手車と青い布


 人混みをうまく抜け、リムルルが向かったのは神社の裏手だった。
 賑やかな表とは違い、神社の裏には人の気配はない。陰になっているので気温もいくらか低く感じられる。
「ここなら、ゆっくり話ができるね」
 そこまで来てようやく足を止め、リムルルは勘蔵の手を離した。人の気配が無くなったからか、コンル―リムルルの友である氷の精霊―もいつの間にかリムルルの傍らに姿を現している。
「うん……」
 なんとはなしに笈を下ろし、勘蔵は頭をかいた。いささか、状況について行きかねている。しかも鼓動はまだ治まっていない。
 しかし同時に勘蔵はリムルルといるこの時を楽しんでもいた。理由はわからないがとにかく楽しい。リムルルには会うたびに振り回されている気はするが、それでも楽しい。速い鼓動も、不快なものではない。
 一方、リムルルは大きく、深呼吸していた。
 パン、と自分に弾みをつけるように、一つ手を打つ。
「……あのね!」
「はいっ」
 何故か勘蔵は背筋を真っ直ぐに伸ばして答えてしまう。
 が、手を打った姿勢のまま、リムルルはじっと勘蔵を見つめているだけだった。大きな目を見開き、異様な気迫を背負って勘蔵を見据える。
「…………」
「…………」
 勘蔵は、リムルルの言葉を待った。
 が、リムルルはなかなか口を開かない。
 重苦しいものこそ無いが、張りつめた沈黙が、漂う。
「…………あの……」
「……これ!」
 続く沈黙をどうにかしようと勘蔵が口を開き掛けたのを遮り、リムルルは大きな声を上げた。ばっと、両手を勘蔵の前に突き出す。
 手に持っていたのは、青い布。
「“おかりな”の、お礼」
「お礼……」
 そっと、勘蔵は布を受け取った。リムルルは力を入れて持っているように見えたのに、布にはしわ一つ無い。青い地に白い糸で刺繍が施されたそれは、リムルルの飾り布と似たもののようだ。
 この布はなんだか暖かいと勘蔵は思った。銭を受け取るときに触れたリムルルの手のぬくもりと、同じ暖かさが、勘蔵には感じられた。
「それね、あたしが自分で作ったんだ。姉様や婆様に教えてもらったの」
 言葉は誇らしそうだが、まだリムルルの声には緊張があり、少し早口だ。
「……うん」
 一つ頷き、勘蔵は刺繍を撫でた。
 正直なところ、勘蔵にはこういったものの出来不出来はよくわからない。殊に、蝦夷人のもののことはよく知らない。それでも、刺繍が丁寧に丁寧にされているものだとはわかる。リムルルが一所懸命刺繍している様が、容易く想像できるほどに。
 だから、勘蔵は思った。思ったことは、口をついて出た。
「いいな」
「いい?」
「あぁ。とてもいい」
 リムルルを見て、きっぱりと頷く。出来が良いとか悪いとかは、わからない。だが、この刺繍は良いと思った。そしてこれをリムルルがくれたことが、嬉しかった。
「大事にするよ。ありがとう」
「良かったぁ」
 にっこりと、嬉しそうに、そして安心した笑みがリムルルの顔に浮かんだ。
「そうだ、つけて上げるね」
「つける?」
「うん、それは頭に着けるものなの。ね、ちょっとしゃがんで」
 緊張から解放されたリムルルは、やはりリムルルだった。有無を言わさず勘蔵にしゃがませると、その頭から頭巾を取る。
「はい」
「はい」
 阿吽の呼吸というのか、リムルルの押しが強いだけなのか。何をどうと指示されるまでもなく、頭巾と引き替えに勘蔵は青の布を返していた。
 受け取った布を広げ、リムルルは勘蔵の頭に巻きはじめる。
――……え。
 咄嗟に、勘蔵は目を閉じた。鼓動は更に速くなる。
「えーっと……んー、と……ここが、こうだから……こうなって……」
 ただつけるにしては、リムルルは苦戦していた。
 そういえば、リムルルの飾り布は頭の両側で房を作るように結ばれている。同じようにするとすれば、大変かもしれない。
 と、勘蔵はしっかり目を閉じたまま考えていた。
「でーきたっ」
