忍設定


・時代背景

 時は一七○○年代の後半、将軍徳川家斉の治世。
 しかし、実際の歴史ではなく、チャンバラものや時代小説テイストな世界であり、この世ならざるものが走り
回っていたりする世界である。

・忍とは

 「ふぁんたじぃ」な人々である。常人とかけ離れた運動能力、戦闘力の持ち主であり、時に魔法とも見える力を操る。
 しかしその心は人と何も変わりはない。ただ人を超える力を持てど、忍も人間なのだ。
 この世界の忍は大きく二派に分かれる。
 一方は幕府、あるいは藩に仕える忍達。
 彼らは彼らの主人に使え、その命に従い、果たすことに生きる道を見いだしている。もっともその意識は、
盲目的に主に従うもの、生きる手段と割り切っているものと各流派によってばらばらである。
 もう一方は何者にも仕えない忍達。
 他者に仕えることをよしとせぬものや、なんらかのわけがあるものが多いが、傭兵のようにあちこちの藩にその場
その場で雇われているものもある。

・伊賀衆

◇伊賀忍

 初代将軍家康との「盟約」により、将軍家に仕える。おもに東日本を活動の場とする。本拠地は伊賀。各地に里が
あるが、出羽にある里が伊賀に次いで大きな里である。
 将軍家を守ること、そのために幕府の治世を安定させることを最大の役割とする。
 伊賀忍の上に立つ者は「伊賀の御旗」、「伊賀の刀」、「伊賀の鎧」という呼び名を受ける。これ

世襲ではなく、先代の指名、または他の二者によって後継者は決定される。

◇伊賀の御旗

 伊賀忍群を統轄するお屋形を指す。お屋形は代々百地の姓を名乗る。伊賀忍にとって伊賀の御旗、すなわち頭領は
絶対的な存在である。
 伊賀の御旗はあくまでも将軍家の忠実な配下であり、そこから与えられる命を果たすことを第一義とする。

◇伊賀の鎧

 伊賀忍中第二の規模を誇る出羽の里の長のこと。
 里長は代々藤林姓を名乗る。伊賀の鎧は「伊賀忍」を守ること、「伊賀衆の存在」を守ることを第一義とする。

◇伊賀の刀

 代々「服部半蔵」の名を受け継ぐものである。
 伊賀忍の実働部隊の頭を指すが実権はないに等しい。これは(伊賀組頭)二代目半蔵正就の暴走を繰り返さない
ためである。ただ、半蔵の名の重さとそこに向けられる畏怖と畏敬の念は変わっていない。
 伊賀衆最高の実力を求められ、その名と力の為、幕府や諸藩、他流派の忍から恐れられる存在であり、伊賀衆達
からは尊敬される存在であり、そうでなければならない。
 また、日本各地を活動の場とする(これは、各地に半蔵の「影」がいるせいであるという説もある)。

◇出羽の里

 北陸、東北の有力外様諸藩の監視のために作られた伊賀衆の隠れ里。


・甲賀衆

◇甲賀忍

 伊賀忍と同様に、家康との「盟約」によって将軍家に仕える。主に西日本を活動の場とする。
 やはり伊賀衆同様に、将軍家を守り、幕府の治世を安定させることを役割とする。
 伊賀忍とは異なり、統轄するお屋形は代々世襲である。
 伊賀忍とは同盟関係にあり、お互いの役割を果たすために協力することもしばしばある。

◇肥前の里

 九州地方の有力外様諸藩の監視と、風間忍群への抑え(これは甲賀衆の秘密)のために作られた甲 衆の隠れ里。

◇風間衆との確執

 島原の乱のおり、甲賀衆は幕府軍に参陣した。その際に、風間衆の封印を守るための行動が、乱の惨事の陰に
あることを知る。この時は風間衆にしてやられ、以降、甲賀と風間衆の間には確執が残る。

◇異人の忍

 甲賀流忍術を修めた異人の忍が存在するという噂がある。


・風間衆

◇風間忍

 平安時代、怨霊と化した菅原道真を島原の地に封印した一族「封魔」の末裔。道真の怨霊の封印が壊されることが
ないよう守ることを役割とする。役割を隠すために、字と読みを変えたのである。
 「封印を守ること」をその存在意義とし、それを果たすためなら如何なる手段を取ることも厭わない。それ故に
甲賀忍とは敵対に近い関係である。
 しかしつい最近、彼らが封印してきた怨霊道真は甲賀忍の関与により浄化されたらしい。また、それに関して
一人の忍が妹と共に里を去ったという。彼らは甲賀忍のつてで逃げたともいわれる。

 「ふうま」あるいは「かざま」という名の忍の多くは皆、「封魔」の一族の末裔である。かの風魔小太郎率いる
風魔忍群もまた、そうであり、こちらは平将門の霊を見守る役割を負っていた。


・御楽衆

 「みがくしゅう」、または「おんがくしゅう」と読む。
 楽中心の芸人集団。芸を披露しながら諸国を旅する。一〜五人程度の人数で旅している。総人数は数十人ほど
らしい。
 本拠地は加賀。彼らは加賀藩お抱えの忍衆「偸組(ぬすみぐみ)」の末裔である(偸組の者は元々伊賀忍)。
江戸初期に活躍していた偸組は、加賀という大藩を守るため、秘密を持たず、幕府には徹底的に従順に従うという
前田家の方針により、解散させられている。
 役目を失った(別の職は一応世話されている)偸組の者達は、人の目を欺くために身につけていた芸を生かして
生きることにする。それが御楽衆の始まりである。当初は様々な芸をしていたが、やがて「楽」にまとまっていく。
 解散後、加賀藩主も(元が元なので)偸組のことを気にしており、時折彼らの芸を自分の前で披露させた。
その時に巡った国々のことを彼らが話すということがあった。元々忍である彼らの耳目は鋭く、それらの話は
面白くも有益なものであった。それに気づいた加賀藩主は彼らの楽ではなく話を聞くために、年に二度、城に招く
ことを決めたのである。
 もちろん、あくまでも表向きは楽を聞くためで、ある(奥住まいの方々をおなぐさめする、という意味もある)。

