万里行


「この身に……死を恐れる理由などありません。
 こんな儚い命でも、せめて生きた証にと……」

 右京は、走った。
 一心不乱に、走った。
 急がねばならぬ。急がねば間に合わぬ。
 走る、走る。風の如く、飛ぶが如く!

――一ノ関 黄泉姫
 駆ける右京の行く手に、娘の姿があった。龍の紋様をあしらった黒い着物に、羽衣をまとった年若く、美しい娘だ。
 娘は向かってくる右京に、にっこりと微笑みかけた。
「私は黄泉姫と申します。そこのお方、私とともに楽しく……」
「許されよ、私には圭殿が!
 成仏されい!」
 ほとんど話を聞かず、駆け抜けざまに、右京は黄泉姫に向かってリンゴを投げつけた。ただのリンゴではない。黄泉平坂名産の「黄泉返しのリンゴ」である。何故右京が今、そのリンゴを持っているかは疑問に思わないほうが吉。幸運の色は青に赤。
「あぁ……そんな……」
 あえなく儚く黄泉姫は散った。
 その時は既に右京の姿は遥か遠く。
 走る、走る。風の如く、飛ぶが如く!

――二ノ関 千両狂死郎、牙神幻十郎
 よくわからない組み合わせの二人が、行く手に立っているのを右京は見た。
 牙神幻十郎と、千両狂死郎だ。
「……目障りだ、殺す!」
「貴殿の舞、わしに披露してくれんかぁ」
 右京の行く手を遮り、二人が同時に言い放つ。
「……邪魔を、するか……!」
 右京の髪が一瞬、ふわりと揺らめいたように見えた。その青白い肌に、そしてその帯に赤みが差す。己の邪魔をする者への、激しい怒り。
 その耳に「ついでだから恨みを晴らせ」と囁く声があったことを知る者は無く。
「秘剣、朧刀……閃! 光! 霞!」
「あ、ひとぉごろしぃ〜〜!」
「きさまなどにくっするとは〜〜!」
 溜めも引きもない容赦ない連撃に、狂死郎と幻十郎は散った。
 ちなみに二回斬られたのは幻十郎であった。
 何事もなかったかのように、右京は走り続ける。
 走る、走る。風の如く、飛ぶが如く!

――三ノ関 天草四郎時貞、羅将神ミヅキ
「オーホッホッホッホ」
「ヒョォ〜〜」
「究極の花を持たぬ貴様らに用はない!
 秘剣、双殺ツバメ返し!」
「あんぶろじぁさま〜〜!」
「そんなはずはない〜〜!」
 奇声を上げただけで、天草とミヅキはまとめて散った。
 走る、走る。風の如く、飛ぶが如く!

――四ノ関 壬無月斬紅郎
 駆け続ける右京の行く手に、巨漢の影が落ちた。
 獅子のたてがみが如く風に揺れる白い髪、巌のような巨躯、手には五尺に余る大太刀。
 鬼、壬無月斬紅郎。
「良くぞ来た……などと颱言はすまい。
 豪の者よ。
 兵法極意全てを以て闘うべし!」
「我が師と同門の衆の恨み……!」
 右京に剣術を教え、道を与えてくれた師を、腕を競い合った同門の友を無惨に殺された怒りに、右京の体が光を放ったかのように見えた。
 その姿が、斬紅郎の視界から消える。
「……夢想残光霞!」
 蒼い疾風が、斬紅郎を中心に渦巻いた。
「きさまのかおは、わすれまいぞぉ〜〜!」
 断末魔の叫びと共に、地響きを上げて斬紅郎の巨体が倒れた。雨がその上に降りかかる。
「……」
 右京は無言で、『鬼』の亡骸を見下ろした。
 袴を、ぐっと握る。
 たくし上げる。白い臑が露わになる。
 げし。
「ぐぇっ」
 まだ息があったらしい斬紅郎は、これで完全に息絶えた。
 右京は雨に濡れる躯に背を向ける。復讐は終わった。もう振り返ることはない。
 走る、走る。風の如く、飛ぶが如く!

――五ノ関 覇王丸
「右京、悪ぃがここまでだ。
 俺の命に代えてもいかせねぇ!」
「お前まで邪魔するというのか覇王丸!
 私の邪魔は誰にもさせぬ!」
 何の迷いもなく、橘右京は鯉口を斬った。その耳にまたもや「ついでだから恨みを晴らせ」と囁く声があったことを知る者はやはり無く。
 まさに神速の速さで右京は間合いを詰めた。その痩身から放たれる凄まじい剣気に、一瞬、覇王丸ともあろう者が気圧された。
 その一瞬が、命運を分けた。
 覇王丸の目前で、右京は地を蹴った。陽光を背にした右京の影が覇王丸の上に落ちる。
 長い居合い刀の刃が、光を弾く。
 一閃。
 重さがないかの如く着地すると、覇王丸が倒れることさえ許さずに、下段から切り上げ、容赦なく袈裟に斬り下ろす。
 倒れかかったのか、それとも逃げようとでもしたか。覇王丸がよろりと後退った。
 更に右京はその後を、追う。あまりの速さに、残像が揺らめく。
 残像が消えた瞬間、右京の姿が霞む覇王丸の視界から消えた。どこへ、と思う間もなく、両足に激痛が走る。
「チクショオオ〜!」
 吹っ飛んでいく覇王丸に、右京は低く呟いた。
「フ……弱い……もっと強い奴はいないのか……」
 場面にも橘右京にも全くそぐわない台詞ではあるが、天草降臨EDの右京の心境を察すれば、無下に突っ込むわけにもいくまい。
 とにもかくにも倒れた覇王丸の上に寒風吹きすさぶのを無視して、右京はまた走る。
 走る、走る。風の如く、飛ぶが如く!

――終ノ関 小田桐圭
 しずしずと歩む白い背が見える。
 雪の色の白無垢と、綿帽子姿の女が、一人、右京に背を向けて歩みつづける。
「圭殿!」
 右京は遠ざかる背に向けて叫んだ。
 やっと、追いついた、右京の何よりも、己よりも大切な存在――小田桐圭はその声に足を止めた。
 やはりしずしずと振り返る。
 白い、花嫁姿。右京にとっては何よりも悲しい姿であったが、最も美しい姿でもあった。
 右京は一つ息を吸うと、口を開いた。この一言を告げるために、ここまで駆けたのだ。
「行かせません。どうしてもというのならば、力づくでも……!」
「……右京様がそう、おっしゃるのならば」
 ふわりと、真白いものが宙に舞った。刹那、右京は圭の姿を見失う。
「圭殿っ……!?」
 乾いた音を立ててそれが地に落ちた時、右京はそれが圭が着ていた打ち掛けだと気づいた。
「私も、力づくでまいります」
 声に目を上げれば、そこには白い長襦袢一枚に襷掛けをし、白い鉢巻を巻いた小田桐圭の姿があった。その手には、薙刀が一振り。
「圭、殿……?」
 あられもない姿に、同時に圭の細腕には似合わぬ得物に困惑した右京の視線が泳ぐ。
「問答無用です。
 ……まいります!」
 圭は薙刀を振り上げた。滑るように間合いを詰める。
「圭殿っ!」
 己の叫びの理由が何であったのか、右京は知らない。

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