かんっ かかかっ ぽんっ ――………ふむ。 鼓を打つ手を、三汰は止めた。 「……どうぞ?」 様子をうかがっていた御楽衆の一人が問う。御楽衆は全員、この場に集まっていた。 「そこにいる。半蔵さんも、楓さんも、閑丸も、詩織も。界をずらしたんだろう」 空を渡る「音」は、そこに「在る」もの―見えるものも見えぬものも―全てに触れ、渡っていく。 「御楽衆」はそれを感じ、「在る」ものに合った音を自らの内とそれぞれの「器」より弾き出す。 ――…もう一つ…いる、な。 ぽんっ、ともう一つ叩く。 人のもののようで、人のものではない、異質な気配が、在る。 ――コレが『破沙羅』か…… 死の気配濃く、陰の側に偏った、「モノ」。 かんっ 「…ん?」 ――まだもう一人…いる…女? だが、誰だ? 「どうしたのぉ?」 けだるげに、女の御楽衆が言った。 「……いや……。確かにこれでは巻き込もうにも巻き込めないな」 苦笑気味に呟いて、三汰は鼓を肩から下ろした。 ――気にしても、仕方がないか。 「破れないのぉ?」 「いんや。こいつ一つで破れるだろう」 トン、と指で鼓を叩く。 「なれど」 「そぉね」 ちん、と女は鐘を叩いた。 「中でやり合っているのを出すのはまずいねぇ」 刻はまだ宵の口である。子供達の多くはまだ起きている。今、半蔵達を戻せば、おそらく「破沙羅」がついてくる。三枚刃の回転刀を振るうという妖しが…… 「そんなモノを、見せるわけにはゆかぬよ」 じょう、と男が琵琶を鳴らす。 「わかってるって……けどな」 「放っておくのも、気分悪いわよねぇ」 ちちん、と女はまた鐘を叩く。 しゅっ、と三汰はきっちり正座した。 肩に鼓を置く。 かっ 「だめぇっ!」 背後からの童女の声と殺気に、半蔵はとっさに身を捻った。 ぶおんと重い物が、体を掠める。 蒼い闇を、青塗りの傘が横一線に薙ぐ。 振るうのは、朱い髪の、少年。 ――閑丸!? ぶおん 傘が、半蔵を追う。 がんっ 手にあった物―破沙羅の回転刀―でその一撃を受け止める。 「閑丸っ!」 この闇に満ちる破沙羅の気に、当てられでもしたかと、半蔵は思った。だが、 「取らないで!」 叫ぶ閑丸の目は正気のものだ。 「何……?」 「僕は知らない。何も知らないっ、だから……っ」 受け止めた傘に込められる力が強くなっていく。 「僕から、取らないで!」 蒼い闇の向こうに透けて見える、少年の大きな黒い目。射抜かんばかりに半蔵を見る目はぼうとおぼろで、それでいて全てを見ている。 そしてそこにに在る、ただ一つの想い。 ――『鬼』ハ、僕ノ……ダカラ! それは己の中にあるただ一つのものだからやもしれぬ。 それは己を知るためやもしれぬ。 ――『鬼』ヲ僕カラ取ラナイデ! 「閑丸……!」 ――正気、か。 何が正気で、何が、狂気か。 大きな男だった。 大きな、熱い手の男だった。 眼差しは強く、厳しく、それでいて、あたたかく…… ――それでも、か……! それが罪と知ろうとも、それが己を傷つけることになろうとも。 狂気にゆだね。 正気に彷徨う。 ――コレシカ、ナイノダカラ。 じゃら、と鎖が鳴った。 ――! 「『鬼』がァッ!」 その想いは、何のためか。 娘は、泣いていた。 「……え?」 闇よりも濃い蒼の影が、疾る。閑丸の背後でそれは一度ぐんとかがむと、蚤のように跳ね上がる。 「コレハ渡サないヨぉっ!」 鎌のように両の手を閑丸に向かって振り下ろす。 ――ダメ! 破沙羅! ――避けられ……ない……! 閑丸の傘はがっきと回転刀とかみ合い、動かせない。 ――……半蔵さんを振りきる……無理だ……なら、どう……!? それでも破沙羅から逃れようと、傘と回転刀のかみ合った部分を支点に身を捻った閑丸の目に、その色は飛び込んだ。 「…………」 己の前に在るものから逸らされることのない、鳶色の、目。 閑丸を見ていたその目に、険が宿る。 じゃらっ! 「ヒャッ!」 あり得ぬ方に、破沙羅の体が引きずられるように大きく弧を描き、飛んだ。 同時に不意に抵抗を失い、閑丸も体の釣り合いを崩す。 ――え……っ!? がつっ 重い手応えは、ぎゃんと破沙羅が地に叩きつけられたのと同時。 「……あ?」 半蔵の左肩に、浅く打ち付けられた青い傘。 それを振るうのが己であること。 半蔵が鎖を引いて破沙羅の動きを狂わせたこと。そのために、回転刀を引いたこと。 だから傘は、半蔵を打ったこと。 目の前の光景全てが、閑丸の理解を超えていた。 「……どう、して、ですか……」 自分に武器を向けたモノを、何故、守る。 ――僕から取るあなたが、どうして、僕を…… 「……知らぬ」 苦痛の欠片も浮かべず、半蔵は言った。 どうして、と問われて答える言葉など無い。体が勝手に動いたなどとは言わぬが、何故己が身を挺してまで閑丸を守ったのかかがしかと形にならない。 無理に言うとすれば、「このままではならない」となるか。「取らないで」と叫ぶ少年を、このままにしては何かが狂うと。 「ナぜだぁ……!?」 じゃら、と鎖の音と共に、ぐんと破沙羅の躯が、立つ。 「オナジ『鬼』を、オレのとおナじを、なゼ同じオまえガ!」 ――やはり、そうか…… 全てがわかったわけではない。だが、楓を破沙羅が狙うわけが、憎しみを半蔵に向けたわけは、半蔵にはわかった。 あの、最初の夜からそうなってしまったのだ。 「知らぬ」 それでも閑丸に返したものと同じ答えを、半蔵は返す。 「同じであろうとなかろうと、儂は貴様ではない。 儂がことを、貴様が「何故」と問う筋は、ない」 じゃっ、と鎖を鳴らして回転刀を構える。左肩に重く鈍い痛みがある。 ――折れてはいないが……少し、きついか。 「お主は下がれ」 空手で構え、こちらの様子を伺う破沙羅を見据える。破沙羅の手が、鎖を引き、たぐる。 「……で、でも……っ!」 半蔵の左腕の動きが、僅かにぎこちないのが閑丸にもわかる。この状態で、破沙羅と戦うのは無茶としか思えない。 「……破沙羅は、楓を狙う。ならば儂が、終わらせるよりない。 儂は破沙羅ではない。楓もまた、篝火ではない。それがわかっているのは、儂だけだ」 ゆっくりと、地に垂れた鎖が身をもたげる。 じゃら、じゃらとなる鎖の音の向こうに、すすり泣く声が、聞こえる。 それが破沙羅のものか、その後ろにたたずむ娘―それが篝火で間違いないだろう―のものかはわからない。 「……え? え?」 半蔵の言葉が、閑丸にはわからない。 「儂が守りきらねば、繰り返すのみ……故に、下がれ!」 「……はい……」 ごっ、と勢いを増した半蔵の焔と、その言葉の強さに気圧され、閑丸は下がった。やるせない、敗北感と悔しさを胸に。 ――どうしてこの人は……手に、入れられるの……? 自分のするべきこと、在るべき形……そんなものに無関心にも見えるのに、大切なところでは真っ直ぐに、見る…… ――僕には、できないのに…… 欲しいものを守ることも、手に入れることも。 知ること、すら。 たぐられる鎖が、ぴん、と張った。 じょうじょうと、琵琶の音が永く響き。 ちちんと鐘が節目を告げ。 かん、と鼓が次を指す。 ――空が、変わる 蒼い影が、また、飛ぶ。無数の光る蝶を従え。 