何処の町や村でも、縁日とはにぎわうものだ。この町も、その例に漏れなかった。 神社の境内に様々な香具師や芸人が集まり、自慢の品を売り、芸を披露している。人々は日常を一時忘れ、露店を冷やかし、芸に歓声を上げる。 と、人だかりの一つから、一際大きな歓声が上がった。 続いて、しゅうっと、音が響く。 見物客の視線の先、音の源は、一人の若者だった。少年から青年に差し掛かったばかりの年と見える。藍の筒袖に伊賀袴、萌葱の羽織と頭巾、そして左の二の腕に紅の布を縛り付けた、芸人らしいかなり派手な格好だ。よく日に焼けた顔に浮かべた愛想の良い笑みを、取り巻く人々に向けている。 伊賀忍、服部勘蔵である。旅芸人として諸藩を巡り、その情勢を調べている。 芸人の格好をしているのは素性を隠す為、旅をしやすくする為である。が、それだけではなく今日のように実際に芸を披露もする。路銀稼ぎが第一の目的ではあるが、各地の民の暮らしから、藩の内情を知るよい機会にもなるのだ。 「はっ!」 勘蔵の手から、もう何度目になったか丸いものが飛んだ。かと思えば、大きく弧を描く。軽く勘蔵が手を動かすだけで、釣り上げられた魚のように跳ね上がり、そして戻ってくる。再び飛び出す。舞う。戻る。その動き一つ一つに合わせ、しゅう、しゅっと小気味よい音がする。 そのたびに、勘蔵を囲んだ見物客の間から歓声が上がる。 「さぁさぁ、とくとごろうじろ。 人の魂がまわるは六道四生。まわり巡って戻れども、終わることなき輪廻の巡り」 歓声にも負けずに良く通る勘蔵の声に合わせて円を描くのは、紅く塗られた井戸車に似た形のものだ。ただし、井戸車よりはずっと小さい。若者の掌にすっぽり収まるぐらいの大きさしかない。たこ糸が車の軸に結わえられ、その反対の端は小さな輪になって勘蔵の右の中指に通されている。 「手車」というそれは中国から渡ってきた玩具で、扱い方はいたって簡単だ。 まず軸に糸を巻きつけ、端を輪にして指にかけてから車を投じる。糸の長さだけ飛んだ車は、反動で糸を巻き取りながら手元に戻ってくる。 この様に仕掛けも扱い方も単純だが、それ故に操者の手腕一つで変幻自在の動きを見せることができるのが手車の妙である。 「行っては戻り、去りては帰る。 嫌い嫌いも好きのうち、浮気亭主とやきもち女房、葵御前と源氏の君か」 軽妙な口上と共に、しゅるっ、と音を立てて車は勘蔵の手に収まった。糸はたるむことなく、綺麗に車に巻き取られている。 「さぁて……」 手車を受け止めた手をくるりと返していく勘蔵の言葉がほんの刹那、途切れた。視線が見物客の中の一点に止まっている。 白を基調とし、青と赤の文様で飾られた蝦夷人独特の着物を纏った姿が、そこにあった。 忘れるはずもない。首に“おかりな”を下げた、蝦夷人の巫女であり戦士である少女は、間違いなく―― ――リムルル。 視線に気づいたか、他の見物客と同じように目を輝かせて勘蔵の技に見入っていた少女が、笑んだ。 勘蔵の笑みが、客用のものから困った風な、それでいて少し嬉しそうなものに変わる。褐色の頬に僅かに、朱も差したかもしれない。 手を返しきった瞬間には、全て元に戻っていたのだが。 「さて、今度は二つで参る。さらなる妙技、ご覧あれ」 一際大きく声を張り上げると、何処からともなくもう一つの、今度は藍色に塗られた手車が勘蔵の左手の中に現れる。 同時にぱっと両腕を真一文字に伸ばした。両の手から真っ直ぐ、手車が飛ぶ。糸がピンと張る。その先で紅と藍の手車が制止したかに見えた次の瞬間、唸る音と共に、二つは弾かれたように天へと舞い上がる。ぐるりと弧を描く。最初はゆっくり。次第に速く。 ひゅんひゅんと風を切り弧を描かせ、勘蔵は巧みに手車を操り―― 「はっ!」 ぽん、ととんぼを切った。 一度、また一度。 その間も手車は軽やかに舞い続ける。 上に、下に、右に、左に。 一見その動きはでたらめだが、長い糸は勘蔵の体に決して絡まない。 そして帰るのは必ず、その手の内。ぱんっ、と小気味よい音と共に勘蔵の掌に戻っては、再び飛び出していく。 妙技、という勘蔵の言葉、大言壮語ではない。 上がる歓声の中、軽やかに勘蔵と手車は宙を舞った。 