日が傾き始めた町の通りには、物寂しさとにぎやかさが共にある。
 物売りが今日の最後と声を張り上げる中、遊び疲れた子供達や、仕事じまいの男達が急ぎ足に家路を辿り、通りの裏からは夕餉の支度の匂いが漂う。
 その中に、一人の薬売りの青年の姿があった。この町で任を終えたばかりの服部半蔵である。半蔵の帰る先は町の者達よりずっと遠い――出羽の山里である――が、その歩む足は速い。別に此度は急ぐ必要はないのであるが、なぜか、速い。
 もっとも、半蔵はまだそのことに気づいていない。
 ふと、店じまいを始めている小間物屋に、半蔵の目が止まる。
 昼間半蔵がここを通ったときには、娘達が集まっていた。若い娘が好み、おそらくは良い品を扱っているのだろう。売れ残りの品はほとんどない。
――……ん?
 残った物の一つが、半蔵の目を引いた。
 草色に塗られた、櫛。
 他のものほど凝った細工はなく、地味な造りの竹の櫛である。ただその歯が少し波打ち、歯と歯の間が少しばかりふつうの物より広いような気がする。
「この櫛でございますか?」
 半蔵の視線に気づいた小間物屋が、顔を上げる。
「……あぁ」
 商人らしいにこやかな表情は店じまいの最中も崩れないものか、と幾分感心しながら半蔵は頷いた。
「お気に召されましたでしょうか」
「変わった造りだな」
「この歯でございますな。ええ、これは普通の櫛ではございません」
「ほう」
「癖のある髪の方のために、特別にこしらえたものでございます」
「ほう……」
 確かに、楓のように癖のあるやわらかな髪は、普通の櫛ではとかしにくいかもしれない――自然に、半蔵はそう思っていた。
――どうしているのだろうか?
 半蔵の知る限り、楓の髪が乱れていたことはない。いつもきれいにくしけずられている。楓も、こういう特別な櫛を使っているのだろうか。
「お客様の想う方も、そのような髪でございますか?」
「……な、何?」
 不意の小間物屋の言葉に、半蔵はうろたえた。
 うろたえたのが、不意をつかれたことではなく小間物屋の言葉そのもののせいだとは、本人は気づいていなかったのだが。
「この造りの櫛に目を止める男の方は、たいていそういった想い人や奥様をお持ちなのですよ。
 やはり、何かおわかりになるのでございましょう。ですから、お客様もそうかと」
 どうでしょうか? と小間物屋は半蔵を見上げる。
 人の良いその顔に、詮索する風はない。物柔らかに、確認しているだけである。
「…………」
 半蔵の顔に浮かんだ憮然とした表情が、小間物屋の問いを肯定していた。
「お持ちになりますか?」
「……」
――喜んでくれるだろうか。
 喜んでくれる、と半蔵は信じた。喜ぶところが見たい、と思っていた。
「……そう、だな。もらおう」
 言って、半蔵は腰の財布に手を伸ばした。

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