 そこそこの時間が過ぎた後、ようやくリムルルは納得の声を上げる。
「ほらほら、勘蔵さん、見て!」
 リムルルが体を離す気配に、小さく息をついて勘蔵は目を開いた。
「うん、似合ってる」
 目を開いた勘蔵が見たのは、自分の姿だった。
 一瞬考え、鏡に映った姿なのだと理解する。もう一瞬考え、その鏡がコンルが変じたものだとも理解する。
 一通り理解した後、青い飾り布をリムルルと同じようにつけた自分を、しげしげと勘蔵は眺めた。
 布はきれいに結ばれている。リムルルの頭のそれと、変わりない。
 しかし。
――……似合ってはないよなぁ……
 見慣れない自分の姿だからかもしれない。蝦夷人の飾り布と今勘蔵が着ている着物の組み合わせが悪いのかもしれない。飾り布から突き出たように、勘蔵の茶筅髷が見えているのが良くないのかもしれない。
 とにかく、自分には似合っていないと勘蔵は思った。
 ところがコンルに映ったリムルル、勘蔵の隣にいるリムルルは、嬉しそうだ。
――勘蔵さんと、お揃い。
「上手に結べたでしょ」
「うん……きれいに結べてるとは、思うよ」
 機嫌良く問いかけるリムルルとは裏腹に、房を軽く引っ張ってみながら、歯切れ悪く勘蔵は答える。
「なんだか、気に入ってないみたい」
 氷の鏡に映るリムルルが、きゅっと眉を寄せた。
「そんなことはない。そんなことはないんだ」
 慌てて勘蔵は首を振った。素早く考えを巡らせる。
 ふと、左腕に巻いた紅い布が目に入った。
「……この布さ、腕に巻いたらどうかな」
「腕に?」
「そう。
 ほら、俺はいつでもは頭に着けておけないから。自分ではこんな風に結べそうもないし。
 だが腕なら、大丈夫だ」
――腕ならおかしくはないし、いつでもつけていられる。
 我ながらなかなか良い提案だと勘蔵は思う。
 勘蔵の顔と、腕と、交互にリムルルは見た。紅い布に触れ、勘蔵を見上げる。
「こっちの布と、一緒に?」
「あぁ。
 駄目かな?」
 勘蔵も、腕の紅い布に軽く触れた。僅かに、指先がリムルルの指先に触れる。
「おかしくない?」
 重ねて、リムルルは聞いた。
――……いいのかな。この紅、半蔵さんの巻布と、同じなのに……
 勘蔵が父である半蔵を尊敬していることを、リムルルは知っている。だから、飾り布と一緒につけるのはおかしくないかと重ねて聞いたのだ。
「おかしくないさ」
――この格好はおかしくないのに、腕につけるのはおかしいのか……?
 少々釈然としないものを感じながら、大きく勘蔵は頷いた。それでも少しは、心配で申し訳ない気持ちがある。
 リムルルがせっかく結んでくれたのに、と。
「わかった。
 じゃ、あたしが結んであげるね」
 リムルルは、にっこりと微笑んだ。
「? どうしたの?」
「い、いや。
 うん、頼むよ」
 笑みに拍子抜けしながらも、勘蔵はほっとしていた。
 いつの間にかいつもの姿に戻ったコンルが何か言いたげにふるりと、揺れた。

 
 紅い布の下に、丁寧に青い布は結ばれた。
 ぽんぽんと二の腕を叩いて確かめる勘蔵の手を、リムルルが握る。
「ちゃんと結んだから、大丈夫だよ」
「いや……」
 そんな意味のつもりではない、と勘蔵は言おうとしていた。勘蔵としては、そこに布があることそのものを確かめたかっただけなのだから。
 しかしリムルルはやはり勘蔵の言葉を待たずに口を開く。
「だから、あっち見にいこっ」
「あっち?」
「うん、あっち」
 リムルルが指さすのは、神社の表、縁日の場だ。
「色々あって、面白そうだよ」
 せっかくなんだし、と上目がちに見上げるリムルルに、勘蔵は笑んだ。
――せっかく、だもんな。
「行こうか」
「うんっ」

 勘蔵の鼓動はいつの間にか治まっていた。
 もっとも、勘蔵はそのことを既に忘れ去っていたのであるが。

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