雨・弐


 人が二人、死んだ。
 何者かに殺められたは、明白だった。
 町はその話題で、騒然となり、いまだ見つからぬ下手人を恐れてか、町行く人の姿はめっきりと減った。数少ない町行く者も、顔を伏せ、足早に過ぎ行く。
 それは、無心流道場もまた例外ではなかった。
 壬無川藤五郎という者が師範を務めるこの道場の流儀は、大きな太刀を使う一撃必殺を旨とするものである。この近隣ではかなり名が知られており、結構な数の門人がいる。
 だが今日は、主、壬無川藤五郎の姿はなく、門人の姿も疎らだった。
 道場に出ている門人達の幾人かは、不安の色を強く、面に表している。
――知っている者もいるようだな。
 それを後目に、斬紅郎は一人、剣を振るっていた。
 道場に漂う、陰欝な空気を払う如く、力強く。
 斬紅郎は知っていた。殺された二人が、道場主であり斬紅郎の叔父である藤五郎の客であったことを。
 それも、なにやら訳ありの者であったらしいことを。
 と。
「たーのーもうっ!!」
 やや掠れていたが、よく通る元気のよい声が、静けさを、斬紅郎が振るう大太刀が起こす風音を打ち破る。
「たのもう! 壬無月斬紅郎殿は、おられるか!」
 もう一度声が響いたとき、斬紅郎は答えを返した。
「おうっ、庭だ庭だ!」


 斬紅郎は、大太刀を地に突き立て、汗を拭きながら蘇枋を待った。
 大太刀の分厚い刀身では見事な刃紋が波うち、その刃は己がうどの大木でないことを示すかのように、ぎらりと冷たく、陽光を弾いていた。
 庭に入ってきた蘇枋の足が止まり、目が、すい、とそれに向いた。
――む。
 斬紅郎の眉根が寄る。
 刃の弾く光と似たものが、刃を見つめる少年の目に宿っているのを見た気が、した。
 だが、すぐに蘇枋は斬紅郎の方に向く。
 斬紅郎が見た光はすでにない。
「ありがとうっ」
 元気よく言い、抱えていた傘を差し出す。
「風邪はひいてないみたいだな」
 傘を受け取りつつ、言う。
「うん。助かった」
 にこ、と一つ、笑み。
――……むう……
 違和感に、斬紅郎は軽く首を捻った。
 太陽の光の下で見るせいもあるかもしれないが、昨日と雰囲気が変わっている。あの時は人に懐かぬ鷹の仔のような目をしていたのに、今は元気のよい、ごく普通の少年にしかみえない。
「斬紅郎殿?」
 蘇枋が首をかしげる。
「……ん?」
「俺の言ったこと、聞いていたのか?」
「あ、ああ、すまん」
 蘇枋は、やれやれ、とでも言わんばかりに、大仰に息をついた。
「すまんすまん、で、なんだ?」
 その大げさな仕草に、浮かびかけた苦笑を抑えつつ、問う。
「俺、ここで剣を学びたい」
「ん?」
「長くは無理だけど、学びたい。駄目か?」
 一歩近づき、熱のこもった目で斬紅郎を見つめる。
「いや…」
 戸惑いつつ、斬紅郎は首を振る。
 断わる理由はない。むしろ、縁のある道場への入門者は歓迎するべきだ。
「だがな……」
 いまのこの道場は新しい門人を受け入れられる状態ではない。
「駄目なのか?」
「今ここの門人になるのは、ちょっと無理だ」
「そうか……」
 がっかりと、肩を落とす。
「お前、本気で習いたいのか?」
「……うん」
「なら、俺が教えてやろうか」
「本当か!?」
 ぱっ、と上げた蘇枋の顔は、心から嬉しそう、だった。
「俺の流派はこの道場のものとは少々違うし、人に教えるのは初めてだ。それでも構わんと言うのなら」
「もちろん!
 ここに来れば、いいのか?」
「そうだな」
「ありがとう、斬紅郎殿!」
 にっこりと、斬紅郎を見上げて、蘇枋はまた、笑ってみせる。
 無邪気に、明るく。

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