

「僕は……どうしたいんだろう……」

 気づいたのは、その時初めてだった。己が「どうしたいか」など、考えていなかった。
 「遊べない」、そう思っているのに精一杯だったのだ。
 しかし、そうと気づいても。
「どうしたいんだって言われてもな…お前さんのことだろう?」
「わかりません……」
 急に気づいたせいか、それとも「遊べない」という思いが強すぎたせいなのか、自分の心が閑丸にはまるでわからない。
――わからない……わからないよ……
 子供達は閑丸の視線の向こうで、楽しげに声を張り上げている。
「……ふむ。
 なら、行って来いよ」
「え?」
「わからないなら、行って来ればいい。
 それでいやだったらやめりゃいい。楽しけりゃ続けりゃいい」
 先と同じく至極簡単な口調で、三汰は言った。
「でも……」
「でも、じゃない。ほら」
ぽん、と三汰は閑丸の背を叩いた。
「行ってき」
 にかと笑んだ三汰の声には、強制するような響きは少しもなかったというのに。
「は、はい……」
 閑丸は、頷いてしまっていた。

「いーいよ!」

「あーの子が ほしい」
「あーの子じゃ わからん」
「おにーちゃんが ほーしい」
――…………どうして、だろう?
 奇妙な気分で、閑丸は子供達を見ていた。
 子供達のすぐ側で。
 おずおずと閑丸が近づいた子供達は、いとも簡単―それは先の三汰の口調と似たものだった―に、そしてとても嬉しそうに閑丸を仲間に入れた。閑丸が来るのを、待っていた風でさえあった。
 それからは、組を行き来するのは三人に増えた。
――この子達には、違わないのか……?
 半蔵も、楓も、閑丸も。
「おにいちゃん」
「……え?」
 声に視線をやると、そこには詩織の笑顔が、在った。
 夕日の光が、閑丸の目を差す。
 空の青が暗くなり、赤みを帯び始めているのに、閑丸は気づいた。
 さっきまで感じていた不快感と苦痛は、いつの間にか消え去っていた……

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