桜の下で膝を抱えて座っていたリムルルは、駆け寄ってくる足音を聞いた。 ――ふんだ。知らないっ。 つん、と顔を足音が聞こえる方から背ける。 足音が、止まった。 「リム、ルル」 困っているのが、語調からわかった。 しかしリムルルは、顔を向けない。 ――そっちが悪いんだから……せっかく…… 「せっかく?」 頭にふっと浮かんだことに自分で驚いたリムルルは、思わずその言葉を口に出していた。 「あ?」 何をどう言おうか考えていた勘蔵は、リムルルの言葉に首を捻る。 「せっかくって?」 「何でもない。知らないっ」 掛けられた言葉に自分が不機嫌だったこと思いだし、リムルルは立ち上がって、くるりと勘蔵に背を向けた。 「……っ」 勘蔵は正面に回ろうとするが、リムルルはすたすたと歩き出してそれを許さない。 「…………」 めげずに勘蔵はその後を追う。 前に立てるように早足で歩くが、更にリムルルは足を早める。 更に更に勘蔵は早足になるが、リムルルは更に更に更に足を早める。 それで二人でどこかへ行ってしまうということはなく、どういうわけだか二人は桜の周りをぐるぐると回っていた。 勘蔵に言わせれば、「リムルルがそう歩くから」であり、リムルルは…… ――何でついてくるのよ! なのであった。 ――……何をやってるんだ。 桜の周りを、走らんばかりの早さで回っている少女と少年に、茶店で休む旅人達は皆同時に、そう思った。 頭を抱えたいほどにそう思ったのは、その内の、二人。 ――……何をやってるんだ。 先に我に返ったのは、勘蔵だった。 それでも既に十周ほど回った後である。 ――これじゃ埒(らち)があかないじゃないか。 足を止めて僅かに考えると、振り返ってみる。 「あっ」 勘蔵の思った通り、ちょうど幹を巡ったリムルルが、振り返ったそこにいた。 「…………」 リムルルはまた頬を膨らませて、じ、と勘蔵を見上げる。 怒っているだけではない。むしろ怒りよりも、寂しさや悲しさの方が強くあるように、勘蔵には思えた。 「…………」 しかしそれがどうしてなのかわからず、勘蔵は困った顔で、リムルルの視線を受け止める。 もしもリムルルが怒っているだけならば、勘蔵は何か言えたかもしれない。だが寂しさや悲しさで僅かに潤んだリムルルの目に、かけるべき言葉を勘蔵は見失ってしまっていた。 「ふんだっ!」 無言の勘蔵に、くる、とリムルルは踵を返す。 「……待てよっ」 慌ててその背に勘蔵は声をかけた。このままではまた桜の木の周りをぐるぐる回る羽目になる。 「何よっ!」 ぴたっ、と足を止めて、しかし振り向かずにリムルルは言った。 「………………」 「……何よぉ」 「ごめん」 そう言って、勘蔵はリムルルの背に向かって、頭を下げた。 「…………」 「俺が言ったことで衣を変えたなんて、思わなかったからさ。 ごめんな」 ――遅い、よぉ…… 背を向けたまま、リムルルは思う。 腹が立つと言うよりも、なんだか寂しくて、なんだか悲しい。謝ってくれて、少しすっとしたような気がするけれども、でも、まだ…… 「せっかく変えてくれたのに、わからなくて」 ――えっ? リムルルはそっと、勘蔵には気づかれないように、そのいる方を伺った。 まだ勘蔵は頭を下げている。 やはり気づかれないように、リムルルは勘蔵を向き直る。 ――せっかく。 ふと、心が軽くなる。 「……?」 リムルルの動いた気配にか、勘蔵が頭を上げた。 「……………………」 「……………………」 ひゅるり、と風が踊る。 「ねえ」 「あのさ」 同時に口を開いて、同時に口をつぐむ。 「……なに?」 「いや、そっちからで、いいよ」 そう言った勘蔵が、左手を自分の腰の後ろに隠すように回したのを、リムルルは見た。 「それ、なに?」 うん、と体を伸ばしてのぞき込もうとする。 「あ、いや……」 腰の後ろに回した手を、更にリムルルから遠ざけるように左足を引きながら、勘蔵は口ごもった。 「なぁに?」 「……ああ、うん……これ、なんだけど」 一瞬、更に隠そうとした自分の気持ちを振り切って勘蔵はリムルルにそれを見せた。 陶製で大人の拳大の、少し潰れた卵形に小さな山をくっつけたような形をしたものだった。穴がいくつか空いている。 「なに、これ?」 「“おかりな”って、言うんだ。長崎に行っててさ、たまたま、手に入れた」 「へぇ……なんに、使うの?」 「異国の楽器。笛だってさ」 「ふうん……」 しげしげとリムルルは、勘蔵の手にある“おかりな”を見つめる。 白磁に青で紋様が描かれており、首に下げるのか、手に持つ時に便利がよいようにか、赤いひもが通されている。 「きれいねぇ。 ね、どんな音がするの?」 「吹いてみるか?」 「ほんと? いいの?」 ぱ、とリムルルは勘蔵を見上げた。 「ああ……よかったら、あげるし」 勘蔵は少し目をリムルルから逸らした。 なにやら、照れくさい。何を照れることがあるのか、と思うが照れくさい。 「ほんと!?」 うん、と背伸びをしてリムルルは勘蔵の顔をのぞき込んだ。 「う、うん」 ――そのつもりのものなんだし。 口の中で呟きながら、“おかりな”持った手を、勘蔵はリムルルに差し伸ばした。 「ありがとう!」 満面に笑みを浮かべ、リムルルは“おかりな”を受け取った。 |