三 青海波


 木々をなぎ倒し、巨大な「モノ」が進む。
 人の屍肉をつないで器を作り、内には死に足掻く者の叫びを詰め、「壊」の呪をかけられて生まれたモノ。
 醜くおぞましく、哀れな巨躯は、全てを「壊す」ためだけに、在った。
 無茶苦茶に腕を振り回して木々をなぎ倒し、地を割かんが如く足を踏みならし、地響きを上げ、走る。
 だが、忍達から受けた傷と、崖から落ちたときの傷のためだろう、その動きはどことなくいびつだった。
――やったことは、無駄じゃなかったな。
「何か、探しているみたい……」
 身を隠して「それ」の様子をうかがいながら、リムルルは隣の勘蔵に囁いた。
 確かに「それ」は、時折足を止め、うろうろと辺りを見回して―といってもその目は呪の印された布の下なのだが―何かを探しているように、見える。
「なにかな?」
「………さあ」
 首をひねりながら、しかし勘蔵は「それ」の「嗤い」を思い出していた。
 暴れることしかできない人形だと思っていたものが、そうでなかったことを明かす「嗤い」。
 「壊」の「快」を知っている、ただそれだけを求めている、「嗤い」。
 ぞくりと、体が震えた。
「勘蔵さん?」
「……ん」
「行くよ」
 力強い黒い目。
 何故か、心が奮い立った。
「ああ」
 力ある、黒い目。
 なんだか、ほっとする。
「うん」
 少年と少女は目を合わせ、頷く。
 そして、飛び出した。


 子供が棒っ切れを振り回すように、「それ」は巨木をリムルルに向かって振り下ろした。
「カムイ、シトゥキ!」
 リムルルがかざす手の先にきらめく氷の鏡が出現し、巨木を受け止める。
「うっ、ん………」
 だが力で叶うはずもない。
 ぴしり、と嫌な音がする。
「下がれっ」
「………んっ!」
 迷わずリムルルは声に従い、飛び下がった。
「爆炎龍っ!」
 朱い龍が走る。
 リムルルが退いたことで力のやり場を失った「それ」が、身を崩す。
「昇っ!」
 跳ねる龍が倒れる「それ」の喉笛へ飛びかかった。
「ウプンオプッ!」
 リムルルの声に応え、鏡が砕ける。砕けた氷の破片は無情な輝きを放ち、「それ」の胸に突き立つ。
「…………………!!!」
 音にも鳴らぬ「それ」の咆哮が、大気を震わせる。
――もう一つっ。
 紅をその腕に宿した影が飛ぶ。
 後ろ腰から刃を引き抜き、思いっきりそれの頭に、突き立てた。
 固い物を砕き貫き、やわらかい物を突き通す感触が手に伝わってくる。
――人間と、変わらないのか。
 いささかのんきな感想が、勘蔵の頭に浮かんだ。
――…!
「勘蔵さんっ!」
 ひうっ!
 声と空の唸りがその耳に届いた時には、勘蔵の身は宙にあった。
 目標を失った腕は、振るった「それ」自身の頭に落ちた。
 残された刀が潰され、折れる、鈍い音。
 その音に追われるように地響きを上げ、「それ」が倒れる。
「やった……かな?」
「……わからない」
 勘蔵が首を振ったその時、ぴくりと「それ」が動いた。
 反射的に二人は構える。
 ゆるゆると、「それ」の両腕、だけが持ち上がる。
 ずどん
 腕が、落ちた。
「きゃっ」
 地に揺れが走り、思わずリムルルは声を上げた。
 ずどん
 間髪入れずもう一つ。
 ずどん
 また。
 ずどん ずどん ずどん ずどん ずどん ずどん
 「それ」は何度も何度も腕を上げては落とし、落としては上げを繰り返す。
 何かを確かめるように、腕を落とす位置を変えながら、次第に動きを早め、それにつれて揺れと音はどんどんひどくなっていく。勘蔵もリムルルも、立っているのがやっとの状態だった。
 一際高く、「それ」の腕が上がった。

 ずどんっ!!!

