是衒街に、覇王丸の気に入りの小料理屋がある。
 どうやら酒好きの嗅覚も剣の腕と同じく健在だったか、覇王丸が離天京を訪れたその日に、是衒街で一番酒も料理も美味いと評判の店を見つけだしたのだ。
 以来、食事のほとんどをその店で取っている。唯一、美味いだけあって値段が少々張るのだけが欠点であるが、それも離天京という場所柄を考えれば仕方がない。
 夕食時で賑わいでいるその店に、男と共に入ろうとしたときに、ドン、と覇王丸の腰の辺りにぶつかるものがあった。
――なんだ?
 そう思ったときに、もう一つ、ドン、とぶつかる。
「どこみてるのねっ」
 意外に可愛らしい声に目を向けると、通りの店々から漏れる明かりの中に、幼い子供二人の姿があった。色の黒い男の子と、緑の髪の女の子だ。二人とも、長柄の槌のような物を手にしている。
 二人は覇王丸と目が合うと、思いっきり力のこもった「あっかんべー」をして見せた。
「悪かっ……」
「子鬼どもが! また盗み食いしやがって!」
 苦笑いを浮かべながら覇王丸が子供達に詫びようとしたのを、怒声が遮った。
 小料理屋の主が、顔を真っ赤にして拳を振り上げ、子供二人を睨み付けている。しかしまるで気にした風もなく、子供二人は揃って尻をペンペンと叩いて見せると、歓声を上げてまるで風のような速さで走り去った。
「やれやれ、子鬼どもめが……」
 大きく溜息をつき、店の主は店に戻った。追っても無駄だとその声と背中が語っている。どうやらあの子供達の盗み食いはよくあることのようだ。
「子鬼、ねぇ」
 なるほど、と覇王丸は合点する。あの見るからに悪ガキでしたたかそうな子供二人は、子鬼と呼ぶに相応しい。
「覇王丸」
「なんだ?」
 男の声に振り返った覇王丸の目の前で、見覚えのある小さな袋が揺れた。
 はっと腰に手をやると、あったはずの財布がない。
「……今のか」
「うむ。たいした子鬼だな」
「お前さんも、な」
 再び苦笑しながら、覇王丸は財布を受け取った。受け取りながら、怪訝に首を捻る。
「そういやお前さん、いつ着替えたんだ?」
「さて、な」
 空とぼけた男の装いは、単衣に袴の素浪人姿に変わっていた。


 この小料理屋の酒は自家製のどぶろくで、少し匂いはきついがかなり美味い。
「酒は、良いのかい?」
 そう問いながらも、覇王丸は既に男の盃に酒を注いでいる。
「少々ならば」
 答えて男は、軽く盃に口を付けた。
「良い酒だろ?」
「あぁ」
 男が頷いてみせると、満足して覇王丸も自分の盃に口を付けた。こちらは軽く一息に盃を干す。
「ふぅ……。
 ところで、お前さんがこっちに来ていることを『半蔵』は知っているのか?」
「大海に流れ出た水の行方を、川が知るはずもあるまい」
「立ち聞きしていたのか? 人が悪い」
 ゆっくりと盃を口元に運んでいた男の口元に、微かに苦笑が浮かぶ。
「立ち聞きなどすれば、半蔵殿に気づかれよう。
 覇王丸、お主、『服部半蔵』を甘く見てはおらぬか」
「いや、そういうつもりはないんだが……なに、ね、お前さんと似た事を半蔵様が言ってたんでね。
 立ち聞きしてたんじゃないなら」
 鼻の頭をかいて、にまと覇王丸は笑った。
「やっぱり、親子だな」
「…………」
 目の前の男の切れ長な目が、僅かに見開かれたのを覇王丸は見た。虚を突かれたと、何よりも雄弁にその目はそう語っていた。
 二十年余り前のあの戦いの時には、決して見ることのなかった半蔵の当惑。自然と覇王丸の喉がククと鳴る。
 しかし、一つ瞬きした後には元の表情に戻っていた。いや、その口の端には、幽かな笑みがあると覇王丸には見えた。照れたようで、気恥ずかしそうで、嬉しそうな、父親の顔に見えた。

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