きぃん! 冴の一撃を異人が弾き返す。 「まだっ!」 弾かれても怯まず、次の一撃を放つ。 それを異人はさらにさばき、踏み込む。 「くっ」 剣の柄で胸を打たれ、冴は尻餅をついた。 「ここまでにしようか」 言って、笑みと共に異人は手を差し出した。 「……………」 無言で冴は立ち上がった。 「……………」 空の手を、意味もなく異人は握り、また開き、それを幾度か繰り返す。 どことなくさびしそーに見えるその横顔を後目に、冴は刀を収め、庵の縁に腰を下ろして汗を拭く。 冴は初めて異人にあったその翌日から、綾女の庵に通っていた。どうしても、異人を自分自身で見極めたかったのだ。あの時の半蔵の言葉はそうせよと暗に言っていたのだろうと、思ったせいでもある。 ――確かに…腕は立つ…… そしてこの二日、実際に異人と手合わせをしてみて、その実力は認めざるを得なくなった。おそらくは伊賀衆の一流の者達と同格か、それ以上だろう。 ――でも… 半蔵との手合わせの時と、二日の間に自分が見た異人の動きを、冴は思い返す。 力強い。 明るい。 きれいな動きだ。とても。 しかしそれは、『忍』の名を負う者らしくない動きだった。忍の誰もが持っている、『何か』が、完全に欠落していた。 忍の動き、忍の技、忍の術を使いながら、使っているのに、この異人は忍ではない。忍とはかけ離れている。 はっきりそう思ったわけではない。だが冴は直感的に、意識の底で、そう思っていた。 「冴」 「……何」 異人の声に、上げた冴の顔に浮かんだ表情は、無意識に硬くなっていた。 しかし異人はいっこうに気にした様子なく、明るく言葉を続ける。 「隣、いいかな」 流暢な日本語である。おかしな癖は一つもない。異人曰く、綾女の言葉へのしつけが非常に厳しかったせいだそうだ。 「どうぞ」 そっけなく言いながら、立ち上がる。 「私はもう休みましたから」 「……そりゃ、どうも」 困ったように軽く頬をかき、異人は冴の隣だった場所に腰を下ろした。手拭で汗を拭きながら、冴の方をそれとなく見る。 仔犬のような目だと、冴は思った。かまってもらいたいのに、かまってもらえないわびしさがそこにある。 冴はその目を黙殺した。 しかし心の片隅がなんとなく、ちくりと痛んだような気がする。 それを振り払うように、手裏剣を打った。 小気味よい音が、立て続けに二つ。 庭に立てられた的に、二本の棒手裏剣が突き立った。 だが星からは、かなり外れていた。 悔しくて、もう一発、打つ。 それも、外れた。 普段はそんなことはないのに、うまく当たらない。 「力が入りすぎてるよ」 声の方を、反射的に向く。 異人は腰を上げていた。冴に歩み寄り、手裏剣を持っている方のその手を、すっと、全く何気なく、自然に、取る。 「!」 頭の中が、真っ白になった。 「ここんとこはもっと楽に持った方がいいと思う……よ?」 ぱしぃん 乾いた音。 ぱちくり 何が起こったかわからない表情で、異人は冴を見ている。 冴は無言で、庭から走り去った。 茫然とガルフォードは、ほんのり赤くなった自分の頬に手を置いた。 「たわけ」 「は?」 師の声に、振り向く。いつの間にか、縁に綾女が出ていた。 「日本人は軽々しく体に触れられるのを嫌う、と言ったであろう。ことに冴はその気が強い。注意して扱わないと」 くすりと笑う。 「そうなる」 「そうでしたね」 ようやく気を取りなおし、ガルフォードは苦笑した。打たれた頬がぴりぴりと痛むせいで、少しばかりその笑みはひきつっていたが。 ――まあ、冴の場合はそれだけではないのだが…… 綾女は笑みに隠れて、ガルフォードを見た。 ――やれやれ。 「想うのは勝手だが、少しは考えて行動せよ。前に進むだけでは、おなごの心は手に入らんぞ」 「はぁ…… って、何でその師匠そんなことを!?」 妙にガルフォード、狼狽する。 「見ればわかる」 「あははは…」 けろりと言われ、ガルフォードは苦笑いするしかなかった。 その笑みを綾女は意地悪く眺めやる。 「お前も冴も分かりやすいな」 「え? 今なんて言ったんですか、師匠」 「さてさて」 綾女はなにやらやけに楽しそうに、空とぼけたことだった。 冴は、自分の背中を一本の木に預け、息をついた。 異人の頬を打った手を、見る。 「……私」 修練の時、半蔵や他の忍が、先ほどの異人のように冴の手をとって、あるいはその身に触れて指導することはある。決してよくあることではないが、異人にそうされたといって、いくら驚いたからといって、 ――あんなこと、するなんて…… なぜ自分がそんなことをしたのか、どうしてもわからない。あんな風に取り乱して人を打つような、情けないことを。 触れられたと思った瞬間に、何もわからなくなったのだ。我に返ったのは、茫然とした異人の顔が視界に現れたその時。 あまりにも純粋にびっくりしたその表情に、なぜかいたたまれなくなって、冴はその場から慌てて去った。みっともなく、取り乱して。 ――どうして…… 冴は、異人を打った手を、異人に触れられた手を胸の前で、きゅっ、と握りしめた。 柔弱な顔立ちのくせに、異人の手は大きかった。冴の手をすっぽりと包んでしまうほど、大きかった。 異人の手は堅かった。厳しい修行を経た者特有の堅さがあった。 そして、異人の手はあたかかった。 あの瞬間は何も考えられなかったのに、あの青が目に入るまでは何も見えなくなっていたのに、あの異人の手のことは奇妙にはっきりと、覚えている。 ――謝らなきゃ…… たとえ相手がどんな者であろうが、自分の非を認めることができるのが冴である。その非を認めた上で、自分がどうすればいいのかも、ちゃんとわかっている。 今回もそうだった。 庭に入る前に、冴は呼吸を整える。 軽く自分が緊張しているのがわかる。 もう一つ、深呼吸。 「!」 した瞬間、目に飛び込んだ青い色。 「冴」 にこっ、とさわやかな、嬉しそうな笑みの色が、その青を彩る。 冴は胸に溜った息を吐き、そうっと顔を上げた。 金の髪の青年が、いる。 「いま、探しに行くところだったんだ」 「私を?」 「うん、謝りたくて」 「謝る?」 「さっきは、ごめん」 首をかしげた冴に、青年は勢いよく頭を下げた。 「もっと気を使うべきだった。ごめん」 言って、ひょこ、と顔を上げる。真からすまなさそうな表情を一杯にそこに浮かべて。 仔犬のような表情だと、また冴は思った。 許さなければ、こちらが悪いような気になってしまう。 「別に……怒って、いませんから」 だがしかし、冴の口から出た言葉は、奇妙に硬かった。 「それより……」 「ほんと!?」 ぱっと青年の表情が明るくなる。 「え?」 「怒ってないって、ほんとかい」 一歩二歩と近寄りかけ、慌てて足を止めながらも、青年は嬉しそうに言った。 「うん…」 「よかったぁ」 ほおっと息を吐いたその表情がとどめだった。 冴は謝るきっかけを失った。 思い出したように、風が駆け抜けた。 運び忘れた春を、慌てて持って来るかのように。 |