出羽の里には秋が訪れ、里人達に冬の支度を急かすように日々、空気が冷たくなっていく。
 保存食を作る者があれば、冬の間の薪や炭の用意をする者がある。その間にも、乾いた強い風の中を任を受けて出立する者がある。
 一年でもっとも、この里が忙しくなる時期であった。
 もちろん、出羽の里長藤林伊織も例外ではない。里の仕事を片づけながら、『外』の仕事にも対処せねばならない。
 『外』の仕事の内で、もっとも大きなものが先日半蔵に命じた尾張藩、玄衆の一件だ。元々重大かつ緊急を要することであったが、三日前に公儀隠密が尾張藩国境の村が襲われていることに気づいたとの報があった。色々と手を講じて遅らせてきたが、ここまでが限界だったようだ。御三家に関わることである所為か、あの隻眼の御仁もこの件には顔を出しているらしい。
――半蔵は片をつけたが……さて。
 公儀隠密が動き出したとの報せが入るその前日、半蔵から事為れりの一報が入っていた。それで少しは楽になったものの、この件が難問であることは変わらない。
――どうするか……
 土間で草鞋を作りながらも、伊織は今日もどう公儀隠密の目から事実を逸らしていくかを思案していた。
 そこへ、昼近くになって、里への侵入者の見張りの任についている若い忍が現れた。
「里長、半蔵殿がお戻りになりました」
「そうか。
 儂は庭に行く。半蔵にもそう伝えよ」
「はっ」
 若者が急ぎ足に家を出ていくと、伊織は立ち上がり、着物に付いた藁くずを手で払った。最後に手についた藁くずをぱんぱんと音を立てて払い落とす。
――さて、首尾はどうだったやら。
 片は付けたと聞いた。服部半蔵が任をしくじることもない。だが、その顛末は後のためにも詳しく聞かねばならない。


 伊織は庭に面した縁の上に腕を組んで立ったまま、半蔵の報告を聞いた。
 半蔵は庭の地に右膝と右手をついた姿勢で、此度の件の報告をした。
 半蔵の報告を聞く内に、伊織の表情は不機嫌なものに変わっていく。それでも、無言で出羽の里長は半蔵の話を最後まで聞いた。
「滅せよ、と命じたぞ」
 半蔵が話し終えると、顔は不機嫌なままで、しかし声に感情はなく、伊織は言った。
「そう、おっしゃった」
 顔を伏せて、半蔵は応えた。
 出立前と何も変わらず、声にも気にも感情は薄い。
「訳を言え」
「始末する必要が無かった故と、先に申しましたが」
「それだけでは、我が命を違える理由にはならん」
 右の人差し指で、左の二の腕をとんとんと叩きながら、伊織は言う。
「『刀』よ、答えい」
 やはり顔を伏せたまま、半蔵は淡々と答える。
「全ての責は『朧』と名乗る一人の忍にあり、玄衆には滅するほどの咎は無きと見定めました。
 此度の一件を収めるには、玄衆を使うが良いとも」
 思わず、胸の内で伊織は唸った。
 半蔵の報告によれば玄衆の大半は朧に同心していたわけではなく、その力に服従させられていただけに過ぎないという。そこを救い、藩主への贖罪の機会を与えてやることは伊賀衆にとっても、尾張藩にとっても決して損ではない。
 此度の件が決着しても、未だ、尾張藩に謀反の意があるという噂は消えてはいない。それだけ尾張宗春の所行は記憶に新しく、そこをついた朧の手が見事だったと言える。
 だが噂を放ったのが忍ならば、それを消すに長けるのもまた、忍。更に噂を流した張本人たる玄衆ならば、噂を静めるのも最適と言えよう。
 その後、尾張藩が玄衆をどうするかはまた、見物だ。尾張藩が玄衆を始末するなり、忍として生きることを禁ずるのも良し、そうせずに忍として子飼いに扱っても手は十分にある。
 玄衆の拠点、その技のほとんどを此度の件で伊賀衆は知った。玄衆はもはや脅威ではない。油断は禁物だが秘を持たぬ忍など恐るるに足らぬ。泳がせて様子を見ても問題はない。伊賀の草を玄衆の中に入り込ませることすら、今なら出来る。
 それだけではない。玄衆が尾張藩の意に従うとなれば、公儀隠密と対するにも役に立つ。
 伊織があの場にいれば、おそらくは同じ判断を下しただろう。故に、唸ったのだ。
 感嘆と、少しばかりの腹立たしさに。
「尾張がことは、尾張が内で、か」
「……」
 短い伊織の言葉に、半蔵は顔を上げた。
 鳶色のその目だけに、伊織は半蔵の迷いを見た。
――己は誤っていないだろうか。
 『刀』としてそう決断し、動きながらもこの場にある内に惑いを覚えたか。それとも、決断したその時から惑いを抱えていたのか。ひたと伊織を見つめる半蔵の鳶色の目が揺れている。
 ふん、と伊織は鼻を鳴らした。
 跪き、身じろぎ一つせぬ半蔵に聞こえるように、気持ち、大きく。
――知るか。
 それは言葉そのまま、返す答えなど無い、の意であった。
 同時にそれは安堵でもあった。重い役目に不安を覚えているのは自分だけではない、と。
 だからこそ、伊織は言った。
「此度の処断、認めよう」
「はっ」
 答えた半蔵の目にも、安堵が見えた。
「ふん」
 腹の中だけで、苦笑する。半蔵と伊織が友であるといっても、これ以上の甘えは許されない。
「ご苦労だった。下がれ」
 一言短く告げると、素早く踵を返す。
――儂の仕事は、まだ残っているがな。
 動き始めた公儀隠密をどうあしらうか。手駒が増えたとはいえ、あの隻眼の仁もいるだけに、これからのことも容易くはない。
「……はっ」
 一呼吸遅れた半蔵の返答を聞きながら、伊織はこれからの算段を再開した。

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