削り氷


 峠には何故か、主のような木がよくある。
 他の木と種類や樹齢が違うわけではないのだが、何故か存在感の強い木がある。
 この峠も例外ではなく、周囲の木より一際目を引く一本があった。
 その木の下に少女が一人、座り込んでいる光景が、坂を駆け上った勘蔵の目に飛び込んだ。
 白地に青と赤の縁取りの蝦夷人の衣を纏い、頭には青い飾り布をつけた姿は間違いなく――
「リムルル!」
 全速力で勘蔵はリムルルに駆け寄った。コンルも遅れずについてくる。
「……っ、リムルル、どうしたんだ? リムルル!?」
 荒い呼吸もそのままに、背負っていた笈を下ろして勘蔵はリムルルを抱き起こした。
 しかし、返事はない。辛そうに眼を閉じ、顔を朱に染めたリムルルの呼吸は速く、ぐったりとしている。
 流れる汗が冷たくなった気がしたが、一つ息を吸って無理矢理自分を落ち着かせ、勘蔵はリムルルの額に触れた。それから順に頬、首筋と触れて状態を確認していく。
――熱がある……けど、汗はかいてないな……
「……ん……ぅん……」
 触れられている感触にか、うっすらとリムルルが目を開いた。しばし宙を彷徨った焦点の合わない目が、朧に勘蔵を映す。
「……かん…ぞ、さん……?」
 はっきり見えないので確認しようとしたのだろう。力無い手が弱々しく、勘蔵の頬に触れた。
「あぁ。俺だよ、リムルル」
 勘蔵が頷いて手を握ってやると、安心したのかリムルルの口元が僅かに緩んだ。だが握ったリムルルの小さな手も、熱を持っている。
――……暑気あたり……霍乱、だな……
 おおよその状態を確認すると、ほ、と小さく勘蔵は息を洩らした。霍乱(日射病)は軽視すれば命に関わるが、こうして意識があって手当も受けられるならば、深刻な事態はまず免れられる。
――まずは水を飲ませないとな。
 勘蔵の腰に下がった竹筒の水筒には、まだ半分ほど水は残っている。十分とは言えないが、これだけでも飲ませた方がいい。霍乱にはとにかく水を飲ませるのが肝要だ。
「リムルル、口を開けて」
「…………?」
「喉、乾いただろ?」
 水筒を口元に近づけて勘蔵の問いかけを理解したのか、リムルルは小さく口を開けた。こぼれないように、リムルルが飲みやすいように気をつけながら、勘蔵は水筒を傾ける。
 こく、こく、とリムルルの白い喉が何度も動く。様子を見ながら勘蔵は水を飲ませていたのだが、よほど喉が渇いていたらしく、一度も休むことなくリムルルは水を飲み干してしまった。
「ふぅ……」
――よし。
 少し気分が楽になったのか小さく息をついたリムルルを、勘蔵はもう一度木に凭れさせた。
――次は、と……
 笈を開けて、中から小袋を一つ出す。
「リムルル、もう一度、口を開けて」
「……ぅん……」
 まだぽうっとした表情でリムルルは口を開いた。その表情はいつもより幼く見える。
 無防備で頼りなく、守ってやらなければならない、そんな義務というか使命感が心に広がってくるリムルルの顔――しかしそれだけではなく、何か別の想いも己の中に広がっている気が勘蔵はしていた。
 初めて感じる想いではない。何度か覚えがある想いだ。暖かく、心地よく、同時に胸の奥を掴まれるのにも似た感覚を伴う想い。それはいつも、リムルルといる時に感じていたように勘蔵は思う。
――…………
「…………?」
「あ、いや、ごめん」
 口を開けたまま小首を傾げたリムルルに、勘蔵は自分が彼女をじっと見つめていたことに気づいた。暑さの所為か、全力で走ったのがまだ落ち着かない所為か、顔が熱い。
「ちょっと、そのままで……」
 狼狽しながらも勘蔵は小袋の中から一つ取り出した赤い梅干しを、リムルルの口の中に落とした。
「……!!!」
 途端、リムルルの目が大きく見開かれた。口元をおさえて弱々しく、しかしじたばたともがく。吐き出す気力まではまだ無いらしい。
「っうぅ〜〜」
――……あぁ。
 リムルルを暫くきょとんと見ていたが、理由に思い至って軽く膝を打った。
 蝦夷人であるリムルルは、梅干しは知らないだろう。
「出しちゃ駄目だ」
 涙目で睨むリムルルに、勘蔵は表面上はもったいを付けて言い聞かせた。内心では、悪いとは思いつつもわきあがってくる笑いを懸命に押し殺している。
「喉の渇きも楽になるし、霍乱は塩気を取る必要もあるんだ」
「……れもぉ、ふっぱひ……」
「すぐに慣れるから我慢して。
 俺が水を汲んでくるまでの間だからさ」
「うぅ……」
「すぐ戻ってくるよ……つめたっ……コンル?」
 竹筒を腰に下げ、立ち上がった勘蔵の手に、とんとコンルが触れた。冷たさに手を引く勘蔵に構わずなおも二度、三度と触れてくる。
「なんだ……っと、……手?」
 手をどうにかしろと言っているらしいと解釈した勘蔵は掌を上に向け、コンルの前に差し出してみる。その上に、ふわりとコンルが舞い降りたかと思うと、
「っ!」
この炎天下に、頭の奥まで突き抜けるような冷たさが勘蔵の手から走った。その正体は勘蔵の手の上に現れた、コンルよりは小さな氷の塊。
 さすが氷の精霊である。暑さに少々弱っているようだが、それでもこれぐらいのことは容易いらしい。
「こ、これ? ひょっとして、……リムルルに?」
 外気と勘蔵の体温に早くも雫を浮かべる氷と、コンルを見比べて問う勘蔵の顔は、ひきつっていた。痛いほど冷たいのだ。
 頷くように、コンルが上下に動いた。
 梅干しの味に顔をしかめているリムルルは、期待に満ちた目を向けている。
「でも、これじゃ飲めない、から……」
 冷たさに思考まで凍りそうになりながら、勘蔵は片手を笈の中につっこんで乱暴に中を探り、小さな鍋を取り出した。野宿や木賃宿に泊まるときのために、鍋や椀、箸も携帯するのは長旅の基本だ。
 鍋に氷を放り込み、勘蔵はやっと一息をつく。手がじんじんと冷たい。それでいて、夏の熱気がもうじわりと肌に染み込んでくるのも感じられる。
「氷はありがたいけど、溶けるまで時間かかるだろうし、水、汲んでくるよ」
「……うん……」
 頷くリムルルの表情が残念そうに見えたのは気のせいではないと、勘蔵は思った。
 リムルルはコンルが氷ではなく水を出せたらと、きっと思っている。霍乱と、梅干しの味の両方に、切実に思っている。それが叶わないのだから残念な顔をするのも、無理はない。
「コンル、リムルルの頭の近くにいてくれるかな。
 その方が、気分が楽になるだろうから」
 勘蔵の頼みに、ぴょこんとコンルは揺れた。言われた通りにリムルルの頭の傍にふわんと浮かぶ。
「じゃ、すぐ戻ってくるから」
 そういって小さく手を振ると、勘蔵は山中へと分け入っていった。

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