 御楽衆は他の藩や江戸の城に忍び入って情報を集めることはしない。ただ、彼らが旅の間に見聞きしたことを
藩主に伝えているだけである。だがそれが却って、他藩や幕府の実情を知らせることとなっている。
 旅の最中に身を守るために、御楽衆は「御楽流武術」という戦闘術を身につけている。基本は伊賀流忍術に近い。
特徴的なのは「楽」を使った術である。そのため、音を司る気である「木気」に長けた者が御楽衆には多い。
体術にしても「楽」を使った術にしても、彼らの技は「身を守ること」が第一である。もはや彼らは忍ではなく、
芸人なのだから。

 御楽衆は現在、一つの役目を加賀藩から与えられている。それは「鬼に襲われた村の再興」である。加賀藩にも
鬼は現れており、いくつかの村が犠牲となった。村がなくなるというのはそれだけ収益が減るということであり、
その再興はそれなりに重要時である。
 しかしこれは、御楽衆からの頼みが元となっている。旅する中で、鬼に襲われた村を見、生き残った子供たちを
哀れんだ彼らが、子供たちを救うために願い出たのである。
 藩の許可を得た後、御楽衆は、鬼に襲われた村の生き残りを集め(子供が非常に多い。また、他藩の村の出の子も
いる。他藩では加賀のような村の再興は行っていないので、御楽衆がこっそり連れてきた)、村々を再興しつつある。

◇五人囃子

 御楽衆の中でも高い実力を持つ者達のこと。といっても必ず五人ではなく、その時々で三人だったり八人だったりと
数は様々。また、彼らは「楽」に秀でているのが条件であり、必ずしも戦闘力が高いということはない(一般人
よりはあるが)。
 五人囃子に選ばれた者はその順番に従って数字のついた名前をつけられる。大体十年ほどで面子は入れ替えられる。
 現在はちょうど五人。

・謡の一丸

 背は低く、髪はばさらで茶色い。御楽衆一の謡い手といわれるが、その謡い方は非常に激しく、叩き付けるような
力に満ちている(そうでない謡い方も出来る)。故に「巌謡(いわおうたい)の一丸」とも呼ばれる。
 明るく陽気な兄貴分。現在の御楽衆のまとめ役(御楽衆には明確な頭領はいない(必要ない))のような存在
でもある。
 戦闘力はそれほどでもないが、その力に満ちた謡による邪気払いが得意(うますぎて妙なモノを引き寄せるこ
ともある…)。

・琴の二吉

 二吉という名であるが女。色白の手弱女(たおやめ)である。非常に内気で大人しく共に旅をする仲間でも、
彼女の声をめったに聞けない。
 ほっそりとしているが、琴だけはいつも自分で背負って運ぶ。それが彼女を落ち着かせるらしい。琴が側にないと
混乱状態になる、らしい。

・鼓の三汰

 こちら参照。

・鐘の四乃

 鐘は寺の鐘ではなく、阿波踊りなどで使われる手で持つ鐘である。
 なんとなく乱れた雰囲気のある女性。媚びがあるというか色があるというか。年齢不祥。誰かと旅することは
少なく、一人でふらふらとあちらこちらに出没している、ようである。 ただ叩くのではなく、踊りながら賑やかに
鐘を叩くのを好む。

・笛の五郎

 七尺近い巨漢。二吉は性格ゆえ喋らないが五郎は口がきけない。笛が彼の心を表す。  温厚で心優しい。見かけで恐れられることも多いが、たいていすぐに彼を理解してくれる(笛と優しい目の
おかげである)。
 見かけ通りに力が強く、戦いでは頼りになるが、本人は争いごとは嫌いである。武器は持たない。


・裏柳生

 通称「柳生の雀」あるいは単に「雀」とも呼ばれる。
 この忍び衆は、いわば柳生家の私兵である。これは幕府の「正義」を守るのが役目の柳生家ゆえに許されている
ことである。
 裏柳生の衆の活動範囲は一応日本全国であるが、江戸から外に出ることはあまり無い。これは柳生家と伊賀、
甲賀の忍び達との関係が良好であり、ここから情報を得ることが出来るからである(なんでもかんでも教えて
もらえるわけでもないが)。
 特徴としては、裏柳生のものは全て新陰流の使い手である、ということがある。また、己の気を制する術は知って
いるが、それを「焔」や「水」という風に外に具現するすべは持っていない。


・お庭番衆

 徳川吉宗が八代将軍として江戸に入った時に紀伊から連れてきた忍衆。以来、「将軍個人」に仕える忍として
在り続けている。
 元々は伊賀の流れをくんでいるが、現在は、伊賀、甲賀智に関わりを持っておらず、また、極力関わらないように
している。敵意を持っている者すらいるという。
 これは将軍個人ではなく、将軍家、そして「幕府」に仕えてきた伊甲の忍と、直系ではなく、また江戸外から
始めて入った将軍の吉宗に従ってきたことにより、将軍個人に仕えるお庭番衆の違いから来る意識であろう。
 活動地域は全国に広がるが、江戸での行動が多い。これはやはり、将軍個人に仕えているからである(外に
出るのも将軍の命令による)。

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