「ヒハハははははっ! キさまァヲ殺シっ、おんナァも殺ス! きさマニハできないヨォ、デきないよォ……ヒハハ、狂エ、苦流えエえっ!」 宙で蝶が全て破沙羅に変わる。無数の破沙羅が、半蔵に向かって手を、あるいは足を振り上げる。 それら全ての破沙羅は、半蔵と鎖でつながっていた。 「まやかしをっ!」 焔が鎖を伝い、疾る。 ごぉっと朱く、破沙羅が燃える。燃えたものは小さな影と化し、落ちていく。 「ヒハハはッ、コワクないヨ、コわくナいよぉぉぉっ」 蒼い影が槍のごとく焔を貫いた。 まやかしを焼いた焔が逆に破沙羅の身を隠し、半蔵の動きが一瞬、遅れた。 「……くっ」 破沙羅の右手が、半蔵の肩に突き立つ。赤い血が滲みだし、着物をじわりと染める。左手は回転刀で押さえ込んでいるが、痛みと、傷から染み込む破沙羅の肌の冷たさに力が入りきらない。 「オまエノ血ハ……赤いナァ……熱イなァ……クク、もウすぐ、ツメたクなルよぉ……おレト、同ジに」 じりじりと半蔵の肩に突き立てた右手に力を入れながら、破沙羅は楽しげに嗤う。その目から、透き通った涙を流しながら。 「オマエにも、でキナいよォ……守れなイヨ……クくっ、ひハッ、だガオまえは……一人ジャナイヨォ……チャあんと、イッショニ……殺シテ……」 「戯けた、ことをっ!」 不意に半蔵は膝を落とし、破沙羅の力の向きを崩す。ずるりと肩から破沙羅の手が抜ける不快さを感じながら膝を付き、その姿勢のまま下段から斬り上げる。 「ひやァッ!」 声を上げて破沙羅の身が大きく仰け反るが、伝わった手応えは、浅い。傷の痛みを切り捨てて半蔵は立ち上がり、破沙羅が体勢を立て直すより早く、今度は袈裟掛けに、一閃。 「……ヒッ?」 ずる、と破沙羅の上体が、ずれた。 「死人は、闇に……」 横に、一閃。 「シビ…と…あ…ア……?」 「滅せよ」 半蔵の呟きと同時に、破沙羅の下半身がくずおれ、上半身が落ち、頭が、転がった。 遅れて噴き上がる血が、半蔵に降りかかる。 冷たい、血だった。 肩の傷から流れる己の血の熱さが感じられるだけに、その冷たさが、哀れだった。 「かが…り…び…」 声に、顔を上げる。 ――アリガトウゴザイマス…… 破沙羅の首を抱いた娘、篝火が半蔵に頭を下げていた。 ――ヤット、コノ人ハ、シリマシタ。 「俺は……死んだ…『鬼』に…斬られて……篝火と、俺は……」 篝火の胸に抱かれた破沙羅の首は呟きながら、哭いていた。 「死んだんだぁ……俺は…『鬼』が……俺達は…死んだ……でも…篝火はずっとぉ…」 「何も、変わらぬ」 回転刀を半蔵は地に捨てた。後を追うように焔が流れ、回転刀と、破沙羅の躯に燃え移る。 蒼い闇を、朱が、払う。 だが、破沙羅の闇は半蔵には払えない。できるのはただ、「違う」ことを示すだけ。 ――イイエ。破沙羅ハヤット、私ヲ知ッタ。 「ずっと、ずっと、いたんだぁ……」 ――ズット、イッショ。破沙羅ト、私ハ…… 愛しさを込めて、篝火は破沙羅の顔に頬を寄せた。 ――トモニ。 「共に…篝火ぃ……」 愛しい者の名を呼ぶ破沙羅の目は、正気には見えなかった。おそらくその存在を感じているだろうに、篝火を破沙羅は見ていない。狂気は依然、変わらない。だがそれでもその顔は、これまでになく穏やかで幸せそうに見えた。 ――アリガトウ……サヨウナラ…… 「篝火……篝火……ああ…共に…美しい……悪夢だ………」 破沙羅の首を抱いて、娘は消えた。 合わせたように、破沙羅の躯と回転刀を焼き尽くし、焔も消える。 「……儂は何も、してはおらぬ」 肩の傷に手をやり、半蔵は呟いた。 不意に辺りが暗くなる。蒼ではない、夜の闇に変わる。 遠くから鼓の音が、聞こえた。 |