|
自分の前に引き出された薬売りの落ち着きぶりを、朧は怪訝に眺めた。 年の頃は二十歳前後と言ったところだろう。背は随分と高く、肩も広い。精悍な顔立ちだが、人好きのする柔らかさも同時に宿している。 後ろ手に縛られ、左右に忍二人につかれているというのに、怖れも怯えもまるで感じられない。 「あなたが、ここの頭か?」 この状況では不遜にすら見える穏やかさで、薬売りは朧に言った。 「勝手に口を開くな!」 薬売りの右についた忍がその顔を殴りつける。その声に怯えが混じっているのを、朧は聞いた。 薬売りへのものではない。縁に立った朧へのものだ。普段はそのことに愉悦を感じる朧であったが、今はただ、薬売りを睨み付けていた。 まともに拳を受けたにもかかわらず、薬売りの体はよろめきもしない。 顔には、穏やかなままの表情が張り付いている。 それでも、朧はこの薬売りが殴られた瞬間、焔のような威圧感を感じたのだ。 ――こやつ……何者…… 「あなたは尾張徳川家子飼いの忍群、玄衆の頭領ではあられぬのか?」 朧の疑念の視線にも穏やかな表情を崩すことなく、薬売りは再び問うた。 「いや……儂は頭領ではない。 が、今はこの里の全ての差配を任されておる。 して、貴様は何者だ。何故この里に忍び入った」 「忍入ってなどおりませぬ。 正面より参りましたら、これ、この通り」 「正面からだと?」 朧が目をやると、薬売りの左に立つ忍が頷いて答える。 「はっ、確かにこの者、堂々と正面から入って参りました」 「正式な使者が、何故こそこそと忍び入らねばなりませぬか」 「正式な使者だと?」 「如何にも」 後ろ手に縛られたまま、すっと薬売りは膝をついた。 「それがしは加賀前田家に仕える者。 我が主の名を受け、こちらに参った次第」 「主とは、藩主、前田治脩公のことか」 「その意は受けていると考えていただいて結構」 にこりと、薬売りは笑った。 人好きのするその笑みを、朧は侮蔑といくらかの感心を混ぜた視線でねめつけ、問う。 「それで、その意とは」 「尾張の様子に、些かの興味あり、と」 「ふん、それでこの里に一人来たか」 「問うことはそれではありますまい」 笑みを顔に貼り付けたまま、薬売りは問いを返す。 「問われずとも、話したいのではないか」 「知りたき事は、一つほどありますが」 「ならば、素直に話せ。その方がこちらも楽ぞ。加賀の忍よ」 「では、お尋ねいたしましょう。 尾張殿の翻意、真でしょうか」 「真か、とな?」 クク、と朧は笑った。 「殿のお心、忍風情が知るよしもなく、また、知る必要もなかろう。 与えられた命を果たすが忍。加賀では違うのか」 「場合によりけりに。 我ら忍は、主あってのもの。 我らは、影。 本身無くして影はなく、本身を失わぬ為に影は耳目を働かせねばなりますまい」 「ほう……」 とん、と朧は縁から降りた。 薬売りの両脇に立っていた二人の忍が、思わず、じりっ、と後じさる。 「加賀の忍と言えば、確か『偸組(ぬすみぐみ)』……伊賀の流れを汲むと聞いたが」 「藩祖利家公に拾っていただいた伊賀忍の末裔にございまする」 「ではお主も、そうか」 「おそらくは」 「そうかそうか」 にこり、と朧は笑った。 笑った顔のまま、言う。 「真か、と問うたな」 「は」 「真に決まっておろう。尾張徳川家はあくまでも権現様正統の将軍家御本家の為に在るもの。 紀伊風情に乗っ取られた今の将軍家に、何の忠誠が在ろうや? 宗春様のご無念、尾張一党忘れた者はおらぬ」 そこで言葉を切った朧の顔が、愉悦に歪んだ。 「とでも言えば満足か、伊賀の小僧が!」 しゅうっ、と風が唸る。 朧の手から二条の鎖が薬売りへと飛んだ。 その先端には、鷲の嘴(くちばし)のような鋭い切っ先がついている。 「十分な言葉だ」 知らぬ声を薬売りが発するの朧は聞き、また、朧は見た。 薬売りの顔から、いっさいの感情が落ちるのを。 闇が色づくのを。 鮮やかな黒が宙に舞うのが、星明かりに浮かび上がる。 遅れて、鈍い手応えが朧の手に伝わり、低い呻き声がその耳に届いた。 薬売りの脇にいた二人の忍がくずおれる。 嘲笑うように紅が、朧の視界を横切った。 甲高い音が立て続けに二つ、天を射抜くように響く。 「二つ」 久延彦は振り返り、叫ぶ。 「竺丸を名古屋へ! 彦佐、藤若、雪羅も走れ! 後の者は儂に続けい!」 |