「ありがとうございます、ありがとうございます」 妙技の披露を終え、三々五々と散っていく見物客に深々と勘蔵は頭を下げた。足下には、見物客が投げた小銭が散らばっている。 ――結構、もうかったな。 内心、にんまりとする。仮の仕事とはいえ、金が手に入るのは悪くない。世の中金が全てではないが、あって困るものでもない。 ――今日は、こんなものか。 小銭を手早く拾い集めながら、勘蔵は一人頷いた。 まだ日は高い。一息ついてからでも、もう一仕事できる時間ではあるが、これぐらい稼げば今日は十分。 ――それに―― 「勘蔵さん」 半ば以上予測していた声に、勘蔵は目を上げた。 半ば以上期待していた笑顔が、そこにある。 「はい、どうぞ」 声に促されるままに勘蔵が手を差し出せば、笑顔の主――リムルルは自分が集めた小銭をそこに乗せた。 僅かに触れた手は、暖かだった。ほんの指先が触れただけだったが、勘蔵にはそれで十分だった。 「……かたじけない」 小さく頭を下げれば、しかし、少女の笑みは曇った。 「……邪魔、しちゃった……?」 意識したつもりはなかったのだが、癖で他人行儀になっていたらしい。小声で問うてきたリムルルに、慌てて勘蔵は首を振る。 「いや、大丈夫だ。 ありがとう、リムルル」 感謝と、少女を安心させたい気持ちを込めてもう一度、改めて礼を言う。 「うん」 晴れたリムルルの表情に安堵する、そんな自分も結構現金だと勘蔵は思った。 「……?」 「いや、久しぶりだと、思ってさ」 「うん。 こんなところで会えるなんて思わなかった」 「君に気づいたときは、驚いたよ」 答えながら、勘蔵は財布に拾った小銭を入れた。続いて立ててあったのぼりをまとめて笈に差す。仕事をする気がないなら、早く場所を空けるのが芸人としての礼儀だ。 「ちゃんと気づいてくれて、嬉しかった。 さっきの勘蔵さん、格好良かったよ! あたし、どきどきしちゃった」 「あー……ありがとう」 笈を背負い、なんとはなしに視線のやり場に困った勘蔵は天を見上げてみる。空は、青い。まさに縁日に似合いの上天気だ。 「それでね」 聞こえてくる縁日の賑わいの中に、どっどっどと妙な音が混じっているのに勘蔵は気づいた。だが音に気を取られ、リムルルが自分に声を掛けたことには気づかないでいる。 「……勘蔵さん……」 ぼーっと天を見上げたままの勘蔵に、リムルルはむう、と小さく頬を膨らませた。 ――いい天気だけど……何もないのに……それに…… 胸元に、そっと手を当てる。さっき言った通り、リムルルは今日ここで勘蔵に会えるとは思っていなかった。しかしいつ会っても良いように持っていたものが、ある。 それなのに、どうしてこうなのか。 「勘蔵さん」 袖を、くいと引っ張る。 「え、えっ?」 「勘蔵さん」 「あ、あぁ」 ようやく我に返った勘蔵は、聞こえていた音が自分の鼓動だとやっと気づいた。 「勘蔵さん、時間、あるよね」 「時間……?」 腕を組んで、勘蔵は低く唸った。 唸ってはいたが、勘蔵は時間に関しては思考の半分も使っていない。今日の仕事を終わりと決めたのは、リムルルがいたからだ。故に、当然時間はあるからして考える必要はない。 そうはいっても、だから何をどうしようかというところまでは、実は勘蔵は考えていなかった。思考の大半は今更のようにそのことに、更に今更なことではあるがそもそも何故「リムルルがいたから」なのかということに費やされている。 その上ついでに、この間に鼓動が落ち着かないかとまで思っている。 従って、リムルルからすればまた勘蔵はぼーっとし始めたように、見えている。 ――勘蔵さんも……忍なんだよね……? 前にも、リムルルは思ったことがある。 『勘蔵さんは忍なのに勘が鈍い』、と。 あの服部半蔵が父であるというのにどうしてこんなに鈍いのか、リムルルには不思議でならない。 「もうっ」 ぐいと今度はリムルルは勘蔵の左腕を引っ張った。そのまま、引きずりかねない勢いで歩き出す。 「り、りむるる?」 「とりあえず、あっちへ行くからね!」 「あっちって、どこ……」 「いいから行くの!」 困惑の声には構わず、リムルルは勘蔵の腕をしっかりと掴んで、すたすたと歩き出した。 |