 巨体が、宙に在った。
 割けんばかりに大きく口を開いている。
 両の腕をぐいと頭上に伸ばしたところで、握る。
 振り下ろす。
 下には、最後の揺れに倒れた少女。
 黒い目をいっぱいに開き、「それ」を凝視している。
 片膝を突いた姿勢でどうにかこらえていた勘蔵の目に、その光景ははっきりと映っていた。
 低い姿勢のまま、飛ぶ。
 落ち、濃さを増す影の下をかいくぐりつつ、「その」腕を掴む。
 もう一つ、地を蹴る。
 腕を引き、身を捻る。自分の腕の中に少女を引き込む。
 さらに強く、地を蹴る。
 何もいないところに「それ」が落ちる。
 その口が、さらに大きく開くのが見えた。

――もうダメ……!
 リムルルの頭の中は、真っ白になっていた。
 視界を埋め尽くし、なお迫る巨大な影が思考をも押しつぶす。
 紅を宿した、大地と同じ色。来る。
――……え?
 視界の端に飛び込んだその色に、一度、瞬き。
 次の瞬間、腕に痛みが走った。
 掴まれた、と気づいたそのとき、視界がぐるりと回る。
 するりと受け入れられる。
 紅。回る。
 きらめく光。
――コンル……
 ちかちかと、コンルが光をはじく。それも、回って見える。
――回る、コンル……あか……火……渦……
 自分の目が回っているのか。
 自分自身が回っているのか。
 光や紅が回っているのか。
 リムルルにはもうわからなくなっていた。
――きれい。
 思ったとき、ずどんと今までで一番大きく音が聞こえた。

 音と全く同時に、勘蔵は背中から落ちた。
 大した衝撃ではないが、胸の上の存在のせいで、一瞬、息が詰まる。
 だがそれでもすぐに身を起こし、腕の中の少女を見る。
「リムルル?」
 黒い目を見開いたまま、リムルルは動かない。
「リムルルっ!」
「……え? あ、勘蔵さん………?」
 知らず、大きくなった勘蔵の声に、リムルルの目に光が戻る。
――……よかった……
「逃げるよ」
 安堵を心の底に押し込め、強い口調で告げる。
「駄目」
 だがリムルルは、きっぱりと首を振った。
「これ以上は危険だ」
「お願い」
 じ、と勘蔵の目をリムルルは見つめる。
 その向こうで、「それ」が地に埋まった腕を抜こうともがいているのが見える。傷を受けているところに、己の身を考えない無茶な動きを重ねたせいだろう、今の動きは相当ぎくしゃくしたものになっている。
「あと、一回だけでいいから。お願いっ」
 その言葉に勘蔵は頷いていた。
「…何か、手があるのか?」
「うん。
 あたしに合わせて」
「合わせる?」
「勘蔵さんの火を、あたしのコンルに合わせて」
「コンルに…俺の火を?」
 浮遊する透き通った氷の塊を、見る。
――合わせる、か。
 できる、と思った。斃せるはずだと確信していた。
 何か理由となることを教わった、ということだけを覚えているからであり、少女の切実な眼差しのせいで、あり。
「わかった。やろう」
「うん」
 ぱっと少女の顔が輝く。
「でも、俺に合わせて欲しい。君に俺が合わせるのはかなりつらい。
 それでもいいか?」
「うんっ」
「よし」

 勘蔵の右肩と、リムルルの左肩を合わせるように、並ぶ。
 勘蔵は左足を、リムルルは右足を引く。
 勘蔵は右腕を、リムルルは左腕をまっすぐ水平に差し伸ばす。
 コンルがついと、二人の前に飛んだ。
 「それ」が、ようやく自分の腕を大地から引き抜いた。
 やけにゆっくりと、リムルルと勘蔵の方に、体を向ける。
 ずしんと重い地響きを上げ、一歩、踏み出す。
 やはり、ゆっくりと。
――そうじゃない。
 静かに、大きく、全身に気を回すように息をしながら勘蔵は気づいた。
 「それ」の動きは確かに悪い。だが、ゆっくりと見えるのはそのせいだけではない。
 耳を澄ませば体内の血の巡りの音さえも聞こえてくるような気がするほど、研ぎ澄まされた感覚が見せるもの。
 「それ」の動き。己の「内」にある「火」。
 見据える。
 朱きそれの全てを、引き出す。
 右方でリムルルの澄んだ気が高まっていくのがわかる。彼女そのままにきらきらとして冷たく、だが、やさしい。
 心地いい、と勘蔵は思った。
 リムルルもまた、「コンル」に意識を集中し、その力を導きながら、左方で高まる勘蔵の気を感じていた。それは力強く、激しい。
――ほんと、合わせるのは大変みたい。でも……
 意識を集中したまま、小さくリムルルは微笑んだ。
 「それ」が両の腕を振り上げた。
 その影が、二人の上にまず、落ちる。
 それを合図とするかのように、しかし互いに合図はすることなく、全く同時に二人は力を解き放った。
 
 朱と、青みがかった白の、『力』。
 二人の手から離れると同時に、引かれ合い、絡み合う。
 絡む二つは渦を巻き、螺旋を描き、より強き『力』と化し、突き進む。
 進む螺旋の渦は、「それ」の胸を貫いた。

 無音の爆散。


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