暫し茫然と、倒れた巨漢を見つめていた蘇枋を我に返らせたのは、抑えに抑えた苦痛の声だった。 「浅葱様っ」 浅葱は片膝をつき、ずっぱりと斬られた左の肩口を押さえていた。指の隙間からあふれた血が、ぼたぼたと地面に、降っている。 「………よう、やったさ」 浅葱は口の端に笑みを浮かべ、言った。しかしその顔には、びっしりと脂汗が浮かんでいる。 蘇枋は何か答えようとした。が、声が出ない。 ふらふらと浅葱の前へ歩み寄り、両膝をつく。 「………」 言いたいことはある。だが、言ったところでどうにもならない。取り返しのつかないことを招いた己が、何を言えるかと己を責める声がある。 「……うん」 浅葱はただ、頷いた。責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ、頷いた。 蘇枋は無言で浅葱の傷の手当を始める。 上衣を脱がせ、血止め及び化膿止めの薬草を傷に張り付け、丁寧に、ゆっくり処置していく。 その手は、僅かに震えていた。 浅葱はべっとりと手についた血を袴に擦りつけておとすと、その手を蘇枋に伸ばした。ようやく出血の止まった、蘇枋の左顔面の傷に触れる。 「……んっ」 僅かに、蘇枋は眉を寄せた。 「痛むさね」 「いえ」 首を振ったものの、傷はひどい痛みを訴えている。掠っただけのはずだが、焼けるような痛みが消えない。 「ふむ……」 子細に、傷の具合いを調べる。 「失礼します」 すっと、細い手が、そこへ割って入った。 濡らした手拭が、蘇枋の顔を染める朱を拭う。 「楓、殿」 さっきまで、やはり茫然としていたはずの楓が、そこにいた。 「兄は、ただ気を失っているだけのようです。それなら、今は皆さんの方が」 ほんの少し、硬い表情だったが、それでも、ほっ、とするなにかは変わらない。 「………………」 「そうさね。すまないさね」 僅かに視線を逸した蘇枋の代わりのように、浅葱が軽く頭を下げた。 「それで」 と、楓の後ろに目を向ける。 そこには、水の入った手桶を持った気成がいた。 眉をぎゅっと潜めたその顔は、不機嫌なようにも、困惑しているようにも見えた。 その表情のまま、気成は答えた。 「二人、討ちました。他にはいないようです」 「そうさね」 頷き、浅葱はきれいに血を拭きとられた蘇枋の傷を診る。 左顔面に、縦に、一筋。 眉の上から、目を走り、頬の中程までもある。 いったんは出血は止まったようだが、拭われたことで、またじくじくと赤いものが染み出してきていた。 「痛むさね?」 「いえ」 同じ問いに、同じ答えを返す。 だが痛みは、先ほどよりは楽になっていた。冷たい水に濡れた手拭のおかげだろうか。 「盲いる傷ではないが……これは、残るさね」 ぴくっ、とその言葉に反応したのは、楓だった。一瞬浅葱を見、蘇枋の傷をじっと見つめる。 哀しい目をしていた。 蘇枋は、浅葱の傷に包帯がわりの割いた手拭を巻いていた。だから、楓の目には気づかなかった。 ぎゅっ、と強く、包帯を縛る。 「しかたありません」 こつっ。 呟いた蘇枋の頭に、拳骨を一つ、軽くではあったが、浅葱は落とした。 「十年早いさね」 声は、少しばかり怒っていた。 「………?」 蘇枋には、なぜ浅葱が怒るのかがわからない。 浅葱は上衣を片手で器用に羽織ると、 「よぉく考えるさね」 厳しさを残したまま、そう言った。 「……はい」 頷きながらも、蘇枋にはやはり浅葱の言葉の意味がわからない。 傷を負ったのは己の未熟さのため。だからそれが残っても仕方がないはずだ。なのになぜ、浅葱はそれをとがめるのだろうか…… 楓は、安堵したとも、困っているともとれる表情で、そんな蘇枋の顔の傷に、くるくると包帯を巻いた。 「さて」 楓、蘇枋に順に視線を移し、最後に気成に向けると、浅葱は立ち上がった。足元はしっかりしており、痛みの気配は表には見せていない。汗すら、ひいてしまっている。 「もう少し、この辺りを見ておくとするさ。気成、ついて来るさね」 「それなら、俺が。浅葱様は休んでいてください」 「いいや」 立ち上がりかけた蘇枋を、軽く制する。 そして、地に転がったままだった自分の左腕を、拾い上げた。 「これも、処分しないとならんさね。お主はここで、死体を片付けておくさね」 「しかし……」 「気成」 「はっ」 蘇枋の言葉を完全に抑えると、浅葱は気成を連れ、庭を出た。 「浅葱様……」 「……気を、使ってくれたんだろうさ」 蘇枋を慰めるように、そして感嘆を含んだ声が、残された蘇枋と楓の後ろから、上がった。 しかしその声には、深い苦悩が潜んでいる。 「斬紅郎!」 「兄上」 慌てて二人が振り返ると、斬紅郎が丁度、むっくりと体を起こしたところだった。首筋を痛そうに抑えている。 「いつ、目を覚ましたんだ」 「お前が怒られている辺り、かな」 にや、と笑ってみせる。いつものように。ちゃんと目は、楓も、蘇枋も映している。だが、苦悩の影は消えない。 楓を見、蘇枋を見る。蘇枋の顔の包帯に、眉が寄る。 だが、何も言わず立ち上がる。 「斬紅郎」 「ん?」 「すまない」 深く、蘇枋は頭を下げた。 「お前が謝ることじゃない。それよりも…」 妹を、案ずるように見やる。 「楓殿に傷はない」 ――見たところはな。 声にせず呟くと、蘇枋に視線を戻す。 「蘇枋」 「……なんだ」 「話がある」 「なんだ」 「俺は……」 言いかけ、口ごもる。 周りを見回し、言う。 「先に片付けておこう。こう、ものが転がっていては話にならん。あの人もそう言っていたことだし」 「……わかった」 |