椿・六


 疾っ!
 銀の軌跡が、朝の光を弾き、走る。
 ぴょうっ!
 やや高い音を上げ、赤い血飛沫が拭き上がる。
 どっと、草刈が倒れる。
 だがその時には、もう別の草刈が、蘇枋に襲いかかっていた。
 ぎんっ
 先の一撃を振り抜いた動きを途切れさせずに、それを蘇枋は受け止める。
 しかし。
「んっ」
 ずっ
 足元が滑る。
 ずずっ、と身が沈み、刃が蘇枋の上に落ちる。
「くっ」
 身を捻り、地を転がり、辛うじてそれを躱わす。
 ひゅっ
 しかしなおも刃は蘇枋の身を追う。
――……だめか!?
 刀を振るいながらも、思う。
 倒せる。倒せるが、相打ちになるのは、必至だった。
 閃く刃。
 赤いものが散るのが、視界の隅に見えた。
 断末魔の呻きが、聞こえた。
――次は、俺か。
 首筋に刃が落ちて来るのが、やけにゆっくりと、やけにはっきりと、感じられた。
――……楓……
 やさしげな、ほっとする顔立ちの少女の姿が何故か、思考を埋めた。
――もう、会えない、な。
 死ぬことよりもそれが、無性に辛かった。
 ざしゅっ!
 目の前が、真っ赤になる。
 熱いのか冷たいのかわからないそれが、顔に降り掛かる。
 ぼとり
 どさり
 鈍い音と共に、どっ、と影の体が蘇枋の上に落ちた。
「…………?」
 何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
 生温かい体温を感じる。
 己に新たな痛みはない。
 体の上に、真新しい死体。
――死ななかった、のか。
 蘇枋は草刈の体を押し退け、起き上がる。
 その腕は、切り落とされていた。落ちた腕は、それでもなお、刀を握りしめている。
 ぱしっ
 乾いた音が響く。
「なにやってるんだ」
 腕を振るった者が、呆れた声を上げた。
「気成。お前……」
 その腕を、刀を持たぬ方の手で受け止め、蘇枋は当惑の声を返す。
「なぜ」
「お前を探してたのに決まっているだろう。ったく、三日もどこにいた」
 やけに不機嫌な口調で言いながら、気成は手を下ろす。
「いや…その……」
 斬紅郎と楓に世話になっていたことはなぜか言い難く、蘇枋は口ごもった。
「まあ、無事で何よりだ」
 気成は肩をすくめたものの、深く追求はせず、言った。
「ずっと、探してくれてたのか」
「俺と、浅葱様だけだけどな。他の皆は、先に戻った」
「浅葱様まで!?」
「そうさね」
 ぽん、と蘇枋の頭に手が置かれる。
「浅葱様!
 …申し訳、ありません………」
 一瞬上げた声には、喜びと驚きが混じり、続いた言葉には、申し訳なさと己を恥じる気持ちが満ちていた。
「無事で何よりさね」
 気成と同じことを、浅葱は言った。
「申し訳ありません」
 視線を落とし、蘇枋は繰り返した。気成だけでなく、浅葱にまで迷惑をかけたことが情けなく、恥ずかしくてならない。
「それは気成に言うさね。お主を探すと言ってきかなかったのは、気成さね」
 静かな、厳しい口調だったが、どこか笑みがその中に含まれていた。
 それは蘇枋にも気成にも、感じ取れるものではなかったが。
「気成」
 気成はすい、と知らぬ風で視線を逸した。
「それで」
 浅葱が蘇枋の頭から、手を下ろす。それに答えるように、蘇枋は浅葱の方に向き直る。
「どこにいたさね」
 手拭を、向き直った蘇枋の頭の上に落とし、問う。笑みはもうない。
 渡された手拭で、蘇枋は顔についた血を拭う。幾らか乾き始めた血は、そう簡単には拭き取れない。
 拭きながら、蘇枋は答えるかどうか、迷った。
 浅葱の問いには答えなければならない。ある意味、浅葱は絶対の存在である。その言葉には従わなければならない。
 だが蘇枋は、迷った。
「追手はおおよそ二十はいたさね。
 討ったのは今のを入れて、十五ぐらいさね」
 やはり静かに、淡々と、浅葱は言った。目は気成を見、己の言葉を確認しているようだが、言葉は、明らかに蘇枋に向けられていた。
「…………!」
 はっと、蘇枋は顔を上げた。
「どこにいたさね」
 逃さぬように鋭い言葉が飛ぶ。
 だがその視線から逃れ、蘇枋は走った。
 手にしていた手拭を捨て、赤い筋を顔に残したまま、走った。
「蘇枋っ!」
 気成の声が、遠くに聞こえた。

「あの……馬鹿っ!」
 木の幹に、気成は拳を打ちつける。
「気成、儂の後からゆっくりと来るさね」
 浅葱の声は変わらない。静かに、朝の気の中を流れる。
「ゆっくりと、さね」
「浅葱様」
「そうするさ」
 強く、念を押すと、気成が頷くより早く、浅葱は遠く小さくなった紅い尾を、追った。
 気成は一つ、息をつく。
「馬鹿ばっかりか」
 低く短く、笑う。苦笑ではなく、笑う。
 そして、命じられた通り、ややゆっくりとした足取りで、もう姿の見えない蘇枋と、浅葱を追った。

「椿・七」へ
目次に戻ります